貴方が私を嫌う理由

柴田はつみ

文字の大きさ
10 / 28

第十章 破滅を呼ぶ救済と、歪んだ愛情

しおりを挟む
クリス公爵が侯爵家への介入を強め始めたことで、リリーの胸には、はっきりとした危機感が芽生えていた。

公爵家から派遣された顧問たちは、侯爵家の資産状況を徹底的に洗い出し、帳簿や契約書の一つひとつを精査している。
その動きと比例するように、カイル侯爵の決裁権は次々と制限され、実質的な権限は削がれつつあった。

――これは、単なる経営介入ではない。

リリーは直感した。
クリスの真の目的は、侯爵家を掌握することではなく、カイル侯爵そのものを、侯爵位から排除することにある。

(クリストファー様は……カイル様が私を苦しめていると信じて、私を救い出そうとしているのね)

だが、その善意は、あまりにも危うい。

(もし公爵の権限で侯爵位を剥奪すれば、社交界は黙っていない。
それは、クリストファー様ご自身の立場をも危うくする……)

リリーは、これ以上の介入を、何としてでも止めなければならないと悟った。
彼女にとって最優先すべきものは、クリスが伯爵令嬢と歩む、清らかな未来だった。

そのために、彼女は密かに動いた。

長年、侯爵家の裏表を知る古参の弁護士を呼び出し、クリス公爵の計画の全貌を探らせたのだ。

弁護士は、声を潜めて告げた。

「……奥様。クリストファー様は、侯爵家に対する債権を盾に、過去の“公金横領疑惑”を蒸し返すおつもりです。
それを理由に、侯爵位の剥奪を――」

リリーの血の気が引いた。

「奥様を“未亡人”として保護し、公爵家の庇護下に置く。
それが、クリストファー様の最終目的かと」

それは、愛ではなかった。
哀れみと後悔、そして過去の想いが暴走した、歪んだ救済だった。



クリスを止めるには、ただ一つしかない。

――自分とカイルの間には、誰も介入できないほどの絆がある
そう、クリスに信じ込ませること。

リリーは決意し、カイルの私室へ向かった。

室内は荒れていた。
書類は机から溢れ、カイルは椅子に深く腰を落としたまま、疲弊しきった表情で虚空を睨んでいる。
公爵の圧力と、そして何より、リリーの“完璧な献身”が、彼を追い詰めていた。

リリーは静かに、しかし迷いのない声で切り出した。

「カイル様。私は……貴方を愛しています」

カイルが、はっと顔を上げる。

「……何だと?」

「だからこそ、クリストファー様の横暴を、私は許しません」

彼女の声には、決意があった。

「公爵は、貴方を侯爵位から追い落とし、この家を支配しようとしています。
私は、それを阻止します。
貴方の地位を守るために、私は公爵と対峙します」

そして、静かに告げた。

「――私は、貴方の妻ですから」

それは、クリスの未来を守るための演技だった。
だが、その言葉は、カイルの心に、あまりにも違う形で届いた。

彼の顔から、憎悪が消えていく。
代わりに浮かび上がったのは、混乱と、そして――
初めて向けられた“愛”への、激しい渇望だった。

「君は……本当に、私を……」



リリーは、彼を安心させようと、一歩踏み出し、そっとその手を取った。

「貴方は、私を嫌っていると仰いましたね。
私もまた、長年の冷遇に、深く傷ついてきました」

視線を逸らさず、続ける。

「ですが今、この家と、貴方の立場が危機に瀕しています。
私は――貴方と共に立ち向かいます」

その言葉は、カイルの心の中で、致命的な形へと変質した。

(そうか……リリアーヌは、私を愛していたのだ)
(冷たかったのは、愛ゆえの反抗だった)
(そして今、クリスの介入を見て、彼女は私を選んだ……!)

