41 / 70
41.お断りします
しおりを挟む
後日、市長室で公務に励んでいた最中、扉が控えめにノックされた。入室してきた職員はどこか強張った表情で告げる。
「市長。王都からお客様がお見えです」
王都という言葉に思考がわずかに止まる。応接室へ向かい、扉を開けた私はそこにいる人物を見て思わず立ちすくんだ。
「―――聖女、エリーゼ様」
「まあ、こんな形でお会いするのは何年ぶりでしょう。お久しぶりですわね、ルティア様。いえ、今はルティア市長とお呼びすべきですわね」
脳裏にあの日の謁見の間が蘇る。婚約破棄を言い渡した時、その隣で寄り添っていた女性。その所作は変わらず優雅だったが、長旅の疲れか以前に王宮で見た時よりも血色が悪いように見えた。
「ようこそ、アトランシアへ。このような場所まで何の御用でしょうか」
努めて冷静に来訪の目的を問う。過去の因縁を蒸し返すつもりはない。今の私にはそんなことに割いている時間も感情もない。
「早速本題に入らせていただきますわ。王都の経済はもはや崩壊寸前ですの」
エリーゼは切羽詰まった表情で語り始めた。
「経済はもはや衰退しきっております。貴族たちは己の権益を守ることに懸命になり、民の暮らしは困窮するばかり。ヴォルフ殿下も…結局は父王の言いなりのまま、理想を実現することはおできにならなかった……。私のような者では彼を支えきれませんでした。ですのでもう、お別れしたのです」
貴族たちが没落していくと聞いても、喜びもなければ同情も湧いてこない。私にはもう関係のない遠い世界の出来事。それよりも都民や家族の方が心配だった。
「それに引き換え、この街の発展は目覚ましいものがありますわね。王都にまで噂は届いております。これもすべて、あなたの類まれなる才覚の賜物でしょう」
彼女の口調は自分だけが時代の流れを正しく見抜いていると言いたげだった。
「私には『聖なる癒やし』の力があります。傷を浄化し、作物の成長を促進する奇跡の魔法。けれど、今の王都ではこの力も正しく評価されません。この成長著しいアトランシアならば! 私の魔法の力を存分に発揮できると確信しておりますの」
彼女は一歩、私に近づいた。その瞳には再起を賭ける必死さが滲んでいるよう。
「かつてのことは水に流しましょう。これからはあなたと私、二人の特別な力を持つ者が手を携えれば、アトランシアは王都をも凌ぐ大陸一の都となるはず。さあ、ルティア市長。ともにアトランシアの輝かしい未来を築いていきましょうではありませんか!」
「お申し出は光栄です、エリーゼ様。ですが、丁重にお断りさせていただきます」
「な……なぜですの!? 私のこの力があればどれほどの人々を救えるか……!」
憮然とするエリーゼに、私はきっぱりと告げる。
「まず、一点訂正させていただきます。このアトランシアの発展は私一人の力によるものではありません。日夜尽力してくれた市の職員たち、国内外から集って知恵を貸してくれた専門家の方々、そして何より、自ら礎を築いてくれた市民一人一人の努力の結晶です」
私は窓の外に広がる、魔導灯に照らされた新市街に目を向けた。
「私たちは誰か一人の『特別な力』に依存する脆い未来を望んではいません。私が技術専門学校の設立を急いでいるのもそのためです。魔法や生まれ持った才能の有無にかかわらず、誰もが学び、技術を身につけ、自らの手で明日を切り拓く力を得ること。それこそがこの街が目指す真の強さなのです」
さらに言葉を続ける。
「あなたの『聖なる癒やし』は確かに素晴らしい御力なのでしょう。ですが、私たちは奇跡にすがるのではなく、地道な技術の発展によって、市民の生活を守っていきたいのです。……あなたのお力添えは残念ながら必要ありません」
彼女はこれまで保っていた優雅な仮面が音を立てて崩れ落ち、華奢な肩がわななくと震え始めた。
「そん……な……お願いします……! お願いしますわ、ルティア市長……! もう、私には行くところがないのです……。王宮には戻れません。ヴォルフ殿下ともお別れし、後ろ盾であった貴族の方々も皆、縁を切ってきました。このままでは私……!」
「一市民としてこの街で暮らしたいと仰るのでしたら、法に則って正式な手続きをご案内いたします。住居の斡旋や就職の支援も、他の移住者の方々と全く同じ条件で受けることが可能です。ですが重ねて申し上げますが、あなたを特別待遇を前提とした協力関係を結ぶことはできません。ここでは誰もが等しく、アトランシアの市民なのですから」
エリーゼはしばらく呆然と私を見つめていたが、やがてその言葉の意味を理解したのだろう。長い沈黙の後、彼女はドレスの裾を握りしめ、
