王妃はただ、殺されないことを願う

柴田はつみ

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第13章:山荘への潜入

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翌朝。
冷たい霧が立ち込める王都郊外を、王妃リリアナを乗せた馬車が進んでいた。周囲を固めるのは、厳重な装備に身を包んだ騎士団。その中心で指揮を執るのは、老騎士ゼオンである。

表向きの目的は、王妃の私的な「修道院への礼拝」。
だが、馬車の中のリリアナは、モスグリーンのローブの下に、動きやすい簡素な衣と、護身用の小さな短剣を忍ばせていた。

警護を率いるゼオンは、王妃の「名誉のために祈る」という言葉が、今も胸に引っかかっていた。
だが彼は騎士であり、王命に背くことはできない。ただ、リリアナが無事に修道院から戻ることを、心の底から願っていた。

やがて馬車は、修道院へ続く分岐路に差しかかる。

その瞬間、リリアナは御者に、わずかな合図を送った。
御者は、彼女が密かに雇い入れた、完全に信頼できる人物だった。

「ゼオン卿……」

かすかに掠れた声で、リリアナが呼びかける。

「急に、体調が優れなくなってしまいました。修道院は、また日を改めたいと思います」

馬車の外で、ゼオンが息を呑む気配がした。

「この先にある、鳥類学者の私邸で、少し休ませていただけませんか……」

咳を一つ。
それは、計算された弱さだった。

「鳥類学者……まさか、あの宰相閣下の……」

「ええ。宰相閣下の学術施設です。人目につかず、静かに休める場所かと存じます」

ゼオンは即答できなかった。
宰相ヴァイスの私邸に王妃を伴うなど、本来は任務の範囲外だ。だが、王妃の体調不良という緊急事態を前に、判断を先延ばしにする余地はなかった。

「……畏まりました」

短い沈黙ののち、彼は決断する。

「警備をさらに厳重にし、王妃様を安全にお送りいたします」

こうして、ゼオン率いる警護隊は、**「王妃の安全確保」**という名目のもと、ヴァイスの秘密の山荘へと進路を変えた。

その時点で、ゼオンはまだ――
自分が、王妃に導かれていることに気づいていなかった。

山荘は、森の奥深くにひっそりと佇んでいた。
豪奢ではあるが、どこか息苦しいほどの陰鬱さをまとった建物だ。

リリアナは、体調が回復したかのように振る舞い、ゼオンに告げた。

「少し、一人で休ませてくださいませ」

渋るゼオンだったが、最終的には了承し、騎士団に山荘周囲の厳重な警備を命じた。

その隙を突き、リリアナは監視の目を縫うようにして、山荘内部へと入り込む。
目指すのは、ヴァイスの書斎だった。

室内には、異国の珍鳥を扱った分厚い図鑑と、膨大な行政書類が雑然と積み上げられている。

リリアナの目的はただ一つ。
隣国使者レナルド侯爵の滞在中に、ヴァイスが隠した――「藍晶石」に関する最終契約書。

(ヴァイス卿は、完璧主義者。
最も重要なものほど、最も目立たない場所に隠す)

彼女は書棚の背板、机の二重底、壁の隠し棚。
考えうる場所を、冷静に一つずつ調べていった。

やがてリリアナは、書斎の壁に掲げられた、アルカディア王国の古い紋章に違和感を覚えた。

――わずかに、浮いている。

彼女は慎重に紋章を外した。
その裏には、小さな金庫が埋め込まれていた。

鍵を探す必要はない。
一度目の人生で、ヴァイスがアレス王に偽証拠を提示した際、胸元のロケットから鍵を取り出した光景を、彼女は曖昧ながら覚えていた。

(鍵は、今もヴァイス卿の身にある……)

時間は残されていない。
リリアナは懐から短剣を取り出し、その刃先を金庫の継ぎ目に差し込んだ。

力を込める。

一瞬の静寂の後、
**「カチッ」**という微かな音とともに、金庫の扉がゆっくりと開いた。

中に収められていたのは、二つの物。

一つ。
『アルカディア—ルーペシア王国 鉱物資源協定』
隣国と宰相ヴァイスの署名が並ぶ、正式な契約書。

そしてもう一つ。
青みを帯びた数本の羽。
その羽軸の根元には、極細の文字で、通信に用いられた暗号コードが書き込まれていた。

――藍晶石の採掘権。
――王妃処断を条件とした裏取引。

その全貌が、ここにあった。

(これで……夜会の夜、陛下を救える)

リリアナは、契約書と羽を素早くローブの懐に収め、金庫を元の状態に戻した。

そのとき――
廊下の奥から、騎士団の足音が近づいてくる。

王妃の長時間の滞在を不審に思い、ゼオンが様子を見に来たのだ。

リリアナは書斎を後にした。
誰にも気取られることなく。

こうして、彼女の孤独な潜入は、決死の成果を手にして終わりを迎えた。
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