王妃はただ、殺されないことを願う

柴田はつみ

文字の大きさ
8 / 19

第7章:宰相の影

しおりを挟む
宰相ヴァイスの執務室は、国王の部屋とは対照的に、寸分の乱れも許さぬほど整然としていた。磨き抜かれた大理石の床には一片の埃もなく、朝の光が冷ややかな艶を帯びて反射している。

早朝、ヴァイスは昨夜の禁書庫警備を担当した下級官吏からの報告を聞いていた。

「……王妃様は夜明け前に退出されました。滞在中は、特定の書架――とりわけ古文書の区画に長時間おられました」

ヴァイスは金色の印章を嵌めた手を組み、無表情のままゆっくりと指先で印章を回す。その瞳の奥には、鋭い計算と、否定しがたい苛立ちの影が浮かんでいた。

(王妃が古文書だと? まさか。あの隣国の娘が、王家の歴史に興味を抱くはずがない)

ヴァイスはリリアナを、愛らしいが頭の弱い──便利なお飾りだと見なしていた。その無害さこそが、自身の陰謀を推し進めるための最大の利点であったはずだ。

だが、禁書庫。そして“呪い”に関わる文献に触れたという事実は、あまりにも看過しがたかった。

ヴァイスはすぐに命じた。

「王妃が手を触れた書架をすべて点検せよ。特に、王家の『呪い』、隣国との条約史に異変がないか入念に確認しろ。……誰にも悟らせるな」



婚礼後しばらく、アレス王は王妃に溺れ、政務に集中できぬほどであった。
その偏った愛情を利用し、ヴァイスはリリアナを宮廷内で孤立させ、冬至の夜会での処断へ向けて巧妙に土台を築いていた。

しかし──最近の王妃の態度は、彼にとっても予測不能だった。

必要以上の礼儀、夫への愛情の気配の消失。
そして、王妃の務めを盾にした禁書庫への立ち入り。

(まるで国王を“監視”しているようではないか……いや、処断の運命を悟り、反撃の糸口を探っている可能性もある)

さらにヴァイスの思考は別の可能性へと踏み込んだ。

(あるいは──隣国が彼女を“ただの生贄”ではなく、アルカディアの弱点を暴くための密偵として送り込んだのか)

王妃の冷徹さは、隠されていた本性の兆候なのかもしれない。



ヴァイスは机の奥から、厳重に封じられた極秘の通信記録を取り出した。
そこには、隣国の使者とアルカディア王国の**《藍晶石(らんしょうせき)》**の採掘権を巡る裏取引の詳細が記されている。

リリアナの処断は、この巨大な取引を覆い隠すための“煙幕”にすぎない。
王妃の「呪いの血」による混乱を利用し、隣国が資源を横取りする計画だった。

「王妃ごときに、壮大な計画を狂わされるわけにはいかぬ」

ヴァイスは低く呟き、静かに書類を閉じた。



ヴァイスは侍従を呼び、二つの命令を下した。

一、監視の強化。
王妃の侍女マルグリット、老騎士ゼオンを含む王宮警備に
「王妃の健康管理」を名目とした密やかな監視を徹底させる。
特にリリアナが外部と接触する兆候は、即座に報告させる。

二、情報の撹乱。
禁書庫で王妃が興味を示した古文書や病の記録とは無関係な“偽情報”を宮廷内に流し、王妃の注意を逸らす罠を張る。

ヴァイスの冷静な策動は、皮肉にも──
必死に“生き延びよう”とするリリアナを、また一歩、冬至の夜会の悲劇へと追い詰めていくのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~

桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜 ★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました! 10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。 現在コミカライズも進行中です。 「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」 コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。 しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。 愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。 だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。 どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。 もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。 ※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!) 独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。 ※誤字脱字報告もありがとうございます! こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。