「…………わかりましたわ。……その市民になるための手続きを……お願いいたします」
私は静かに頷くと、担当の職員を呼び出した。
「市長。王都からお客様がお見えです」
王都という言葉に思考がわずかに止まる。応接室へ向かい、扉を開けた私はそこにいる人物を見て思わず立ちすくんだ。
「―――聖女、エリーゼ様」
「まあ、こんな形でお会いするのは何年ぶりでしょう。お久しぶりですわね、ルティア様。いえ、今はルティア市長とお呼びすべきですわね」
脳裏にあの日の謁見の間が蘇る。婚約破棄を言い渡した時、その隣で寄り添っていた女性。その所作は変わらず優雅だったが、長旅の疲れか以前に王宮で見た時よりも血色が悪いように見えた。
「ようこそ、アトランシアへ。このような場所まで何の御用でしょうか」
努めて冷静に来訪の目的を問う。過去の因縁を蒸し返すつもりはない。今の私にはそんなことに割いている時間も感情もない。
「早速本題に入らせていただきますわ。王都の経済はもはや崩壊寸前ですの」
エリーゼは切羽詰まった表情で語り始めた。
「経済はもはや衰退しきっております。貴族たちは己の権益を守ることに懸命になり、民の暮らしは困窮するばかり。ヴォルフ殿下も…結局は父王の言いなりのまま、理想を実現することはおできにならなかった……。私のような者では彼を支えきれませんでした。ですのでもう、お別れしたのです」
貴族たちが没落していくと聞いても、喜びもなければ同情も湧いてこない。私にはもう関係のない遠い世界の出来事。それよりも都民や家族の方が心配だった。
「それに引き換え、この街の発展は目覚ましいものがありますわね。王都にまで噂は届いております。これもすべて、あなたの類まれなる才覚の賜物でしょう」
彼女の口調は自分だけが時代の流れを正しく見抜いていると言いたげだった。
「私には『聖なる癒やし』の力があります。傷を浄化し、作物の成長を促進する奇跡の魔法。けれど、今の王都ではこの力も正しく評価されません。この成長著しいアトランシアならば! 私の魔法の力を存分に発揮できると確信しておりますの」
彼女は一歩、私に近づいた。その瞳には再起を賭ける必死さが滲んでいるよう。
「かつてのことは水に流しましょう。これからはあなたと私、二人の特別な力を持つ者が手を携えれば、アトランシアは王都をも凌ぐ大陸一の都となるはず。さあ、ルティア市長。ともにアトランシアの輝かしい未来を築いていきましょうではありませんか!」
「お申し出は光栄です、エリーゼ様。ですが、丁重にお断りさせていただきます」
「な……なぜですの!? 私のこの力があればどれほどの人々を救えるか……!」
憮然とするエリーゼに、私はきっぱりと告げる。
「まず、一点訂正させていただきます。このアトランシアの発展は私一人の力によるものではありません。日夜尽力してくれた市の職員たち、国内外から集って知恵を貸してくれた専門家の方々、そして何より、自ら礎を築いてくれた市民一人一人の努力の結晶です」
私は窓の外に広がる、魔導灯に照らされた新市街に目を向けた。
「私たちは誰か一人の『特別な力』に依存する脆い未来を望んではいません。私が技術専門学校の設立を急いでいるのもそのためです。魔法や生まれ持った才能の有無にかかわらず、誰もが学び、技術を身につけ、自らの手で明日を切り拓く力を得ること。それこそがこの街が目指す真の強さなのです」
さらに言葉を続ける。
「あなたの『聖なる癒やし』は確かに素晴らしい御力なのでしょう。ですが、私たちは奇跡にすがるのではなく、地道な技術の発展によって、市民の生活を守っていきたいのです。……あなたのお力添えは残念ながら必要ありません」
彼女はこれまで保っていた優雅な仮面が音を立てて崩れ落ち、華奢な肩がわななくと震え始めた。
「そん……な……お願いします……! お願いしますわ、ルティア市長……! もう、私には行くところがないのです……。王宮には戻れません。ヴォルフ殿下ともお別れし、後ろ盾であった貴族の方々も皆、縁を切ってきました。このままでは私……!」
「一市民としてこの街で暮らしたいと仰るのでしたら、法に則って正式な手続きをご案内いたします。住居の斡旋や就職の支援も、他の移住者の方々と全く同じ条件で受けることが可能です。ですが重ねて申し上げますが、あなたを特別待遇を前提とした協力関係を結ぶことはできません。ここでは誰もが等しく、アトランシアの市民なのですから」
エリーゼはしばらく呆然と私を見つめていたが、やがてその言葉の意味を理解したのだろう。長い沈黙の後、彼女はドレスの裾を握りしめ、
