氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―

柴田はつみ

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第十章:毒蛇の戴冠、あるいは静かなる簒奪(さんだつ)

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 リヴィアがギルベルトに身を寄せ、勝利を確信して微笑んだあの夜――北塔の主であるエルフレイデの心の内で、何かが完全に死に絶え、代わりに漆黒の“業火”が灯った。

 彼女は離縁状を認める手を止め、白く細い指でペンをへし折る。

「……逃げる? 私が? 笑わせないで」

 鏡に映る自分は、幽霊のように蒼白だった。
 しかし、その瞳だけは――飢えた獣のように、烈しく燃えている。

 ギルベルトが自分を愛さず、リヴィアという蛇を選ぶというのなら、それでいい。
 だが、心血を注ぎ、誇りを賭けて守ろうとしたこの“王妃の座”を、あんな女に易々と譲るなど――万死に値する。

「陛下……貴方が私を“置物”と呼んだこと、必ず後悔させて差し上げますわ」

 翌朝。
 エルフレイデは北塔を後にした。

 向かった先は、王の執務室ではない。
 王国の予算と人事を司る――枢密院の会議場だった。

「王妃様!? ここは政務の場、女性が立ち入る場所では――」

 狼狽する老臣たちを、エルフレイデは冷ややかな一瞥で黙らせた。

「陛下は現在、アステラ王女のご接遇でお忙しい身。
 ゆえに本日より、この国の内政はすべて――私が代行いたします。
 異論のある方は、今すぐその首を置いて去りなさい」

 背後には、不敵な笑みを浮かべるヴィオラと、剣そのもののような威圧感を放つカレンが控えている。

 エルフレイデは知っていた。
 ギルベルトが“嫌がらせ”として押し付けた膨大な汚職の証拠、領地改革案、王宮の弱点――
 北塔でただ泣いていたわけではない。
 牙を研いでいたのだ。

 ――数日後。

 王宮の異変に、ついにギルベルトが気づく。

 リヴィアへの献上品が、すべて差し止められていた。

「どういうことだ、バルト」
「……王妃様のご命令でございます。
 『国庫が逼迫している折、他国の王女に贅沢を許す余裕はない。
 不満があるなら、アステラへお帰りいただけばよい』と」

 ギルベルトが驚愕して廊下に出ると――

 そこには、豪華なドレスではなく、鉄紺の軍服を思わせる厳粛な装いに身を包み、大勢の文官を従えて歩くエルフレイデの姿があった。

「……エルフレイデ。お前、一体何をしている」

 問いかけにも、彼女は足を止めない。
 王と並ぶリヴィアを完全に無視し、氷の声で告げる。

「陛下。公務もなさらず、幼馴染とのお遊びに耽るのはご自由ですが……
 私が承認しなければ、貴方がその方に贈る薔薇の一輪でさえ、この城には届きませんわ」

「なっ……! なんて無礼な――!」

 叫ぶリヴィアを、エルフレイデは初めて正面から見据えた。
 その瞳の冷たさに、リヴィアは思わず一歩、退く。

「リヴィア様。貴女が狙っているこの座は――
 “毒蛇”である私が、とぐろを巻く玉座です。
 奪えるものなら、奪ってごらんなさい。
 ……ただし、その前にアステラへの支援金はすべて凍結いたしますけれど?」

 そして彼女は、初めてギルベルトに“勝利”の微笑を向けた。
 それは、愛を乞う女の微笑ではない。
 支配者の、冷酷な笑みだった。

「陛下――どうぞ、いつまでも仲睦まじく。お似合いですわ。
 私は、貴方がその女と睦み合いながら、徐々に実権を失い、
 ただの“飾りの王”へ堕ちていく姿を……特等席で拝見いたします」

 離縁などしない。
 逃げ出しもしない。

 ――彼女は決めたのだ。

 王が与えた「孤独」と「屈辱」という領土を、すべて掌握し、
 王とその愛人を、王宮という牢獄へ閉じ込める支配者になると。

 ギルベルトは、気高く、そして恐ろしいほどに変貌した妻を前に、
 戦慄と同時に――狂おしいほどの情熱を覚えていた。

 だが今のエルフレイデにとって、その情熱すら――
 復讐の道具にすぎなかった。
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