14 / 19
第13章:山荘への潜入
しおりを挟む
翌朝。
冷たい霧が立ち込める王都郊外を、王妃リリアナを乗せた馬車が進んでいた。周囲を固めるのは、厳重な装備に身を包んだ騎士団。その中心で指揮を執るのは、老騎士ゼオンである。
表向きの目的は、王妃の私的な「修道院への礼拝」。
だが、馬車の中のリリアナは、モスグリーンのローブの下に、動きやすい簡素な衣と、護身用の小さな短剣を忍ばせていた。
警護を率いるゼオンは、王妃の「名誉のために祈る」という言葉が、今も胸に引っかかっていた。
だが彼は騎士であり、王命に背くことはできない。ただ、リリアナが無事に修道院から戻ることを、心の底から願っていた。
やがて馬車は、修道院へ続く分岐路に差しかかる。
その瞬間、リリアナは御者に、わずかな合図を送った。
御者は、彼女が密かに雇い入れた、完全に信頼できる人物だった。
「ゼオン卿……」
かすかに掠れた声で、リリアナが呼びかける。
「急に、体調が優れなくなってしまいました。修道院は、また日を改めたいと思います」
馬車の外で、ゼオンが息を呑む気配がした。
「この先にある、鳥類学者の私邸で、少し休ませていただけませんか……」
咳を一つ。
それは、計算された弱さだった。
「鳥類学者……まさか、あの宰相閣下の……」
「ええ。宰相閣下の学術施設です。人目につかず、静かに休める場所かと存じます」
ゼオンは即答できなかった。
宰相ヴァイスの私邸に王妃を伴うなど、本来は任務の範囲外だ。だが、王妃の体調不良という緊急事態を前に、判断を先延ばしにする余地はなかった。
「……畏まりました」
短い沈黙ののち、彼は決断する。
「警備をさらに厳重にし、王妃様を安全にお送りいたします」
こうして、ゼオン率いる警護隊は、**「王妃の安全確保」**という名目のもと、ヴァイスの秘密の山荘へと進路を変えた。
その時点で、ゼオンはまだ――
自分が、王妃に導かれていることに気づいていなかった。
山荘は、森の奥深くにひっそりと佇んでいた。
豪奢ではあるが、どこか息苦しいほどの陰鬱さをまとった建物だ。
リリアナは、体調が回復したかのように振る舞い、ゼオンに告げた。
「少し、一人で休ませてくださいませ」
渋るゼオンだったが、最終的には了承し、騎士団に山荘周囲の厳重な警備を命じた。
その隙を突き、リリアナは監視の目を縫うようにして、山荘内部へと入り込む。
目指すのは、ヴァイスの書斎だった。
室内には、異国の珍鳥を扱った分厚い図鑑と、膨大な行政書類が雑然と積み上げられている。
リリアナの目的はただ一つ。
隣国使者レナルド侯爵の滞在中に、ヴァイスが隠した――「藍晶石」に関する最終契約書。
(ヴァイス卿は、完璧主義者。
最も重要なものほど、最も目立たない場所に隠す)
彼女は書棚の背板、机の二重底、壁の隠し棚。
考えうる場所を、冷静に一つずつ調べていった。
やがてリリアナは、書斎の壁に掲げられた、アルカディア王国の古い紋章に違和感を覚えた。
――わずかに、浮いている。
彼女は慎重に紋章を外した。
その裏には、小さな金庫が埋め込まれていた。
鍵を探す必要はない。
一度目の人生で、ヴァイスがアレス王に偽証拠を提示した際、胸元のロケットから鍵を取り出した光景を、彼女は曖昧ながら覚えていた。
(鍵は、今もヴァイス卿の身にある……)
時間は残されていない。
リリアナは懐から短剣を取り出し、その刃先を金庫の継ぎ目に差し込んだ。
力を込める。
一瞬の静寂の後、
**「カチッ」**という微かな音とともに、金庫の扉がゆっくりと開いた。
中に収められていたのは、二つの物。
一つ。
『アルカディア—ルーペシア王国 鉱物資源協定』
隣国と宰相ヴァイスの署名が並ぶ、正式な契約書。
そしてもう一つ。
青みを帯びた数本の羽。
その羽軸の根元には、極細の文字で、通信に用いられた暗号コードが書き込まれていた。
――藍晶石の採掘権。
――王妃処断を条件とした裏取引。
その全貌が、ここにあった。
(これで……夜会の夜、陛下を救える)
リリアナは、契約書と羽を素早くローブの懐に収め、金庫を元の状態に戻した。
そのとき――
廊下の奥から、騎士団の足音が近づいてくる。
王妃の長時間の滞在を不審に思い、ゼオンが様子を見に来たのだ。
リリアナは書斎を後にした。
誰にも気取られることなく。
こうして、彼女の孤独な潜入は、決死の成果を手にして終わりを迎えた。
冷たい霧が立ち込める王都郊外を、王妃リリアナを乗せた馬車が進んでいた。周囲を固めるのは、厳重な装備に身を包んだ騎士団。その中心で指揮を執るのは、老騎士ゼオンである。
表向きの目的は、王妃の私的な「修道院への礼拝」。
だが、馬車の中のリリアナは、モスグリーンのローブの下に、動きやすい簡素な衣と、護身用の小さな短剣を忍ばせていた。
警護を率いるゼオンは、王妃の「名誉のために祈る」という言葉が、今も胸に引っかかっていた。
だが彼は騎士であり、王命に背くことはできない。ただ、リリアナが無事に修道院から戻ることを、心の底から願っていた。
やがて馬車は、修道院へ続く分岐路に差しかかる。
その瞬間、リリアナは御者に、わずかな合図を送った。
御者は、彼女が密かに雇い入れた、完全に信頼できる人物だった。
