王妃はただ、殺されないことを願う

柴田はつみ

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第14章:老騎士の問い

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ヴァイスの山荘を後にし、王宮へ戻る馬車の中は、行きとは打って変わって重い沈黙に支配されていた。

リリアナは、モスグリーンのローブの懐に忍ばせた契約書と、青い羽の確かな重みを意識しながら、静かに背を預けている。その表情に、先ほどまでの緊張はない。ただ、揺るがぬ決意だけが、凛と宿っていた。

一方、護衛の先頭を走る老騎士ゼオンの胸中は、安堵よりも深い疑念で満たされていた。

(なぜ、王妃様は突然体調を崩され、宰相閣下の私邸へ向かわれたのか……。
そして、なぜ、あの短い滞在の後、あれほど静かな満足を浮かべておられたのか)

彼は気づき始めていた。
王妃の言動のすべてが、当初掲げられていた**「修道院での礼拝」**という目的から、意図的に外れていることを。

――王妃は、あの山荘で何かを探っていたのではないか。

その考えが、ゼオンの胸を冷たく締めつけた。


王宮に戻り、他の騎士たちが持ち場へ散った後。
ゼオンは、リリアナの私室の前で足を止めた。

迷いの末、彼は意を決し、扉の前で膝をつく。

「王妃様。恐れながら、一言……進言をお許しください」

リリアナは、振り返り、穏やかな微笑みを浮かべたまま彼を見下ろした。
その瞳は冷静で、ゼオンの胸に渦巻く動揺を、すべて承知しているかのようだった。

「ゼオン卿。ご苦労様でした。……何か、お尋ねになりたいことがおありなのですね」

ゼオンは一度、深く息を吸い、真っ直ぐに王妃を見上げた。

「王妃様。なぜ、あの山荘へ向かわれたのですか。
そして――以前、私におっしゃった**『主君の誤り』**とは、いったい何を意味しておられるのですか」

それは、忠誠と苦悩の狭間で絞り出した問いだった。

もし王妃が、隣国の陰謀に加担しているのなら、彼はそれを暴かねばならない。
だが、もし彼女が真に王国と国王を救おうとしているのなら――命を賭してでも、力を貸したい。


リリアナは、この瞬間を待っていた。

警戒心は、すでに疑念へ。
そして今、ゼオンは**「真実を知ろうとする側」**に立っている。

リリアナは静かに言った。

「ゼオン卿。私は、あなたを信じています」

その声音には、一切の揺らぎがなかった。

「あなたが、アレス陛下に嘘偽りのない忠誠を捧げてきたことを、私は知っています」

そう言って、彼女はローブの懐から、一通の書類を取り出した。
ヴァイスと隣国使者の署名が記された――契約書の写し。

それを、そっとゼオンの前に差し出す。

「これが、私が山荘で手に入れたものです。
あなたが問うた**『主君の誤り』**とは、これを見逃し、信じてしまったことです」

ゼオンは震える手で書類を受け取り、目を走らせた。

――藍晶石の採掘権。
――王妃処断を条件とする裏取引。

その一文一文が、彼の信じてきた王国の正義を、音もなく崩していく。

「……まさか……」
ゼオンの声は、かすれていた。
「ヴァイス宰相が……このような、卑劣な真似を……」

「ええ」

リリアナは、静かに言い切った。

「この国を滅ぼそうとしているのは、私の『呪いの血』ではありません。
宰相ヴァイスと、隣国の野心です」

彼女は、ゼオンの瞳を真正面から見据える。

「私は、ただ殺されずに生きたいだけではありません。
愛する夫の王国の名誉が、あなたの忠誠が、踏みにじられることを……見過ごせないのです」

一瞬、間を置き、続けた。

「どうか、私を信じてください。
この国の闇を暴くために――力を貸してほしいのです」

ゼオンは、その瞳に宿る炎を見た。
それは諜報員の冷酷さではない。
王国を守ろうとする、王妃の決死の覚悟だった。

彼は、契約書の写しを強く握りしめ、深く頭を垂れた。

「王妃様……。
私の忠誠は、常にこの国にあります。陛下にお仕えしてきた名誉にかけて、この陰謀を許しません」

顔を上げ、静かに、だが確かに誓う。

「この身、喜んで――王妃様の剣となりましょう」

こうして老騎士ゼオンは、
リリアナにとって最初であり、最も揺るがぬ協力者となった。

冬至の夜会へ向けた戦いは、
孤独な王妃のものから、二人きりの秘密の戦いへと姿を変えたのだった。
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