『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ

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第6章「冷たい寝室」

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夜の帳がゆっくりと落ち、
シャルロットの寝室には静かな影が広がっていた。

窓辺に置かれたランプが柔らかな光を投げ、
白いカーテンが微かに揺れている。

午後会から戻ったシャルロットは、
胸の奥に残るざわめきを抑えられないまま、
鏡の前に静かに座っていた。

(……“影の夫人”)

さっきの噂の言葉が、
何度も胸の内で反響する。

「シャルロット」

静かなノックとともに、
カルロスの声が聞こえてきた。

シャルロットはハッとして立ち上がる。

「どうぞ……」

扉が開くと、カルロスが入ってきた。
夜の照明に照らされるその黒髪は、
どこか冷たくも美しかった。

「……午後会のこと、すまなかった」

「い、いえ。大丈夫ですわ」

微笑もうとするが、
ふと震えが混じってしまう。

カルロスはその震えに気づいたようで、
歩み寄ってきた。

「……辛かっただろう」

「平気です。
 公爵夫人なのですもの、耐えなければ……」

そう言うと、
カルロスの瞳がわずかに曇った。

彼は静かに一歩近づく。
だが、触れようと伸びた手は──
やはり途中で止まった。

その手が落ちる音が、
部屋の静けさの中でやけに大きく感じられる。

(また……触れてくれない)

胸が痛くなり、呼吸が浅くなる。

カルロスは深く息をつき、
窓辺へ歩いていった。

「……この部屋は、寒くないか?」

「寒く……ありませんわ」

嘘だった。
寒いのは部屋ではなく、胸の奥。

カルロスは窓の外を見つめながら言った。

「同じ部屋で休めなくて……すまない。
 仕事の都合だ」

仕事。
昨日もそう言って別室へ行った。

(本当に……仕事だけ?
 それとも……わたくしと同じ寝室が、嫌……?)

そう考えるたびに、
胸の奥の硝子が細かく割れる音がした。

カルロスはふいに振り返り、
静かに告げた。

「……君を拒んでいるわけではない」

「…………」

「君に触れられないのは……理由がある」

「……理由?」

「今は……話せない。
 だが君を傷つけたいわけじゃない」

その声は痛いほど不器用で、
彼自身も苦しんでいることが伝わってくる。

それなのに、
シャルロットの胸は救われなかった。

(理由がある?
 でもそれが何なのか分からなければ……
 結局拒絶されたと感じるだけ……)

シャルロットは静かに言う。

「……お嫌いなのだと思っていました」

カルロスの表情が一瞬だけ揺れた。

「嫌う……? 君を?」

「だって……触れようとしないから」

カルロスは息を呑み、
何かを言いかける。

けれどその言葉は、
沈黙に飲み込まれてしまった。

「……すまない。
 今は……何も言えない」

ほんの少し声が震えていた。

(どうして……そこまで言葉を閉ざしてしまうの?
 触れてほしい。
 ただ優しいだけじゃなくて……あなたの心が欲しいのに)

シャルロットはその想いを喉で必死に押し込んだ。

カルロスはゆっくりと頭を下げる。

「休むといい。
 ……おやすみ、シャルロット」

その声は誰より優しいのに、
どこまでも遠かった。

扉が静かに閉まり、
部屋には冷たい空気だけが残された。

シャルロットはベッドの端に腰を下ろし、
胸元を押さえる。

(どうして……こんなに苦しいの……?
 あなたの言葉一つで、こんなにも揺らいでしまうなんて……)

窓の外に浮かぶ月が、
硝子色の光を寝室に投げかける。

その光は冷たく、
まるで「夫婦なのに触れられない現実」を
静かに照らし出しているようだった。

シャルロットはそっと目を閉じ、
唇を噛んだ。

(いつか……この距離が埋まる日は来るの……?)

その夜、
“冷たい寝室”にいるのはシャルロットだけではなかった。

別室に向かったカルロスもまた、
胸の奥で同じ痛みに気づきながら、
ゆっくりと扉を閉めていた。
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