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第10章 永遠の庭園
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春の訪れを告げる風が、王都を包んでいた。
厳しい冬を越えた白薔薇の庭園は、再び花を咲かせている。
その花々の間を歩くミッシェルの姿は、かつてよりも穏やかだった。
婚約から数か月。
皇太子ルシアンは、王の名代として北方視察に向かい、
ミッシェルは王妃教育と慈善院の設立に力を注いでいた。
誰もが彼女を“次代の光”と呼ぶ。
けれど彼女自身は、それを光だとは思っていなかった。
——人は誰かを愛した記憶の上でしか、光を見つけられない。
だからこそ、いまの彼女があるのだと感じていた。
庭園の中央で足を止める。
小鳥の声と、花の香りが混ざり合う。
そこに、懐かしい白薔薇のアーチがあった。
指先で、花弁をそっと撫でる。
あの夜、涙をこぼした場所。
“君を守る”と誓った彼の声が、まだこの風の中に残っている。
「……ミッシェル、見ていますか」
呟きは、柔らかい春風に溶けていく。
祈りは届かないかも知れない。
けれど、胸の奥では確かに返事があった。
その頃、遠くの丘の上。
カルバンは、古い神殿跡の隅で新しい祈りの院を建てていた。
人々から“光の守り人”と呼ばれ、
戦災孤児たちの保護と教育に尽力している。
かつての公爵の威厳は消え、
今の彼は、静かな修道士のようだった。
夕陽の中、少年が駆け寄ってくる。
「先生! また薔薇が咲きました!」
カルバンは微笑み、丘の花壇を見やる。
白薔薇が一輪、風に揺れている。
「……そうか。春は、今年も来たな」
少年が首をかしげる。
「先生、その花……誰かに似てるんですか?」
カルバンは少しだけ目を細めた。
風の中に、遠い微笑が浮かぶ。
「昔、ある人が好きだった花だ。
――いや、“愛していた”と言うべきかもしれないな」
「その人、いまどこに?」
カルバンは少しだけ空を仰ぐ。
雲の隙間から光が差し込み、丘を照らした。
「きっと……光の国の中だよ。
それぞれの場所で、同じ風を感じているはずだ」
少年は笑って頷いた。
「きっと、先生のこと見てますね!」
カルバンは静かに頷き、手を合わせる。
風が吹き抜け、銀のペンダントが胸元で微かに光った。
かつてアリアが残した“赦しの証”。
それを胸に、彼は今日も祈る。
——君が笑っているなら、それでいい。
その願いだけが、彼の生きる理由だった。
王宮の夜。
ルシアンが遠征から戻ると、ミッシェルは庭園で彼を迎えた。
春風に揺れる髪を抑えながら、彼女は微笑む。
「おかえりなさいませ、殿下」
「ただいま。……花が綺麗ですね」
「ええ。厳しい冬を越えて、また咲きました」
ルシアンは彼女の手を取った。
その手の温もりが、穏やかな幸福を伝える。
「あなたが、ずっと世話をしていたのですね。」
「はい。……この庭だけは、どうしても枯らしたくなくて」
ミッシェルは白薔薇の花を見つめた。
その中の一輪が、ひときわ強く輝いている。
風が吹き抜け、花弁が空へ舞い上がった。
その瞬間、彼女はふと感じた。
遠い丘の上で、同じ風を誰かが感じていることを。
カルバンの姿が、瞼の裏に浮かんだ。
涙は出なかった。
もう悲しみではなく、静かな祈りだった。
「……ありがとう」
彼女は小さく呟いた。
ルシアンが横顔を見つめる。
「誰に向けて?」
ミッシェルは笑った。
「昔、わたしを守ってくれた人に。
そして、いまのわたしを赦してくれた人にも」
ルシアンは何も言わず、彼女の手を握り返した。
夜空には無数の星が瞬き、
白薔薇の花が静かに風に揺れていた。
その夜更け。
ミッシェルは机に向かい、一通の手紙を書いた。
宛先は記されていない。
けれど、その文字は迷いなく綴られていく。
「あなたの祈りは届きました。
わたしは、もう泣いていません。
あなたの愛が、いまのわたしを作ってくれたから。
どうか、あなたも笑ってください。
それが、わたしの永遠の願いです。」
書き終えた手紙を、花の間に挿す。
白薔薇の香りが、やさしく包み込んだ。
「——さようなら、カルバン」
風が吹き、花弁がひとひら舞い上がる。
それはまるで、遠い丘へ届くように。
その翌朝。
丘の祈りの院で、カルバンは窓を開けた。
風が吹き込み、机の上の聖典の頁がめくれる。
その隙間に、小さな白い花弁が落ちた。
彼はその花を手に取り、静かに微笑んだ。
「……届いたんだな」
カルバンは、遠く見つめていた。
光が差し込む。
遠くで鐘が鳴り、
丘の上の白薔薇が一斉に咲き誇った。
カルバンは目を閉じ、胸の前で手を組む。
その祈りは、もう“赦し”ではなく、“祝福”だった。
——愛は終わらない。
