『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ

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第26章「身代わりの娘(前妻のもう一つの顔)」

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部屋を出たあとも、
シャルロットの足はふらついていた。

(わたくしの……“身代わり”が
 死んだ……?
 本当に……?)

現実感が薄れる。

誰が?
なぜ?
どんな理由で、
自分の“代わりに”死ぬ必要があったのか?

胸がきつく締めつけられる。

カルロスはシャルロットを支えるように
そばに立っていた。

触れられないまま。
それでも、
“誰よりも近くに”。

(触れて……くださらないのに……
 守ってくださる……不思議な距離……)

シャルロットは震える声で言った。

「公爵さま……
 どうか……教えてください……
 “わたくしの身代わり”とは……
 いったい……誰なのですか?」

カルロスは静かに目を閉じる。

そして深い苦悩を抱えた声で答えた。

「……シャルロット。
 前妻エリザベラには——
 誰にも知られていない“娘のような存在”がいた」

シャルロットの息が止まった。

(娘……?)

カルロスは廊下の壁に手をつき、
遠い過去を語り始めた。

「“娘”といっても血は繋がっていない。
 だが……
 エリザベラは彼女を“自分の影”のように扱っていた」

「影……」

「エリザベラの外出時は彼女が同行し、
 社交界では時に彼女を替え玉にしたこともあった。
 姿も声も——驚くほど似ていた」

シャルロットは息を呑む。

(姿も……声も……
 わたくしに……似ていた……?)

カルロスは続けた。

「その少女の名は——“ミレイユ”。
 孤児院から引き取られ、
 “影として生きること”を強いられた娘だ」

ミレイユ。

シャルロットの胸がざわついた。

「……では……
 死んだのは……エリザベラ様ではなく……
 そのミレイユ……?」

カルロスは顔を歪めた。

「……あの夜の遺体は……
 香りが強すぎて、
 顔が判別できなかった。
 靴のサイズとシルエットも……
 “シャルロット、お前によく似た少女のものだった”」

シャルロットは小さく震えた。

(わたくしに……似た少女……?
 わたくしの身代わり……?
 そして……死んだ……?)

白百合の香りが
ふっと風で揺れる。

まるで影が通ったように。

カルロスは声を低くした。

「一番恐ろしいのは……
 そのミレイユが“生きている”のか、
 “死んでいる”のか……
 誰にも分からないということだ」

シャルロットの血が凍る。

(生きている……?
 では……影は……
 ミレイユ……?)

カルロスは静かに続けた。

「ミレイユは……
 エリザベラが最も信頼した存在だったが、
 同時に……
 “最も嫉妬していた存在”でもあった」

「嫉妬……?」

「エリザベラが唯一愛した相手……
 それは公爵家でも、
 社交界でもない——
 “自分の影”であるミレイユだった」

シャルロットは息を呑む。

(前妻様が……愛したのは……
 自分の影……?)

カルロスの瞳が淀む。

「そしてミレイユも、
 エリザベラを崇拝していた。
 そのエリザベラを奪った“後妻”を……
 許すわけがない」

シャルロットの胸が締めつけられる。

(わたくしは……
 前妻様を奪った?
 その影から見れば……
 わたくしは……“居場所を奪った女”……)

肖像画の裏の紙。

――《居場所を間違えないことね》

あれは、
エリザベラの書いた字ではなかった。

(ミレイユ……
 前妻様の影……)

シャルロットは震えながら言った。

「……では……
 あの影は……
 前妻様ではなく……
 “ミレイユ”……?」

カルロスは、
答える代わりに静かに目を伏せた。

それが“肯定”だった。

シャルロットの視界が揺れる。

(わたくしは……
 ミレイユに……“代わりに死なれた”の……?
 なぜ……
 なぜわたくしが……?)

カルロスはすぐにシャルロットを支えようと手を伸ばしたが、
触れる寸前で止めた。

「……シャルロット。
 まだすべての真実ではない。
 ミレイユが死んだのか、生きているのか……
 その答えはまだ“影だけ”が握っている」

ふっと廊下の奥に黒い影が揺れた。

二人がそちらを向いた瞬間——

影の声が、
柔らかく、残酷に響いた。

――「そうよ。
   “私”は死んでない。
   でも……あなたが誰の“身代わり”かは
   まだ教えない」

シャルロットの心臓が止まる。

(わたくし……
 誰の……身代わり……?)

影はゆらりと消え、
白百合の香りだけが残った。

カルロスは剣を握りしめる。

「……シャルロット。
 影の正体は“ミレイユ”で間違いない。
 だが……
 ミレイユは“エリザベラの娘”ではない」

シャルロットは目を上げる。

カルロスは苦しげに告げた。

「ミレイユは——
 “お前に似せて作られた娘”だ」

シャルロットの膝が崩れそうになる。

(わたくしに……
 似せて……?
 なぜ……?)

影の声が遠くで笑った。

――「そう。
   だから私は、死んであげたの。
   あなたの代わりにね」

シャルロットの世界が音を立てて崩れた。
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