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ヒルデロッタ伯爵家に雇ってもらうことはできなかったが、それほど日を空けることなく、カーティスはヒルデロッタ家を訪問することになった。
ヒルデロッタ伯爵から、職の斡旋ではなく、婚約の申出をいただいたからだ。少し話をしただけなのだが、どうやら気に入ってもらえたらしく、ヒルデロッタ伯爵家を継ぐ娘と婚約してくれないか、とのことだった。
詳しく話を聞くと、隣領のルター伯爵家から婚約の申出があったそうで、腹に一物あるような相手との婚約は断りたいので、早々に婚約者を決めてしまおうと思い立ってのことらしい。
父親から意志を確認されたカーティスは、自分でも驚く速さで返事をしていた。
もちろん、お受けする、と。
再開したアンナマリーは、前回会った時よりもおめかししていて、思わず笑みが漏れるほど可愛らしかった。
婚約相手と思って会ってくれているからなのか、ちょっと恥ずかしそうに頬を染められると、こちらも何だか恥ずかしくなってしまう。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
お互いにそれだけ言って微笑み合うだけで、満ち足りた気持ちになった。
まだ決まっていなかった家庭教師も兼ねて、ヒルデロッタ家に滞在することになり、カーティスとアンナマリーは交流を重ねた。
学院に入学するまでの基礎の学習と礼儀作法、国内の情勢などを教えるカーティスに、アンナマリーは毎回、
「やっぱり、カーティス様の教え方はわかりやすいわ!」
と絶賛してくれる。
頼りにされるのは、とても嬉しかった。
そんな生活に慣れてきたあの日、事故は起こった。
ヒルデロッタ伯爵と夫人が乗った馬車が、事故に会ったのだ。天候不良の道中、崖から滑落したらしい。護衛が連れ帰ってきたのは、既に事切れた伯爵と虫の息の伯爵夫人だった。
突然の当主の訃報に伯爵家は騒然となり、浮き足だった。アンナマリーは目を覚さない母親に付きっきり。カーティスは、まだ正式に婚約した訳でもない身の上としては越権行為かとも感じながらも、家令たちと共に奔走した。
何とか意識を取り戻した夫人の意思を確認した上で、国への報告を行ったものの、これからどうするべきかの答えが出ぬ間に、来訪者があった。
隣領のルター伯爵本人だ。
お悔やみと見舞いを兼ねて訪れた相手に、当主として夫人は床に臥せながらも会わざるを得なかった。
同席した家令によると、隣のよしみで領政を手伝いましょう、つまりは後見人になるという申出だった。
伯爵は亡くなり、夫人は寝たきり。後継者のアンナマリーは未成年。ならば、誰か後見人を付けることを国に報告しなければならない。しかし、ヒルデロッタ家の縁戚たちは物理的に距離が離れていて、まだ後見人を選ぶことができていない。カーティス自身は爵位を持たないので、後見人にはなれないし、カーティスの父も縁が遠過ぎて、候補にも上がっていない。
領地を接するルター伯爵の申出は、それほど非常識なものとは言えなかった。
亡くなった伯爵が敬遠していたルター伯爵の申出を受けて大丈夫なのか、と危惧するカーティスの元へ、青い顔をしたアンナマリーがやってきた。
「カーティス様! さっきお母様のところに来た人は誰なの?!」
懐に飛び込んできた彼女は、震えている。どうやら、夫人とルター伯爵の対面時に同席していたようだ。
「とても酷いことを、その、よくわからないけれどとても嫌な感じのことを言われて、お母様が泣き崩れてっ……!」
そう言ったアンナマリーの瞳からも涙が溢れる。思わず抱きしめ返しながら、話の内容を尋ねる。
どういう意味かわからない、と前置きしてから彼女が口にしたルター伯爵の言葉に絶句してしまう。思っていた以上に酷い内容で、ただただ怒りが湧き上がった。
腕の中で嗚咽を漏らすアンナマリー、彼女の残されたただ一人の家族である夫人、そして彼女の大事なヒルデロッタ家を守らなくては。
時間がない。
ヒルデロッタ家の血縁から後見人が選出される前に、ルター伯爵が寝たきりのヒルデロッタ夫人の了承を得たと偽装して国へ後見人の届出をしてしまえば、容易に取消しはできなくなる。国にすれば、このような田舎の所領、誰が後見人になろうが正しく税さえ納めてくれれば問題ないのだ。
考えろ。他家から口を出されないように、後見人の届出を勝手にされてしまわないようにするには、どうすればいい?
