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第二十六・五章(裏章) 「マリナ――ドレスに仕込む午後」
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午後の伯爵家。
アトリエ棟の窓から差し込む光は、
季節の変わり目を告げるように淡い金色を帯びていた。
部屋の中央には、白いドレスの仮縫いが一着。
ヴァレンタイン家から預かった、
舞踏会当日にシャーロットが着る予定のものだ。
マリナは、静かにその前に立った。
淡いレース。
純白の裾。
何一つ欠点のない、美しい仕立て。
――だからこそ。
彼女はそこに “一つだけ欠点” を忍ばせる価値があると思った。
「……脆さは、美に紛れさせるのが一番よ」
呟く声は優しく、
しかし、芯に冷たいものを宿す。
傍で待機していた侍女リディアは、
緊張した面持ちで針箱を抱えていた。
「お嬢さま……本当に、ここを?」
「ええ。裾の三本目の縫い目。
ここなら、広間で一度ターンしただけで力がかかるわ」
マリナは糸をつまみ、軽く引いた。
目立たない。
気づかれない。
だが、確かな“弱さ”がそこにある。
リディアは震える声で問う。
「……破れたら、シャーロット様は……」
「恥をかくだけよ。
誰も命を落とさない。
噂をひとつ、加速させるだけ」
――まるで“慈善活動”でもするような声だった。
「鍵は?」
「こちらに……本物と同じ形です。
予備ドレスの部屋の鍵穴にはまります」
「よろしいわ。
破れた後、着替えができなければ……“逃げ場”がなくなるもの」
マリナは微笑んだ。
その笑みは、飴細工のように甘く、
その奥は刃物のように冷たい。
彼女はドレスの裾を持ち上げ、
布の裏を丁寧になぞりながら呟く。
「本当はね……
シャーロット様が嫌いなわけではないの」
リディアの息が止まる。
「ただ――
カルロス様の隣には“私”がふさわしいと思っているだけ」
その信念は、彼女の中では真実だった。
「シャーロット様は美しい方。優しい方。
でも、優しさは弱さに見えることがあるの。
公爵夫人には……“強さ”がいるわ」
指先が裾をそっと押す。
弱糸の部分が、わずかにたわむ。
「壊れやすいものを隣に置いて、
カルロス様は幸せになれると思う?」
リディアは、返事を失った。
部屋の隅には、
シャーロットの本物のレースと同じ布で作った
“偽の破片”が並んでいた。
マリナはそれを一つ取り、
光に透かしながら眺める。
「破れた瞬間、
この布片が床に散らばるようにしておくの。
“粗悪な縫製だった”という噂が自然に立つわ」
「……王妃様や王子殿下が、すぐに否定されるのでは……?」
「もちろん。でもね」
マリナは微笑んだ。
扇の陰から覗くその瞳は、暗い光を宿す。
「噂の火は、一度つけば簡単には消えないわ。
火種をひとつ置くだけで、人は勝手に燃やしてくれるの」
それこそが、彼女の熟知する“社交界の本質”。
リディアが、勇気を振り絞って尋ねる。
「……本当に、これでよろしいのですか。
もし、シャーロット様が……泣かれたら」
「泣くでしょうね。
でも、泣くということは……弱いということ」
マリナの声は淡々と美しく、
その言葉の残酷さとは裏腹だった。
「弱い方に、カルロス様は飽きるわ」
扇を閉じる音が、乾いた空気を切る。
「泣き顔を見て、“守りたい”と思うのは今だけ。
守り続けることに疲れた時、
ふさわしい相手が誰か――カルロス様は気づくはずよ」
その“ふさわしい相手”が自分だと、
疑いなく信じている声だった。
準備がすべて整ったと確認すると、
マリナはふっと息を吐き、窓辺へ歩く。
王城の旗が風に揺れ、
遠くの空が夕刻の紅に染まりつつある。
「さあ――舞踏会の夜を始めましょう。
シャーロット様には、“相性”を知っていただくわ」
その言葉は、
悪女の優雅な宣戦布告だった。
アイリスの香が、