「ゼオン卿……」
かすかに掠れた声で、リリアナが呼びかける。
「急に、体調が優れなくなってしまいました。修道院は、また日を改めたいと思います」
馬車の外で、ゼオンが息を呑む気配がした。
「この先にある、鳥類学者の私邸で、少し休ませていただけませんか……」
咳を一つ。
それは、計算された弱さだった。
「鳥類学者……まさか、あの宰相閣下の……」
「ええ。宰相閣下の学術施設です。人目につかず、静かに休める場所かと存じます」
ゼオンは即答できなかった。
宰相ヴァイスの私邸に王妃を伴うなど、本来は任務の範囲外だ。だが、王妃の体調不良という緊急事態を前に、判断を先延ばしにする余地はなかった。
「……畏まりました」
短い沈黙ののち、彼は決断する。
「警備をさらに厳重にし、王妃様を安全にお送りいたします」
こうして、ゼオン率いる警護隊は、**「王妃の安全確保」**という名目のもと、ヴァイスの秘密の山荘へと進路を変えた。
その時点で、ゼオンはまだ――
自分が、王妃に導かれていることに気づいていなかった。
山荘は、森の奥深くにひっそりと佇んでいた。
豪奢ではあるが、どこか息苦しいほどの陰鬱さをまとった建物だ。
リリアナは、体調が回復したかのように振る舞い、ゼオンに告げた。
「少し、一人で休ませてくださいませ」
渋るゼオンだったが、最終的には了承し、騎士団に山荘周囲の厳重な警備を命じた。
その隙を突き、リリアナは監視の目を縫うようにして、山荘内部へと入り込む。
目指すのは、ヴァイスの書斎だった。
室内には、異国の珍鳥を扱った分厚い図鑑と、膨大な行政書類が雑然と積み上げられている。
リリアナの目的はただ一つ。
隣国使者レナルド侯爵の滞在中に、ヴァイスが隠した――「藍晶石」に関する最終契約書。
(ヴァイス卿は、完璧主義者。
最も重要なものほど、最も目立たない場所に隠す)
彼女は書棚の背板、机の二重底、壁の隠し棚。
考えうる場所を、冷静に一つずつ調べていった。
やがてリリアナは、書斎の壁に掲げられた、アルカディア王国の古い紋章に違和感を覚えた。
――わずかに、浮いている。
彼女は慎重に紋章を外した。
その裏には、小さな金庫が埋め込まれていた。
鍵を探す必要はない。
一度目の人生で、ヴァイスがアレス王に偽証拠を提示した際、胸元のロケットから鍵を取り出した光景を、彼女は曖昧ながら覚えていた。
(鍵は、今もヴァイス卿の身にある……)
時間は残されていない。
リリアナは懐から短剣を取り出し、その刃先を金庫の継ぎ目に差し込んだ。
力を込める。
一瞬の静寂の後、
**「カチッ」**という微かな音とともに、金庫の扉がゆっくりと開いた。
中に収められていたのは、二つの物。
一つ。
『アルカディア—ルーペシア王国 鉱物資源協定』
隣国と宰相ヴァイスの署名が並ぶ、正式な契約書。
そしてもう一つ。
青みを帯びた数本の羽。
その羽軸の根元には、極細の文字で、通信に用いられた暗号コードが書き込まれていた。
――藍晶石の採掘権。
――王妃処断を条件とした裏取引。
その全貌が、ここにあった。
(これで……夜会の夜、陛下を救える)
リリアナは、契約書と羽を素早くローブの懐に収め、金庫を元の状態に戻した。
そのとき――
廊下の奥から、騎士団の足音が近づいてくる。
王妃の長時間の滞在を不審に思い、ゼオンが様子を見に来たのだ。
リリアナは書斎を後にした。
誰にも気取られることなく。
こうして、彼女の孤独な潜入は、決死の成果を手にして終わりを迎えた。
34
あなたにおすすめの小説
もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~
桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜
★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました!
10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。
現在コミカライズも進行中です。
「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」
コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。
しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。
愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。
だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。
どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。
もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。
※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!)