ただ、形を変えて生き続ける。
風が再び吹き抜け、
丘と王宮の庭を、同じ香りで結んでいった。
厳しい冬を越えた白薔薇の庭園は、再び花を咲かせている。
その花々の間を歩くミッシェルの姿は、かつてよりも穏やかだった。
婚約から数か月。
皇太子ルシアンは、王の名代として北方視察に向かい、
ミッシェルは王妃教育と慈善院の設立に力を注いでいた。
誰もが彼女を“次代の光”と呼ぶ。
けれど彼女自身は、それを光だとは思っていなかった。
——人は誰かを愛した記憶の上でしか、光を見つけられない。
だからこそ、いまの彼女があるのだと感じていた。
庭園の中央で足を止める。
小鳥の声と、花の香りが混ざり合う。
そこに、懐かしい白薔薇のアーチがあった。
指先で、花弁をそっと撫でる。
あの夜、涙をこぼした場所。
“君を守る”と誓った彼の声が、まだこの風の中に残っている。
「……ミッシェル、見ていますか」
呟きは、柔らかい春風に溶けていく。
祈りは届かないかも知れない。
けれど、胸の奥では確かに返事があった。
その頃、遠くの丘の上。
カルバンは、古い神殿跡の隅で新しい祈りの院を建てていた。
人々から“光の守り人”と呼ばれ、
戦災孤児たちの保護と教育に尽力している。
かつての公爵の威厳は消え、
今の彼は、静かな修道士のようだった。
夕陽の中、少年が駆け寄ってくる。
「先生! また薔薇が咲きました!」
カルバンは微笑み、丘の花壇を見やる。
白薔薇が一輪、風に揺れている。
「……そうか。春は、今年も来たな」
少年が首をかしげる。
「先生、その花……誰かに似てるんですか?」
カルバンは少しだけ目を細めた。
風の中に、遠い微笑が浮かぶ。
「昔、ある人が好きだった花だ。
――いや、“愛していた”と言うべきかもしれないな」
「その人、いまどこに?」
カルバンは少しだけ空を仰ぐ。
雲の隙間から光が差し込み、丘を照らした。
「きっと……光の国の中だよ。
それぞれの場所で、同じ風を感じているはずだ」
少年は笑って頷いた。
「きっと、先生のこと見てますね!」
カルバンは静かに頷き、手を合わせる。
風が吹き抜け、銀のペンダントが胸元で微かに光った。
かつてアリアが残した“赦しの証”。
それを胸に、彼は今日も祈る。
——君が笑っているなら、それでいい。
その願いだけが、彼の生きる理由だった。
王宮の夜。
ルシアンが遠征から戻ると、ミッシェルは庭園で彼を迎えた。
春風に揺れる髪を抑えながら、彼女は微笑む。
「おかえりなさいませ、殿下」
「ただいま。……花が綺麗ですね」
「ええ。厳しい冬を越えて、また咲きました」
ルシアンは彼女の手を取った。
その手の温もりが、穏やかな幸福を伝える。
「あなたが、ずっと世話をしていたのですね。」
「はい。……この庭だけは、どうしても枯らしたくなくて」
ミッシェルは白薔薇の花を見つめた。
その中の一輪が、ひときわ強く輝いている。
風が吹き抜け、花弁が空へ舞い上がった。
その瞬間、彼女はふと感じた。
遠い丘の上で、同じ風を誰かが感じていることを。
カルバンの姿が、瞼の裏に浮かんだ。
涙は出なかった。
もう悲しみではなく、静かな祈りだった。
「……ありがとう」
彼女は小さく呟いた。
ルシアンが横顔を見つめる。
「誰に向けて?」
ミッシェルは笑った。
「昔、わたしを守ってくれた人に。
そして、いまのわたしを赦してくれた人にも」
ルシアンは何も言わず、彼女の手を握り返した。
夜空には無数の星が瞬き、
白薔薇の花が静かに風に揺れていた。
その夜更け。
ミッシェルは机に向かい、一通の手紙を書いた。
宛先は記されていない。
けれど、その文字は迷いなく綴られていく。
「あなたの祈りは届きました。
わたしは、もう泣いていません。
あなたの愛が、いまのわたしを作ってくれたから。
どうか、あなたも笑ってください。
それが、わたしの永遠の願いです。」
書き終えた手紙を、花の間に挿す。
白薔薇の香りが、やさしく包み込んだ。
「——さようなら、カルバン」
風が吹き、花弁がひとひら舞い上がる。
それはまるで、遠い丘へ届くように。
その翌朝。
丘の祈りの院で、カルバンは窓を開けた。
風が吹き込み、机の上の聖典の頁がめくれる。
その隙間に、小さな白い花弁が落ちた。
彼はその花を手に取り、静かに微笑んだ。
「……届いたんだな」
カルバンは、遠く見つめていた。
光が差し込む。
遠くで鐘が鳴り、
丘の上の白薔薇が一斉に咲き誇った。
カルバンは目を閉じ、胸の前で手を組む。
その祈りは、もう“赦し”ではなく、“祝福”だった。
——愛は終わらない。
ただ、形を変えて生き続ける。
風が再び吹き抜け、
丘と王宮の庭を、同じ香りで結んでいった。
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