「…………わかりましたわ。……その市民になるための手続きを……お願いいたします」
私は静かに頷くと、担当の職員を呼び出した。
2
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された私ですが、領地も結婚も大成功でした
鍛高譚
恋愛
婚約破棄――
それは、貴族令嬢ヴェルナの人生を大きく変える出来事だった。
理不尽な理由で婚約を破棄され、社交界からも距離を置かれた彼女は、
失意の中で「自分にできること」を見つめ直す。
――守るべきは、名誉ではなく、人々の暮らし。
領地に戻ったヴェルナは、教育・医療・雇用といった
“生きるために本当に必要なもの”に向き合い、
誠実に、地道に改革を進めていく。
やがてその努力は住民たちの信頼を集め、
彼女は「模範的な領主」として名を知られる存在へと成confirm。
そんな彼女の隣に立ったのは、
権力や野心ではなく、同じ未来を見据える誠実な領主・エリオットだった。
過去に囚われる者は没落し、
前を向いた者だけが未来を掴む――。
婚約破棄から始まる逆転の物語は、
やがて“幸せな結婚”と“領地の繁栄”という、
誰もが望む結末へと辿り着く。
これは、捨てられた令嬢が
自らの手で人生と未来を取り戻す物語。
婚約破棄されたので聖獣育てて田舎に帰ったら、なぜか世界の中心になっていました
かしおり
恋愛
「アメリア・ヴァルディア。君との婚約は、ここで破棄する」
王太子ロウェルの冷酷な言葉と共に、彼は“平民出身の聖女”ノエルの手を取った。
だが侯爵令嬢アメリアは、悲しむどころか——
「では、実家に帰らせていただきますね」
そう言い残し、静かにその場を後にした。
向かった先は、聖獣たちが棲まう辺境の地。
かつて彼女が命を救った聖獣“ヴィル”が待つ、誰も知らぬ聖域だった。
魔物の侵攻、暴走する偽聖女、崩壊寸前の王都——
そして頼る者すらいなくなった王太子が頭を垂れたとき、
アメリアは静かに告げる。
「もう遅いわ。今さら後悔しても……ヴィルが許してくれないもの」
聖獣たちと共に、新たな居場所で幸せに生きようとする彼女に、
世界の運命すら引き寄せられていく——
ざまぁもふもふ癒し満載!
婚約破棄から始まる、爽快&優しい異世界スローライフファンタジー!
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?
ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」
華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。
目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。
──あら、デジャヴ?
「……なるほど」
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
婚約破棄はまだですか?─豊穣をもたらす伝説の公爵令嬢に転生したけど、王太子がなかなか婚約破棄してこない
nanahi
恋愛
火事のあと、私は王太子の婚約者:シンシア・ウォーレンに転生した。王国に豊穣をもたらすという伝説の黒髪黒眼の公爵令嬢だ。王太子は婚約者の私がいながら、男爵令嬢ケリーを愛していた。「王太子から婚約破棄されるパターンね」…私はつらい前世から解放された喜びから、破棄を進んで受け入れようと自由に振る舞っていた。ところが王太子はなかなか破棄を告げてこなくて…?
婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています
ゆっこ
恋愛
「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」
王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。
「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」
本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。
王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。
「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる