『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ

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第46章「扉の向こうの夫(カルロスの痛み)」

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シャルロットの悲痛な叫びが
扉の向こうから響いた。

「来ないで!!
 あなたが来たら……死んでしまいます……!!」

その声が、
カルロスの胸を裂いた。

(シャルロット……
 どうしてそんな声を……
 何が……何が彼女を脅かしている……?)

彼は、
扉に手をついたまま、動けなくなった。

扉は王家の結界で閉ざされている。
いくら剣を振るっても傷ひとつつけられない。

(彼女が……泣いている……
 目の前にいるのに……触れられない……)

胸の奥に、
昨夜から続く痛みが走った。

影に触れられた傷は、
癒えていない。

だが、それ以上に——
妻を奪われた心の傷のほうが深かった。

近衛騎士が恐る恐る声をかける。

「公爵……これ以上は危険です。
 影に近づけば、あなたの命が……」

「知っている。」

カルロスは低く答えた。

「だが、彼女の声を聞いて立ち止まる夫が……
 どこにいる。」

騎士は息を呑む。

カルロスは、
扉に片手を押し当てたまま目を閉じた。

(シャルロット……
 なぜお前は……“死ぬ”などと……
 どうしてそんな言葉を……)

心臓が強く脈打つ。
その鼓動は、影に触れられた痛みに反応している。

しかしその痛みの奥には、
もっと別の力があった。

(お前が……呼んでいる。)

シャルロットの泣き声が
胸の奥で共鳴する。

(わたしの心臓が……
 お前の涙に……引かれている……?)

彼は唇を噛んだ。

(お前が泣けば泣くほど……
 わたしは……
 お前の場所に引き寄せられる……)

それは呪いではなく、
愛そのもの。

しかし、影はそれを逆手に取っていた。

(奴は……シャルロットを“鍵”として利用している……
 お前の涙を餌にして……
 わたしを……影へ誘う気か……)

怒りが胸を焼いた。

「シャルロット……」

呟いた瞬間、
扉の向こうで影の声が震えた。

――「来ないで……来ないで……
   あの人は……
   わたしを見てしまう……」

カルロスの瞳が鋭く光った。

(“わたしだけが見える”……?
 影の本質を……
 わたしだけが……?)

彼は、
ずっと避け続けてきた真実に触れた気がした。

妻を守るためなら、
呪いでも、影でも、王家でも構わない。

(お前を連れ戻す。)

その瞬間、
扉の前に立つカルロスの背後を
風が走った。

「公爵!! お下がりください!!
 影がこちらに侵食を——!」

近衛の叫び。

だがカルロスは動かない。

むしろ、
その侵食さえ押し返すように
強い気配が彼の体から溢れ始めた。

(シャルロット……
 泣かないでくれ。
 お前の涙が……
 わたしを狂わせる……)

扉の向こうで、
また妻が声をあげた。

「カルロス様……!」

わずかな震え。
助けを求める小さな呼び声。

それだけで、
カルロスの理性は崩れ落ちた。

「開けろ。」

低い声が、
張り詰めた空間に響いた。

近衛が青ざめる。

「公爵、それは……王家への叛逆行為……!」

「構わん。」

カルロスは扉に剣を向けた。

「妻が泣いているのに、
 夫が黙っていられると思うか。」

その一言には
王家でさえ背筋を震わせる圧があった。

王宮の廊下に、
冷気と熱気が同時に満ちていく。

影の気配が扉の向こうでざわめいた。

――「来ないで……
   来たら……
   わたしが……消える……!」

カルロスは微笑んだ。
冷たく、美しく。

「……恐れなくていい。
 お前を消すために来た。」

影は悲鳴をあげた。

――「いやぁぁぁっ!!」

白百合の間が揺れた。

シャルロットの心臓が強く脈打つ。

(カルロス様……
 あなたは……
 どうしてそこまで……)

騎士が震えた声で叫ぶ。

「結界が……結界が破られます!!
 公爵が……力で押し返している!!」

カルロスはゆっくりと
扉に手を伸ばした。

(待っていろ。
 必ず……お前を迎えに行く。)

その瞳にはただひとつ、
“妻への愛”だけがあった。

そして——

扉が、不可能なはずの軋みを立てた。

ギィ……ッ

結界が崩れはじめる。

影の絶叫。
魔術師の悲鳴。
王宮の震動。

すべての中心で、
カルロスはただ一人の名を呼んだ。

「シャルロット——!!」

そして扉が、
わずかに開いた。
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