『影の夫人とガラスの花嫁』

第25章「白百合の遺書（偽装された死）」

鍵のない部屋に閉じ込められてから、
どれほど時間が経ったのか分からなかった。

シャルロットは肩を震わせ、
閉まった扉を見つめた。

「……公爵さま……
　この部屋……出られるのですか……？」

「落ち着け、シャルロット。
　恐らく、何者かが外側から押さえているだけだ」

カルロスは扉に手をつき、
力を込めて押した。

だが、びくとも動かない。

（外側から……？
　鍵もないのに……どうして……？）

その時――

部屋の奥から、
白百合の香りがまた漂ってきた。

（誰か……いる……）

カルロスが剣を構え、
シャルロットの前に立つ。

影の声が、
さきほどよりはっきりと聞こえた。

――「真実は、香りで消える」
――「香りを辿れば、嘘が見える」
――「死んだのは……誰？」

シャルロットの心臓が跳ねた。

（誰……？
　“誰が”死んだか……？）

カルロスは声を荒げた。

「エリザベラは死んだ。
　“その夜”に――」

影の声は笑った。

――「ええ、死んだわ」
――「けれど……誰が？」

シャルロットは息を呑む。

「エリザベラ様が……ではないのですか……？」

カルロスは苦しげに目を閉じた。

「……シャルロット。
　真実を話す時が来た」

シャルロットの胸が震えた。

（やっと……
　教えてくださるの……？）

カルロスは深く息を吸い、
壁際の古い机に歩み寄った。

そこには、
埃をかぶった木箱が置かれている。

カルロスはその箱を開けた。

中には――
白百合の香りが染み込んだ古い封筒があった。

シャルロットは小さく震える。

「これ……は……？」

カルロスは封筒を取り出し、
震える声で言った。

「エリザベラが……
　死ぬ前に書いた“遺書”だ」

シャルロットの目が大きく開かれる。

「遺書……！？」

カルロスは首を振る。

「だが……この遺書には問題がある。
　“封印されていたはずなのに、開いていた”」

シャルロットは息を飲む。

（封印……
　香水瓶と同じ……？）

カルロスは紙をそっと開いた。

白い紙は、
時間に少し黄ばみ、
しかし文字だけははっきりと残っている。

《——わたしは消える。
　追わないで。
　あなたが触れたものは壊れる。
　でも、最後に一つだけ真実を言うわ。
　“わたしは死なない”。》

シャルロットは顔を青ざめさせた。

（……死なない……？）

カルロスは大きく息を吐く。

「この遺書は……
　“死ぬと見せかけるための遺書”だった」

シャルロットは、隠していた涙を堪えきれず声を震わせた。

「では……前妻様は……
　本当は……死んでいない……のですか……？」

影の声が、
二人の沈黙を破るように響いた。

――「惜しいわね」
――「死んでいないのは……“私”じゃない」

白百合の香りが強くなる。

カルロスは即座に叫んだ。

「シャルロット、下がれ！」

だがシャルロットの目は、
部屋の中央——光が差し込む一点を見つめていた。

そこに、
ふたつの靴跡があった。

ひとつは、
ここ数日の“影の靴跡”。

もうひとつは——
エリザベラが死亡したとされる夜の靴跡。

だが、その靴跡は——

（……わたくし……と……同じサイズ……？）

カルロスが震える声で言う。

「……シャルロット。
　その夜死んだのは……
　“エリザベラではなく、別の女性だった可能性がある”」

シャルロットは全身の血が引くのを感じた。

（別の……？
　では……誰が……？
　誰が……代わりに亡くなったの……？）

カルロスの指先が震える。

「そして……
　“その誰か”が、
　香りと影を使って……
　いま戻ってきている」

扉がいきなり揺れた。

叩いているのは人の手ではない。

空気。
風。
そして香り。

シャルロットの耳元で、
かすかな囁き声がした。

――「あなたの顔をして、
　　　あなたの靴を履いて死んだ子がいたのよ」

シャルロットは息を失った。

（わたくしの……
　“顔”？
　“靴”？）

カルロスが叫ぶ。

「シャルロット！！　離れろ！！」

しかしシャルロットは動けない。

白百合の香りの中、
影の声がはっきりと続いた。

――「気づいてないの？
　　　あなたの“身代わり”が、
　　　一度、死んでいるのよ」

シャルロットの世界が揺れた。

（わたくしの……
　身代わり……？
　死んだ……？
　誰が……？）

影の笑い声が響く。

――ふふ……
――「真実はまだ……半分だけよ」

扉が外側から開き、
影だけが廊下へ滑り出た。

カルロスが剣を構え外へ出ようとした瞬間、
シャルロットが震える声で言った。

「……公爵さま……
　わたくし……誰かに……
　“代わりに死なれた”のですか……？」

カルロスは答えられなかった。

――その沈黙こそが、
最大の答えだった。