アンナマリーが成人していれば、せめて婚姻できる年齢になっていれば、すぐにカーティスがヒルデロッタ家に婿養子として入り、後見人など不要になったのに。
そう考えた時、ひとつの方法に気付いてしまった。カーティスが今すぐヒルデロッタ家の一員になる術があることを。
「大丈夫だよ、私が何とかするから。マリーもマリーの母君もヒルデロッタ家も、必ず私が守る」
気付けば、そう口にしていた。
泣き腫らした目で見上げてくる彼女の顔を見たら、心の中とは裏腹に、自然に笑顔を浮かべることができた。
後悔などしない。
すぐにカーティスは夫人にヒルデロッタ家を守るための婚姻を申し入れた。夫人に対して失礼な提案であったにも関わらず、受け入れてもらえた。ルター伯爵と直接話した彼女も、他に方法がないと思ったのだろう。
ただ、条件をつけられた。
夫人とカーティスの再婚は、書類上だけのものとすること。
そして、カーティスとアンナマリーの養子縁組は行わないこと。
ひとつめは、そもそもそのつもりだった。
だけど、ふたつめの条件を聞いて、果たしてこれに意味があるのだろうかと、カーティスは思った。
「私がマリーにできることは、もうこれくらいしかないわ」
夫人は力無く、そう言ってから、
「ごめんね、マリー」
と、小さな声で呟いた。
カーティスも心の中で、同じ言葉を呟いたのだった。
ヒルデロッタ伯爵から、職の斡旋ではなく、婚約の申出をいただいたからだ。少し話をしただけなのだが、どうやら気に入ってもらえたらしく、ヒルデロッタ伯爵家を継ぐ娘と婚約してくれないか、とのことだった。
詳しく話を聞くと、隣領のルター伯爵家から婚約の申出があったそうで、腹に一物あるような相手との婚約は断りたいので、早々に婚約者を決めてしまおうと思い立ってのことらしい。
父親から意志を確認されたカーティスは、自分でも驚く速さで返事をしていた。
もちろん、お受けする、と。
再開したアンナマリーは、前回会った時よりもおめかししていて、思わず笑みが漏れるほど可愛らしかった。
婚約相手と思って会ってくれているからなのか、ちょっと恥ずかしそうに頬を染められると、こちらも何だか恥ずかしくなってしまう。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
お互いにそれだけ言って微笑み合うだけで、満ち足りた気持ちになった。
まだ決まっていなかった家庭教師も兼ねて、ヒルデロッタ家に滞在することになり、カーティスとアンナマリーは交流を重ねた。
学院に入学するまでの基礎の学習と礼儀作法、国内の情勢などを教えるカーティスに、アンナマリーは毎回、
「やっぱり、カーティス様の教え方はわかりやすいわ!」
と絶賛してくれる。
頼りにされるのは、とても嬉しかった。
そんな生活に慣れてきたあの日、事故は起こった。
ヒルデロッタ伯爵と夫人が乗った馬車が、事故に会ったのだ。天候不良の道中、崖から滑落したらしい。護衛が連れ帰ってきたのは、既に事切れた伯爵と虫の息の伯爵夫人だった。
突然の当主の訃報に伯爵家は騒然となり、浮き足だった。アンナマリーは目を覚さない母親に付きっきり。カーティスは、まだ正式に婚約した訳でもない身の上としては越権行為かとも感じながらも、家令たちと共に奔走した。
何とか意識を取り戻した夫人の意思を確認した上で、国への報告を行ったものの、これからどうするべきかの答えが出ぬ間に、来訪者があった。
隣領のルター伯爵本人だ。
