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第十二章:鏡の国の処刑台、あるいは毒の口づけ
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書庫の静寂は、セシルの出現と同時に、凍りつくような冷気へと塗り替えられた。
「まあ、お姉様」
扇で口元を隠し、鈴を転がすように笑う。
「そんなに煤けてしまって……自慢の黒髪も、今ではみすぼらしい野良犬のよう。
辺境の暮らしは、それほどまでに惨めでしたの?」
その背後では、抜き身の剣を構えた近衛兵たちが、獲物を囲む狼のように静かに包囲網を狭めている。
「セシル……!」
アリアは一歩踏み出し、叫んだ。
「レオン様に何をしたの?
そのカフスで、彼に何を植え付けたの!」
問い詰められても、セシルは愉悦を隠そうともしない。
朦朧と壁に手をつくレオンへ歩み寄り、白魚のような指先でその頬を慈しむようになぞる。
「人聞きの悪いことを」
囁く声は甘く、残酷だった。
「私はただ、弱り切ったレオン様に“正しい記憶”を差し上げただけですわ。
……ねえ、レオン様?」
彼女は耳元で、毒を流し込むように続ける。
「お姉様は貴方を裏切り、騎士と逃げた汚らわしい女。
今ここにいるのは、貴方の命を狙う――刺客ですのよ」
セシルの指が、エメラルドのカフスに触れた瞬間。
レオンの瞳から、理性の光が完全に消えた。
濁った緑の輝きだけが、虚ろに揺れる。
「……刺客……
……アリア……消さねば……」
彼は、ゆっくりと剣を引き抜いた。
その切先は、かつて愛を誓った女の喉元へ向けられる。
「レオン様、やめて!」
アリアは叫ぶ。
「私を見て! 私よ!」
「無駄ですわ、お姉様」
セシルは冷ややかに言い放つ。
「そのカフスは、“アリアを憎む”ほどに、甘美な快楽と力を与える呪具。
貴女が言葉を重ねるほど……彼は、貴女を殺したくなる」
レオンの背後に回り込み、勝者の目でアリアを見据える。
「カイル!」
アリアの名を呼びながら、カイルが前に出た。
「アリア様を連れて逃げろ!
ここは、俺が食い止める!」
剛剣が振るわれ、レオンの刃を正面から受け止める。
火花が散り、激しい金属音が書庫を震わせた。
かつての主君と騎士。
かつての友。
二人は今、殺し合いの渦へと落ちていく。
「嫌よ、カイル! 一緒に……!」
「行ってください!」
カイルは歯を食いしばり、叫ぶ。
「貴女が生き延びなければ、真実は永遠に闇の中だ!」
呪具に強化されたレオンの剣は、人の域を超えた速さと重さを帯びていた。
カイルは押されながらも、必死にアリアを隠し通路へと突き飛ばす。
「逃がしませんわ!」
セシルの声が高く響く。
「兵たち、その魔女を捕らえなさい!
抵抗するなら――手足の一本くらい、斬り落としても構いません!」
その瞬間、レオンの刃がカイルの肩を裂いた。
鮮血が舞い、彼の顔が苦痛に歪む。
「カイル――!」
「行けッ!!」
その叫びに背を押され、アリアは涙を振り切って闇へと駆け出した。
背後で響く破壊音、金属音、そして――セシルの高笑い。
胸元には、まだ「本物の手紙」が残っている。
彼女はそれを強く握りしめた。
もはや、言葉で救える段階は過ぎた。
愛した男は壊され、
忠実な騎士は血に染まった。
足元を濡らす血は、自分のものではない。
それが、何よりも彼女を冷やした。
暗い地下通路を走りながら、アリアの瞳から涙が消える。
代わりに宿ったのは、底冷えするほど澄んだ、黄金の決意。
「セシル……」
低く、静かな声。
「貴女を殺して、私も死ぬ。
……それが、この物語の終わらせ方だというのなら」
建国祭まで、あと二日。
王女は――
もはや王女ではなく、
真の復讐鬼となっていた。
「まあ、お姉様」
扇で口元を隠し、鈴を転がすように笑う。
「そんなに煤けてしまって……自慢の黒髪も、今ではみすぼらしい野良犬のよう。
辺境の暮らしは、それほどまでに惨めでしたの?」
その背後では、抜き身の剣を構えた近衛兵たちが、獲物を囲む狼のように静かに包囲網を狭めている。
「セシル……!」
アリアは一歩踏み出し、叫んだ。
「レオン様に何をしたの?
