『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ

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第4章「庭園の沈黙」

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春の光が薄く差し込む庭園には、
白い小花が穏やかな風に揺れていた。

大きな噴水の水音が、
まるで遠い記憶のように静かに響いている。

シャルロットはカルロスの後ろを歩きながら、
その背中の“遠さ”をどうしても忘れられなかった。

(あの肖像画……
 前妻様の美しさが、胸に刺さったまま)

カルロスは庭園を見渡しながらゆっくりと歩く。
歩幅は大きいのに、彼の足音は驚くほど静かだった。

「……ここは、エリ──」

また。
ほんの一瞬だったが、前妻の名が零れかけた。

カルロスは言葉を飲み込み、
代わりに柔らかな声でつぶやいた。

「……季節の花が咲く。
 きっと、君にも気に入ってもらえると思う」

優しいのに、どこか苦しそうな声。

(“エリザベラ”と言いかけた……
 やっぱり……この庭は、前妻様の思い出の場所?)

胸が細かく震えた。

シャルロットは花壇の前で足を止め、
白い小花にそっと触れた。

「この花……私も昔、好きでした」

風に揺れる花弁が陽に透けて、
硝子のようにきらきら輝く。

カルロスは一瞬だけ動きを止めた。

「…………そうか」

短い返事。
けれどその一言が、どこか深い感情を含んでいた。

シャルロットは気づかない。
この花が、シャルロットが昔好きだと言った花で
カルロスが密かに残していた花だということを。

──しかし彼女はその小さな違和感に気づけないまま、
次の話題にそっと移った。

「公爵さまは……花園にいらっしゃることが多いのですか?」

カルロスは一度遠くを見るようにしてから答えた。

「……以前は、よく来ていた」

(“以前”……それは前妻様と?)

胸の奥に、またひびが入る。

カルロスはそんなシャルロットの変化に気づいたのか、
穏やかな声で言葉を繋いだ。

「花は……気持ちを落ち着かせてくれる。
 過去がどうであれ、今は君に見せたかった」

シャルロットは驚いて、彼を見つめた。

「……わたくしに?」

カルロスは目を伏せたまま頷く。

「ここは……静かだから。
 君の心が少しでも休まるのなら、と思った」

優しい。
優しいのに、どこか哀しげ。

どうしてそんな目をするのか、
どうして触れようとしないのか。

シャルロットは胸の奥に閉じ込めていた問いを、
思わず口にしてしまった。

「……公爵さまは、
 わたくしに触れるのが……お嫌いなのですか?」

カルロスは驚いたようにシャルロットを見つめ、
一歩だけ近づいた。

しかしまた、触れる寸前で止まる。

(どうして……触れてくれないの?)

沈黙が、ふたりの間に降る。

風が噴水の水を揺らし、
透き通った光の粒が二人の影を淡く照らした。

カルロスは静かに口を開いた。

「……嫌っているわけではない」

「では、どうして……?」

「……それは……今は言えない」

シャルロットは痛みを隠すように微笑んだ。

「わたくしが……後妻だから、ですか?」

カルロスは息を呑んだ。

「違う」

その瞳には、深い影と、
それ以上に強い“想い”が宿っていた。

ただ、その想いの名を、
彼はまだ言えなかった。

「いつか必ず……話す。
 だから……今は信じてほしい」

その言葉が風に乗って、
ふたりの間の“触れられない距離”だけを残す。

シャルロットは静かに頷き、
白い花にもう一度そっと触れた。

(……いつか、この距離が埋まる日が来るの?)

硝子色の光の中で、
その願いは儚く揺れていた。

そしてカルロスは、
視線を落としたまま小さくつぶやいた。

「……触れたいのは……君だけなのに」

その声は、
シャルロットには届かなかった。
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