お悔やみと見舞いを兼ねて訪れた相手に、当主として夫人は床に臥せながらも会わざるを得なかった。
同席した家令によると、隣のよしみで領政を手伝いましょう、つまりは後見人になるという申出だった。
伯爵は亡くなり、夫人は寝たきり。後継者のアンナマリーは未成年。ならば、誰か後見人を付けることを国に報告しなければならない。しかし、ヒルデロッタ家の縁戚たちは物理的に距離が離れていて、まだ後見人を選ぶことができていない。カーティス自身は爵位を持たないので、後見人にはなれないし、カーティスの父も縁が遠過ぎて、候補にも上がっていない。
領地を接するルター伯爵の申出は、それほど非常識なものとは言えなかった。
亡くなった伯爵が敬遠していたルター伯爵の申出を受けて大丈夫なのか、と危惧するカーティスの元へ、青い顔をしたアンナマリーがやってきた。
「カーティス様! さっきお母様のところに来た人は誰なの?!」
懐に飛び込んできた彼女は、震えている。どうやら、夫人とルター伯爵の対面時に同席していたようだ。
「とても酷いことを、その、よくわからないけれどとても嫌な感じのことを言われて、お母様が泣き崩れてっ……!」
そう言ったアンナマリーの瞳からも涙が溢れる。思わず抱きしめ返しながら、話の内容を尋ねる。
どういう意味かわからない、と前置きしてから彼女が口にしたルター伯爵の言葉に絶句してしまう。思っていた以上に酷い内容で、ただただ怒りが湧き上がった。
腕の中で嗚咽を漏らすアンナマリー、彼女の残されたただ一人の家族である夫人、そして彼女の大事なヒルデロッタ家を守らなくては。
時間がない。
ヒルデロッタ家の血縁から後見人が選出される前に、ルター伯爵が寝たきりのヒルデロッタ夫人の了承を得たと偽装して国へ後見人の届出をしてしまえば、容易に取消しはできなくなる。国にすれば、このような田舎の所領、誰が後見人になろうが正しく税さえ納めてくれれば問題ないのだ。
考えろ。他家から口を出されないように、後見人の届出を勝手にされてしまわないようにするには、どうすればいい?
アンナマリーが成人していれば、せめて婚姻できる年齢になっていれば、すぐにカーティスがヒルデロッタ家に婿養子として入り、後見人など不要になったのに。
そう考えた時、ひとつの方法に気付いてしまった。カーティスが今すぐヒルデロッタ家の一員になる術があることを。
「大丈夫だよ、私が何とかするから。マリーもマリーの母君もヒルデロッタ家も、必ず私が守る」
気付けば、そう口にしていた。
泣き腫らした目で見上げてくる彼女の顔を見たら、心の中とは裏腹に、自然に笑顔を浮かべることができた。
後悔などしない。
すぐにカーティスは夫人にヒルデロッタ家を守るための婚姻を申し入れた。夫人に対して失礼な提案であったにも関わらず、受け入れてもらえた。ルター伯爵と直接話した彼女も、他に方法がないと思ったのだろう。
ただ、条件をつけられた。
夫人とカーティスの再婚は、書類上だけのものとすること。
そして、カーティスとアンナマリーの養子縁組は行わないこと。
ひとつめは、そもそもそのつもりだった。
だけど、ふたつめの条件を聞いて、果たしてこれに意味があるのだろうかと、カーティスは思った。
「私がマリーにできることは、もうこれくらいしかないわ」
夫人は力無く、そう言ってから、
「ごめんね、マリー」
と、小さな声で呟いた。
カーティスも心の中で、同じ言葉を呟いたのだった。
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