そのカフスで、彼に何を植え付けたの!」
問い詰められても、セシルは愉悦を隠そうともしない。
朦朧と壁に手をつくレオンへ歩み寄り、白魚のような指先でその頬を慈しむようになぞる。
「人聞きの悪いことを」
囁く声は甘く、残酷だった。
「私はただ、弱り切ったレオン様に“正しい記憶”を差し上げただけですわ。
……ねえ、レオン様?」
彼女は耳元で、毒を流し込むように続ける。
「お姉様は貴方を裏切り、騎士と逃げた汚らわしい女。
今ここにいるのは、貴方の命を狙う――刺客ですのよ」
セシルの指が、エメラルドのカフスに触れた瞬間。
レオンの瞳から、理性の光が完全に消えた。
濁った緑の輝きだけが、虚ろに揺れる。
「……刺客……
……アリア……消さねば……」
彼は、ゆっくりと剣を引き抜いた。
その切先は、かつて愛を誓った女の喉元へ向けられる。
「レオン様、やめて!」
アリアは叫ぶ。
「私を見て! 私よ!」
「無駄ですわ、お姉様」
セシルは冷ややかに言い放つ。
「そのカフスは、“アリアを憎む”ほどに、甘美な快楽と力を与える呪具。
貴女が言葉を重ねるほど……彼は、貴女を殺したくなる」
レオンの背後に回り込み、勝者の目でアリアを見据える。
「カイル!」
アリアの名を呼びながら、カイルが前に出た。
「アリア様を連れて逃げろ!
ここは、俺が食い止める!」
剛剣が振るわれ、レオンの刃を正面から受け止める。
火花が散り、激しい金属音が書庫を震わせた。
かつての主君と騎士。
かつての友。
二人は今、殺し合いの渦へと落ちていく。
「嫌よ、カイル! 一緒に……!」
「行ってください!」
カイルは歯を食いしばり、叫ぶ。
「貴女が生き延びなければ、真実は永遠に闇の中だ!」
呪具に強化されたレオンの剣は、人の域を超えた速さと重さを帯びていた。
カイルは押されながらも、必死にアリアを隠し通路へと突き飛ばす。
「逃がしませんわ!」
セシルの声が高く響く。
「兵たち、その魔女を捕らえなさい!
抵抗するなら――手足の一本くらい、斬り落としても構いません!」
その瞬間、レオンの刃がカイルの肩を裂いた。
鮮血が舞い、彼の顔が苦痛に歪む。
「カイル――!」
「行けッ!!」
その叫びに背を押され、アリアは涙を振り切って闇へと駆け出した。
背後で響く破壊音、金属音、そして――セシルの高笑い。
胸元には、まだ「本物の手紙」が残っている。
彼女はそれを強く握りしめた。
もはや、言葉で救える段階は過ぎた。
愛した男は壊され、
忠実な騎士は血に染まった。
足元を濡らす血は、自分のものではない。
それが、何よりも彼女を冷やした。
暗い地下通路を走りながら、アリアの瞳から涙が消える。
代わりに宿ったのは、底冷えするほど澄んだ、黄金の決意。
「セシル……」
低く、静かな声。
「貴女を殺して、私も死ぬ。
……それが、この物語の終わらせ方だというのなら」
建国祭まで、あと二日。
王女は――
もはや王女ではなく、
真の復讐鬼となっていた。
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