王女に夢中な婚約者様、さようなら 〜自分を取り戻したあとの学園生活は幸せです! 〜

鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
王立学園への入学をきっかけに、領地の屋敷から王都のタウンハウスへと引っ越した、ハートリー伯爵家の令嬢ロザリンド。婚約者ルパートとともに始まるはずの学園生活を楽しみにしていた。 けれど現実は、王女殿下のご機嫌を取るための、ルパートからの理不尽な命令の連続。 「かつらと黒縁眼鏡の着用必須」「王女殿下より目立つな」「見目の良い男性、高位貴族の子息らと会話をするな」……。 ルパートから渡された「禁止事項一覧表」に縛られ、ロザリンドは期待とは真逆の、暗黒の学園生活を送ることに。 そんな日々の中での唯一の救いとなったのは、友人となってくれた冷静で聡明な公爵令嬢、ノエリスの存在だった。 学期末、ロザリンドはついにルパートの怒りを買い、婚約破棄を言い渡される。 けれど、深く傷つきながら長期休暇を迎えたロザリンドのもとに届いたのは、兄の友人であり王国騎士団に属する公爵令息クライヴからの婚約の申し出だった。 暗黒の一学期が嘘のように、幸せな長期休暇を過ごしたロザリンド。けれど新学期を迎えると、エメライン王女が接触してきて……。 ※10万文字超えそうなので長編に変更します。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

妹の方が大事だとおっしゃる旦那様。なら妹と婚約すればいいのでは??

睡蓮
恋愛
ロンベル伯爵とセレシアは婚約関係にあったものの、ロンベルには3人の妹がおり、彼はそちらの方にばかり気をかけていた。そんなある日の事、ロンベルは一方的な理由をつけてセレシアの事を婚約破棄してしまう。そこには妹に対するゆがんだ思いがあったのであろうが、彼は後にその感情によって自らを滅ぼすことになるのだった…。

どうかこの偽りがいつまでも続きますように…

矢野りと
恋愛
ある日突然『魅了』の罪で捕らえられてしまった。でも誤解はすぐに解けるはずと思っていた、だって私は魅了なんて使っていないのだから…。 それなのに真実は闇に葬り去られ、残ったのは周囲からの冷たい眼差しだけ。 もう誰も私を信じてはくれない。 昨日までは『絶対に君を信じている』と言っていた婚約者さえも憎悪を向けてくる。 まるで人が変わったかのように…。 *設定はゆるいです。

裏切られ殺されたわたし。生まれ変わったわたしは今度こそ幸せになりたい。

たろ
恋愛
大好きな貴方はわたしを裏切り、そして殺されました。 次の人生では幸せになりたい。 前世を思い出したわたしには嫌悪しかない。もう貴方の愛はいらないから!! 自分が王妃だったこと。どんなに国王を愛していたか思い出すと胸が苦しくなる。でももう前世のことは忘れる。 そして元彼のことも。 現代と夢の中の前世の話が進行していきます。

私達、婚約破棄しましょう

アリス
恋愛
余命宣告を受けたエニシダは最後は自由に生きようと婚約破棄をすることを決意する。 婚約者には愛する人がいる。 彼女との幸せを願い、エニシダは残りの人生は旅をしようと家を出る。 婚約者からも家族からも愛されない彼女は最後くらい好きに生きたかった。 だが、なぜか婚約者は彼女を追いかけ……

こんな婚約者は貴女にあげる

如月圭
恋愛
アルカは十八才のローゼン伯爵家の長女として、この世に生を受ける。婚約者のステファン様は自分には興味がないらしい。妹のアメリアには、興味があるようだ。双子のはずなのにどうしてこんなに差があるのか、誰か教えて欲しい……。 初めての投稿なので温かい目で見てくださると幸いです。

【完結】二度目の恋はもう諦めたくない。

たろ
恋愛
セレンは15歳の時に16歳のスティーブ・ロセスと結婚した。いわゆる政略的な結婚で、幼馴染でいつも喧嘩ばかりの二人は歩み寄りもなく一年で離縁した。 その一年間をなかったものにするため、お互い全く別のところへ移り住んだ。 スティーブはアルク国に留学してしまった。 セレンは国の文官の試験を受けて働くことになった。配属は何故か騎士団の事務員。 本人は全く気がついていないが騎士団員の間では 『可愛い子兎』と呼ばれ、何かと理由をつけては事務室にみんな足を運ぶこととなる。 そんな騎士団に入隊してきたのが、スティーブ。 お互い結婚していたことはなかったことにしようと、話すこともなく目も合わせないで過ごした。 本当はお互い好き合っているのに素直になれない二人。 そして、少しずつお互いの誤解が解けてもう一度…… 始めの数話は幼い頃の出会い。 そして結婚1年間の話。 再会と続きます。

処理中です...