独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。
※誤字脱字報告もありがとうございます!
こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。
王女に夢中な婚約者様、さようなら 〜自分を取り戻したあとの学園生活は幸せです! 〜
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
王立学園への入学をきっかけに、領地の屋敷から王都のタウンハウスへと引っ越した、ハートリー伯爵家の令嬢ロザリンド。婚約者ルパートとともに始まるはずの学園生活を楽しみにしていた。
けれど現実は、王女殿下のご機嫌を取るための、ルパートからの理不尽な命令の連続。
「かつらと黒縁眼鏡の着用必須」「王女殿下より目立つな」「見目の良い男性、高位貴族の子息らと会話をするな」……。
ルパートから渡された「禁止事項一覧表」に縛られ、ロザリンドは期待とは真逆の、暗黒の学園生活を送ることに。
そんな日々の中での唯一の救いとなったのは、友人となってくれた冷静で聡明な公爵令嬢、ノエリスの存在だった。
学期末、ロザリンドはついにルパートの怒りを買い、婚約破棄を言い渡される。
けれど、深く傷つきながら長期休暇を迎えたロザリンドのもとに届いたのは、兄の友人であり王国騎士団に属する公爵令息クライヴからの婚約の申し出だった。
暗黒の一学期が嘘のように、幸せな長期休暇を過ごしたロザリンド。けれど新学期を迎えると、エメライン王女が接触してきて……。
※10万文字超えそうなので長編に変更します。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
妹の方が大事だとおっしゃる旦那様。なら妹と婚約すればいいのでは??
睡蓮
恋愛
ロンベル伯爵とセレシアは婚約関係にあったものの、ロンベルには3人の妹がおり、彼はそちらの方にばかり気をかけていた。そんなある日の事、ロンベルは一方的な理由をつけてセレシアの事を婚約破棄してしまう。そこには妹に対するゆがんだ思いがあったのであろうが、彼は後にその感情によって自らを滅ぼすことになるのだった…。
どうかこの偽りがいつまでも続きますように…
矢野りと
恋愛
ある日突然『魅了』の罪で捕らえられてしまった。でも誤解はすぐに解けるはずと思っていた、だって私は魅了なんて使っていないのだから…。
それなのに真実は闇に葬り去られ、残ったのは周囲からの冷たい眼差しだけ。
もう誰も私を信じてはくれない。
昨日までは『絶対に君を信じている』と言っていた婚約者さえも憎悪を向けてくる。
まるで人が変わったかのように…。
*設定はゆるいです。
裏切られ殺されたわたし。生まれ変わったわたしは今度こそ幸せになりたい。
たろ
恋愛
大好きな貴方はわたしを裏切り、そして殺されました。
次の人生では幸せになりたい。
前世を思い出したわたしには嫌悪しかない。もう貴方の愛はいらないから!!
自分が王妃だったこと。どんなに国王を愛していたか思い出すと胸が苦しくなる。でももう前世のことは忘れる。
そして元彼のことも。
現代と夢の中の前世の話が進行していきます。
私達、婚約破棄しましょう
アリス
恋愛
余命宣告を受けたエニシダは最後は自由に生きようと婚約破棄をすることを決意する。
婚約者には愛する人がいる。
彼女との幸せを願い、エニシダは残りの人生は旅をしようと家を出る。
婚約者からも家族からも愛されない彼女は最後くらい好きに生きたかった。
だが、なぜか婚約者は彼女を追いかけ……
こんな婚約者は貴女にあげる
如月圭
恋愛
アルカは十八才のローゼン伯爵家の長女として、この世に生を受ける。婚約者のステファン様は自分には興味がないらしい。妹のアメリアには、興味があるようだ。双子のはずなのにどうしてこんなに差があるのか、誰か教えて欲しい……。
初めての投稿なので温かい目で見てくださると幸いです。
【完結】二度目の恋はもう諦めたくない。
たろ
恋愛
セレンは15歳の時に16歳のスティーブ・ロセスと結婚した。いわゆる政略的な結婚で、幼馴染でいつも喧嘩ばかりの二人は歩み寄りもなく一年で離縁した。
その一年間をなかったものにするため、お互い全く別のところへ移り住んだ。
スティーブはアルク国に留学してしまった。
セレンは国の文官の試験を受けて働くことになった。配属は何故か騎士団の事務員。
本人は全く気がついていないが騎士団員の間では
『可愛い子兎』と呼ばれ、何かと理由をつけては事務室にみんな足を運ぶこととなる。
そんな騎士団に入隊してきたのが、スティーブ。
お互い結婚していたことはなかったことにしようと、話すこともなく目も合わせないで過ごした。
本当はお互い好き合っているのに素直になれない二人。
そして、少しずつお互いの誤解が解けてもう一度……
始めの数話は幼い頃の出会い。
そして結婚1年間の話。
再会と続きます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる