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第9章 聖女の真実
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朝の光が、王都の神殿を白く染めていた。
祈りを終えたカルバンは、静かな足音で廊下を歩いていた。
夜明けの鐘の音が遠くで響き、
彼の胸の奥に、昨日の出来事がまだ燻っている。
——あの夜。
彼はミッシェルに会い、そして終わりを告げられた。
奪った唇の温もりが、いまも指先に残っている。
けれど、それは彼女を苦しめただけだった。
“あなたが生きて祈り続けること、それが赦しです”
その言葉が、何度も胸の奥で反響する。
彼は立ち止まり、聖堂の扉を見上げた。
光が差し込むその場所で、
白い衣の聖女アリアが祈りを終え、振り返る。
「カルバン様……」
穏やかな笑み。
だがその瞳の奥に、今までとは違う影が見えた。
「どうなさったのです? 顔色が優れません」
「……聖女殿。あなたに、聞きたいことがある」
カルバンの声は低く、硬かった。
アリアは小さく首を傾げた。
「私に?」
「俺が、あなたの護衛に選ばれた理由だ。
本当に、王の命令だけだったのか?」
アリアの微笑がわずかに揺らぐ。
そして、静かに視線を落とした。
「……やはり、気づいておられたのですね」
カルバンは答えなかった。
ただ、沈黙が肯定の代わりとなる。
アリアは祭壇の前まで歩み寄り、
両手を組んだまま小さく息を吐いた。
「——私は、聖女としてこの国に召された時から、
“完璧な清らかさ”を求められていました。
けれど、私は人間です。弱さも、恐れもある。
……だから、誰かの心に縋りたかったのです」
「……俺の、心に?」
「ええ」
アリアは微笑んだが、その瞳は痛みを湛えていた。
「あなたは誠実で、決して近づこうとしない人でした。
だからこそ、あなたの視線を奪いたかった。
聖女である私が、誰かに“愛されている”と示せば、
自分が本当に“聖女”になれる気がしたのです」
カルバンの心臓が、静かに軋む。
「……つまり、俺を利用したと?」
「そう言われても仕方ありません」
アリアは首を縦に振った。
「でも、それだけではありません。
あなたの優しさが、本当に心地よかったのです。
だからこそ、ミッシェル様を見て……恐ろしくなった。
あなたが彼女をそっと見るその目に、
私がどんなに祈っても届かない温かさがあったから」
沈黙が落ちる。
外の風が、ステンドグラスを揺らし、色の光を床に落とした。
アリアは涙をこぼさずに微笑んだ。
その笑みが、痛いほど美しかった。
「カルバン様。あなたは罪など犯していません。
ただ、誰よりも正しく生きようとしただけです。
けれど、その正しさが、誰かを遠ざけてしまうことがある。
……それを、私も、ミッシェル様も学びました」
カルバンは拳を握りしめた。
喉の奥が焼けつくように痛い。
自分がどれほど多くの人を傷つけたのか、
今になってようやく理解する。
「彼女を、愛していた」
掠れた声で、彼は言った。
「けれど、それを口にする資格がないと思っていた。
愛することが、彼女を汚すようで……怖かった」
「愛は、汚すものではありません」
アリアの声が、静かに響く。
「愛とは、赦すことです。
そして、赦されること。
あなたがそれを恐れていたなら——それはあなたが誰よりも純粋だったから」
カルバンは顔を上げた。
アリアの瞳は涙に濡れながらも、穏やかに光っている。
「私はもう聖女ではありません」
彼女はそう言って、胸にかけられた銀の十字架を外した。
鎖が小さく鳴り、床に落ちる。
「この祈りの力は、あなたの手で守られたもの。
でも今は、あなたに返します」
差し出された手の上には、銀のペンダント。
カルバンはそれを受け取らず、ただ見つめた。
「俺に、そんな資格はない」
「いいえ。
あなたは、ずっと誰かのために祈り続けた。
それが聖女にできるすべてのことです」
アリアは微笑んだ。
涙が頬を伝い、床に落ちる音がした。
「私は、あなたを愛していたと思っていました。
けれど、それは“愛されたい”という願望だった。
本当にあなたを愛していたのは——
ミッシェル様、ただ一人でした」
その名を聞いた瞬間、
カルバンの胸の奥で、凍っていた何かが崩れ落ちた。
神殿を出たあと、彼は王都の丘に立っていた。
遠くに、王宮の塔が見える。
その中に、ミッシェルがいる。
もう彼女は皇太子の婚約者だ。
決して手を伸ばしてはならない。
けれど、目を閉じれば、あの夜の声が蘇る。
——「あなたの祈りが、わたしの赦しです」
風が吹いた。
銀のペンダントが、彼の掌の中で揺れる。
彼はゆっくりと膝をつき、空を仰いだ。
朝の光が、彼の頬を照らす。
「……ミッシェル」
名前を呼ぶ声は、祈りのように静かだった。
「君が笑っていられるように。
その光の下で、どうか幸せであってほしい」
風が彼の言葉を運び、
丘の上の白薔薇が、そっと揺れた。
その瞬間、空が白く輝き、
神殿の鐘が鳴った。
アリアが残した最後の祈りの音のように。
その夜、王宮のバルコニーで。
ミッシェルは、遠くの丘に灯る微かな光を見つめていた。
ルシアンが背後に立ち、静かに彼女の肩に手を置く。
「冷えますよ」
「……ええ。でも、少しだけ」
「誰かのことを、思い出しているのですね」
ミッシェルは目を閉じた。
頬に風が当たる。
「ええ。でも、それは悲しい思い出ではありません」
「なら、よかった」
ルシアンは微笑む。
「その人を赦せるのは、あなたの強さです」
「わたしも、ようやく分かりました。
愛は、終わるものではなく、形を変えるものだと」
彼女の声は、穏やかで透明だった。
遠くの丘の光が、まるで返事のように瞬いた。
祈りを終えたカルバンは、静かな足音で廊下を歩いていた。
夜明けの鐘の音が遠くで響き、
彼の胸の奥に、昨日の出来事がまだ燻っている。
——あの夜。
彼はミッシェルに会い、そして終わりを告げられた。
奪った唇の温もりが、いまも指先に残っている。
けれど、それは彼女を苦しめただけだった。
“あなたが生きて祈り続けること、それが赦しです”
その言葉が、何度も胸の奥で反響する。
彼は立ち止まり、聖堂の扉を見上げた。
光が差し込むその場所で、
白い衣の聖女アリアが祈りを終え、振り返る。
「カルバン様……」
穏やかな笑み。
だがその瞳の奥に、今までとは違う影が見えた。
「どうなさったのです? 顔色が優れません」
「……聖女殿。あなたに、聞きたいことがある」
カルバンの声は低く、硬かった。
アリアは小さく首を傾げた。
「私に?」
「俺が、あなたの護衛に選ばれた理由だ。
本当に、王の命令だけだったのか?」
アリアの微笑がわずかに揺らぐ。
そして、静かに視線を落とした。
「……やはり、気づいておられたのですね」
カルバンは答えなかった。
ただ、沈黙が肯定の代わりとなる。
アリアは祭壇の前まで歩み寄り、
両手を組んだまま小さく息を吐いた。
「——私は、聖女としてこの国に召された時から、
“完璧な清らかさ”を求められていました。
けれど、私は人間です。弱さも、恐れもある。
……だから、誰かの心に縋りたかったのです」
「……俺の、心に?」
「ええ」
アリアは微笑んだが、その瞳は痛みを湛えていた。
「あなたは誠実で、決して近づこうとしない人でした。
だからこそ、あなたの視線を奪いたかった。
聖女である私が、誰かに“愛されている”と示せば、
自分が本当に“聖女”になれる気がしたのです」
カルバンの心臓が、静かに軋む。
「……つまり、俺を利用したと?」
「そう言われても仕方ありません」
アリアは首を縦に振った。
「でも、それだけではありません。
あなたの優しさが、本当に心地よかったのです。
だからこそ、ミッシェル様を見て……恐ろしくなった。
あなたが彼女をそっと見るその目に、
私がどんなに祈っても届かない温かさがあったから」
沈黙が落ちる。
外の風が、ステンドグラスを揺らし、色の光を床に落とした。
アリアは涙をこぼさずに微笑んだ。
その笑みが、痛いほど美しかった。
「カルバン様。あなたは罪など犯していません。
ただ、誰よりも正しく生きようとしただけです。
けれど、その正しさが、誰かを遠ざけてしまうことがある。
……それを、私も、ミッシェル様も学びました」
カルバンは拳を握りしめた。
喉の奥が焼けつくように痛い。
自分がどれほど多くの人を傷つけたのか、
今になってようやく理解する。
「彼女を、愛していた」
掠れた声で、彼は言った。
「けれど、それを口にする資格がないと思っていた。
愛することが、彼女を汚すようで……怖かった」
「愛は、汚すものではありません」
アリアの声が、静かに響く。
「愛とは、赦すことです。
そして、赦されること。
あなたがそれを恐れていたなら——それはあなたが誰よりも純粋だったから」
カルバンは顔を上げた。
アリアの瞳は涙に濡れながらも、穏やかに光っている。
「私はもう聖女ではありません」
彼女はそう言って、胸にかけられた銀の十字架を外した。
鎖が小さく鳴り、床に落ちる。
「この祈りの力は、あなたの手で守られたもの。
でも今は、あなたに返します」
差し出された手の上には、銀のペンダント。
カルバンはそれを受け取らず、ただ見つめた。
「俺に、そんな資格はない」
「いいえ。
あなたは、ずっと誰かのために祈り続けた。
それが聖女にできるすべてのことです」
アリアは微笑んだ。
涙が頬を伝い、床に落ちる音がした。
「私は、あなたを愛していたと思っていました。
けれど、それは“愛されたい”という願望だった。
本当にあなたを愛していたのは——
ミッシェル様、ただ一人でした」
その名を聞いた瞬間、
カルバンの胸の奥で、凍っていた何かが崩れ落ちた。
神殿を出たあと、彼は王都の丘に立っていた。
遠くに、王宮の塔が見える。
その中に、ミッシェルがいる。
もう彼女は皇太子の婚約者だ。
決して手を伸ばしてはならない。
けれど、目を閉じれば、あの夜の声が蘇る。
——「あなたの祈りが、わたしの赦しです」
風が吹いた。
銀のペンダントが、彼の掌の中で揺れる。
彼はゆっくりと膝をつき、空を仰いだ。
朝の光が、彼の頬を照らす。
「……ミッシェル」
名前を呼ぶ声は、祈りのように静かだった。
「君が笑っていられるように。
その光の下で、どうか幸せであってほしい」
風が彼の言葉を運び、
丘の上の白薔薇が、そっと揺れた。
その瞬間、空が白く輝き、
神殿の鐘が鳴った。
アリアが残した最後の祈りの音のように。
その夜、王宮のバルコニーで。
ミッシェルは、遠くの丘に灯る微かな光を見つめていた。
ルシアンが背後に立ち、静かに彼女の肩に手を置く。
「冷えますよ」
「……ええ。でも、少しだけ」
「誰かのことを、思い出しているのですね」
ミッシェルは目を閉じた。
頬に風が当たる。
「ええ。でも、それは悲しい思い出ではありません」
「なら、よかった」
ルシアンは微笑む。
「その人を赦せるのは、あなたの強さです」
「わたしも、ようやく分かりました。
愛は、終わるものではなく、形を変えるものだと」
彼女の声は、穏やかで透明だった。
遠くの丘の光が、まるで返事のように瞬いた。
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