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第三話 真実の愛に祝辞を
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「花嫁の祝辞……!?」
誰かの呟きが、まるで石を投げ込んだ水面のように、会場の空気を波立たせた。
……そんなもの、式次第には存在しないはずだった。
前代未聞の事態に観衆が息を呑む。
誰もが一歩も動けず、その視線はただ――彼女に注がれていた。
「“真実の愛”に目覚められたとのこと、殿下……まことに、おめでとうございますわ」
――会場の静寂を破ったのは、リシェルの涼やかな声だった。
それは澄み渡るように美しく、それでいてどこか張り詰めた氷の刃のようでもあった。
「皆様、盛大な拍手をお願いいたします」
そう言って、リシェル自身が静かに両手を打ち鳴らす。
ぱん、ぱん――。
乾いた音が、聖堂の広間に不自然なほど響き渡る。
その後、音は消え、沈黙だけが残った。
まるで誰も、夢から覚められずに息を潜めているかのように。
そして、静まり返る空間の中――リシェルはにっこりと微笑んだ。
「まあ……盛大な拍手をありがとうございます」
その言葉に、セドリックがわずかに眉をひそめた。
空気が――何かおかしい、と気づき始めている証だった。
だが、そんな彼に向かって、リシェルはただ静かに、やわらかく微笑みかけた。
「わたくしのことなど、どうかお忘れになって……
おふたりで、“真実の愛”を貫いてくださいまし」
「いや、忘れられないさ!
君ならわかってくれるって信じてたよ。
ものわかりの悪い婚約者だったらフェリシアも困っていただろうからね。
リシェル、ほんとうに君が婚約者で良かった!
君にも、いつか“真実の愛”が見つかると心から祈っているよ」
「……いえ、お祈りは不要ですわ。
どうか、お忘れになってくださいまし」
――ますます、凍りつく会場。
リシェルはにこりと微笑み、ゆっくりと一礼する。
その所作は、最後まで花嫁であろうとするかのように、どこまでも優雅だった。
「やや簡素ではございますが……この場には、これくらいが丁度よろしいかと。
――以上をもちまして、祝辞とさせていただきますわ」
彼女はすっと身を起こすと、くるりと裾を揺らしながら、王のほうへと向き直る。
王は何か言おうとしたものの、言葉が出てこなかった。
そのまま口を開いたまま、唇だけが空しく動く。
「婚礼の儀が中止となりました以上、わたくしの役目はここまで。
後は正式な手続きにて、王家のご意向をお伝えいただければ幸いですわ」
拍手も、嘆声も、誰ひとり発さない沈黙。
聖堂の中では、蝋燭の炎が揺らぐたびに、わずかな音を立てていた。
セドリックは気まずげに咳払いしたが、
どうやら“感動の舞台は大成功”と信じて疑っていないらしい。
王は頭を抱え、アメリアは長いため息をひとつ。
コツ、コツ――。
次の瞬間、静まり返った聖堂内に靴音が響いた。
ざわ…と、微かな波が人々の間に走った。
誰もが予想していなかった出来事に、さらに予想外の行動が重なる。
セドリックは胸を張ったまま壇を降り、まっすぐにリシェルへ歩み寄った。
「リシェル、君と僕の婚約は解消するけれど、王家と公爵家として――
これからも良き友人でいたいと思っている。握手をしよう」
謝罪――かと思いきや、にっこりと微笑んだその顔は、これで舞台は大団円だとでも言いたげだった。
その手が差し出される直前――
リシェルの隣に控えるクラウスが、音もなく一歩前に出た。
その動きは水面を滑る影のように静かだった。
銀の仮面越しに、王子を静かに見据えたまま――
「――お嬢様の手は、今は冷えておられますので」
低く、しかしはっきりと告げられたその声に、セドリックは一瞬だけ眉を動かし、手を引っ込める。
クラウスは、微笑みを湛えたままのリシェルに静かに一礼した。
「お嬢様。ご退出の準備は整っております。
馬車も、すでに表に」
「……いつもありがとう、クラウス」
リシェルは、ウェディングドレスの裾をつまむと扉へと歩を進めた。