静かに部屋の空気へ溶けていく。
その香りこそが、
後に“証拠”となることも知らずに。
アトリエ棟の窓から差し込む光は、
季節の変わり目を告げるように淡い金色を帯びていた。
部屋の中央には、白いドレスの仮縫いが一着。
ヴァレンタイン家から預かった、
舞踏会当日にシャーロットが着る予定のものだ。
マリナは、静かにその前に立った。
淡いレース。
純白の裾。
何一つ欠点のない、美しい仕立て。
――だからこそ。
彼女はそこに “一つだけ欠点” を忍ばせる価値があると思った。
「……脆さは、美に紛れさせるのが一番よ」
呟く声は優しく、
しかし、芯に冷たいものを宿す。
傍で待機していた侍女リディアは、
緊張した面持ちで針箱を抱えていた。
「お嬢さま……本当に、ここを?」
「ええ。裾の三本目の縫い目。
ここなら、広間で一度ターンしただけで力がかかるわ」
マリナは糸をつまみ、軽く引いた。
目立たない。
気づかれない。
だが、確かな“弱さ”がそこにある。
リディアは震える声で問う。
「……破れたら、シャーロット様は……」
「恥をかくだけよ。
誰も命を落とさない。
噂をひとつ、加速させるだけ」
――まるで“慈善活動”でもするような声だった。
「鍵は?」
「こちらに……本物と同じ形です。
予備ドレスの部屋の鍵穴にはまります」
「よろしいわ。
破れた後、着替えができなければ……“逃げ場”がなくなるもの」
マリナは微笑んだ。
その笑みは、飴細工のように甘く、
その奥は刃物のように冷たい。
彼女はドレスの裾を持ち上げ、
布の裏を丁寧になぞりながら呟く。
「本当はね……
シャーロット様が嫌いなわけではないの」
リディアの息が止まる。
「ただ――
カルロス様の隣には“私”がふさわしいと思っているだけ」
その信念は、彼女の中では真実だった。
「シャーロット様は美しい方。優しい方。
でも、優しさは弱さに見えることがあるの。
公爵夫人には……“強さ”がいるわ」
指先が裾をそっと押す。
弱糸の部分が、わずかにたわむ。
「壊れやすいものを隣に置いて、
カルロス様は幸せになれると思う?」
リディアは、返事を失った。
部屋の隅には、
シャーロットの本物のレースと同じ布で作った
“偽の破片”が並んでいた。
マリナはそれを一つ取り、
光に透かしながら眺める。
「破れた瞬間、
この布片が床に散らばるようにしておくの。
“粗悪な縫製だった”という噂が自然に立つわ」
「……王妃様や王子殿下が、すぐに否定されるのでは……?」
「もちろん。でもね」
マリナは微笑んだ。
扇の陰から覗くその瞳は、暗い光を宿す。
「噂の火は、一度つけば簡単には消えないわ。
火種をひとつ置くだけで、人は勝手に燃やしてくれるの」
それこそが、彼女の熟知する“社交界の本質”。
リディアが、勇気を振り絞って尋ねる。
「……本当に、これでよろしいのですか。
もし、シャーロット様が……泣かれたら」
「泣くでしょうね。
でも、泣くということは……弱いということ」
マリナの声は淡々と美しく、
その言葉の残酷さとは裏腹だった。
「弱い方に、カルロス様は飽きるわ」
扇を閉じる音が、乾いた空気を切る。
「泣き顔を見て、“守りたい”と思うのは今だけ。
守り続けることに疲れた時、
ふさわしい相手が誰か――カルロス様は気づくはずよ」
その“ふさわしい相手”が自分だと、
疑いなく信じている声だった。
準備がすべて整ったと確認すると、
マリナはふっと息を吐き、窓辺へ歩く。
王城の旗が風に揺れ、
遠くの空が夕刻の紅に染まりつつある。
「さあ――舞踏会の夜を始めましょう。
シャーロット様には、“相性”を知っていただくわ」
その言葉は、
悪女の優雅な宣戦布告だった。
アイリスの香が、
静かに部屋の空気へ溶けていく。
その香りこそが、
後に“証拠”となることも知らずに。
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