歓喜と、クリスへの激しい怒りが、彼の中で渦を巻いた。

カイルは、リリーの手を強く握り、顔を近づける。
その瞳には、愛と、それを歪めた所有欲が宿っていた。

「私は、君を憎んでなどいなかった……!
君の完璧さに、そして、君がクリスを愛しているという事実に、嫉妬していただけだ!」

声が震える。

「だが、君は私を選んだ。
もう二度と、誰にも君を奪わせない……!」

カイルは、リリーの言葉を完全に、
『リリーはクリスへの愛を断ち切り、カイルを選んだ』
という結論へと結びつけてしまった。

この日、リリーの献身的な「救済」は、
一人の男の歪んだ愛を決定的なものにし、
もう一人の男への、激しい対抗心と憎悪を再燃させた。

彼女の“演技”は、
二人の男の誤解を深め、
運命を、より危険な方向へと押し流してしまったのだった。




愛と善意は、ときに最も残酷な誤解を生む。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

二年間の花嫁

柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。 公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。 二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。 それでも構わなかった。 たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。 けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。 この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。 彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。 やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。 期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。 ――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

女性として見れない私は、もう不要な様です〜俺の事は忘れて幸せになって欲しい。と言われたのでそうする事にした結果〜

流雲青人
恋愛
子爵令嬢のプレセアは目の前に広がる光景に静かに涙を零した。 偶然にも居合わせてしまったのだ。 学園の裏庭で、婚約者がプレセアの友人へと告白している場面に。 そして後日、婚約者に呼び出され告げられた。 「君を女性として見ることが出来ない」 幼馴染であり、共に過ごして来た時間はとても長い。 その中でどうやら彼はプレセアを友人以上として見れなくなってしまったらしい。 「俺の事は忘れて幸せになって欲しい。君は幸せになるべき人だから」 大切な二人だからこそ、清く身を引いて、大好きな人と友人の恋を応援したい。 そう思っている筈なのに、恋心がその気持ちを邪魔してきて...。 ※ ゆるふわ設定です。 完結しました。

王の影姫は真実を言えない

柴田はつみ
恋愛
社交界で“国王の妾”と陰口を叩かれる謎の公爵夫人リュミエール。彼女は王命により、絶世の美貌を誇る英雄アラン公爵の妻となったが、その結婚は「公爵が哀れ」「妻は汚名の女」と同情と嘲笑の的だった。 けれど真実は――リュミエールは国王シオンの“妾”ではなく、異母妹。王家の血筋を巡る闇と政争から守るため、彼女は真実を口にできない。夫アランにさえ、打ち明ければ彼を巻き込んでしまうから。 一方アランもまた、王命と王宮の思惑の中で彼女を守るため、あえて距離を取り冷たく振る舞う。

沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―

柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。 最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。 しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。 カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。 離婚届の上に、涙が落ちる。 それでもシャルロッテは信じたい。 あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。 すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。

陛下を捨てた理由

甘糖むい
恋愛
美しく才能あふれる侯爵令嬢ジェニエルは、幼い頃から王子セオドールの婚約者として約束され、完璧な王妃教育を受けてきた。20歳で結婚した二人だったが、3年経っても子供に恵まれず、彼女には「問題がある」という噂が広がりはじめる始末。 そんな中、セオドールが「オリヴィア」という女性を王宮に連れてきたことで、夫婦の関係は一変し始める。 ※改定、追加や修正を予告なくする場合がございます。ご了承ください。

本日、私の妹のことが好きな婚約者と結婚いたしました

音芽 心
恋愛
私は今日、幼い頃から大好きだった人と結婚式を挙げる。 ____私の妹のことが昔から好きな婚約者と、だ。 だから私は決めている。 この白い結婚を一年で終わらせて、彼を解放してあげることを。 彼の気持ちを直接聞いたことはないけれど……きっとその方が、彼も喜ぶだろうから。 ……これは、恋を諦めていた令嬢が、本当の幸せを掴むまでの物語。

『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様

恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。 不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、 伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。 感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、 ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。 「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」 足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。 「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」 一度凍りついた心は、二度と溶けない。 後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、 終わりのない贖罪の記録。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

処理中です...