そして、最後にゆっくりと振り返り、もう一度だけ、壇上のふたりに視線を向けた。
その視線を受けて、セドリックは得意げに胸を張り、
フェリシアは瞳に涙をためたまま、小さく会釈を返す。
あたかもそれが当然の流れであるかのように――微笑みを添えて。
だが、リシェルの眼差しには、ほんの少しの揺らぎもなかった。
それは、怒りでも侮蔑でもなく――
ただ、何かを見極めるような、冷静で、静かな瞳。
まるで――この芝居が、本当にこれで終わりなのかを問いかけるような。
「……ええ。まことに、驚きの連続ですわ。
ですが、何にせよ“晴れの日”には違いありませんもの。
――どうぞ、末永くお幸せに」
その言葉に、明確な敵意はなかった。
けれどそれは、まるで“何かが終わった”ことを静かに告げる鐘の音。
ゆっくりと、深く、聖堂の空気に――長く長く、余韻を響かせた。
一瞬、誰もが息を呑んだ中で。
王女アメリアが、ふっと唇の端を上げた。
「……ふふ。やっぱり、あなたはただ者じゃないわね、リシェル嬢」
誰かの呟きが、まるで石を投げ込んだ水面のように、会場の空気を波立たせた。
……そんなもの、式次第には存在しないはずだった。
前代未聞の事態に観衆が息を呑む。
誰もが一歩も動けず、その視線はただ――彼女に注がれていた。
「“真実の愛”に目覚められたとのこと、殿下……まことに、おめでとうございますわ」
――会場の静寂を破ったのは、リシェルの涼やかな声だった。
それは澄み渡るように美しく、それでいてどこか張り詰めた氷の刃のようでもあった。
「皆様、盛大な拍手をお願いいたします」
そう言って、リシェル自身が静かに両手を打ち鳴らす。
ぱん、ぱん――。
乾いた音が、聖堂の広間に不自然なほど響き渡る。
その後、音は消え、沈黙だけが残った。
まるで誰も、夢から覚められずに息を潜めているかのように。
そして、静まり返る空間の中――リシェルはにっこりと微笑んだ。
「まあ……盛大な拍手をありがとうございます」
その言葉に、セドリックがわずかに眉をひそめた。
空気が――何かおかしい、と気づき始めている証だった。
だが、そんな彼に向かって、リシェルはただ静かに、やわらかく微笑みかけた。
「わたくしのことなど、どうかお忘れになって……
おふたりで、“真実の愛”を貫いてくださいまし」
「いや、忘れられないさ!
君ならわかってくれるって信じてたよ。
ものわかりの悪い婚約者だったらフェリシアも困っていただろうからね。
リシェル、ほんとうに君が婚約者で良かった!
君にも、いつか“真実の愛”が見つかると心から祈っているよ」
「……いえ、お祈りは不要ですわ。
どうか、お忘れになってくださいまし」
――ますます、凍りつく会場。
リシェルはにこりと微笑み、ゆっくりと一礼する。
その所作は、最後まで花嫁であろうとするかのように、どこまでも優雅だった。
「やや簡素ではございますが……この場には、これくらいが丁度よろしいかと。
――以上をもちまして、祝辞とさせていただきますわ」
彼女はすっと身を起こすと、くるりと裾を揺らしながら、王のほうへと向き直る。
王は何か言おうとしたものの、言葉が出てこなかった。
そのまま口を開いたまま、唇だけが空しく動く。
「婚礼の儀が中止となりました以上、わたくしの役目はここまで。
後は正式な手続きにて、王家のご意向をお伝えいただければ幸いですわ」
拍手も、嘆声も、誰ひとり発さない沈黙。
聖堂の中では、蝋燭の炎が揺らぐたびに、わずかな音を立てていた。
セドリックは気まずげに咳払いしたが、
どうやら“感動の舞台は大成功”と信じて疑っていないらしい。
王は頭を抱え、アメリアは長いため息をひとつ。
コツ、コツ――。
次の瞬間、静まり返った聖堂内に靴音が響いた。
ざわ…と、微かな波が人々の間に走った。
誰もが予想していなかった出来事に、さらに予想外の行動が重なる。
セドリックは胸を張ったまま壇を降り、まっすぐにリシェルへ歩み寄った。
「リシェル、君と僕の婚約は解消するけれど、王家と公爵家として――
これからも良き友人でいたいと思っている。握手をしよう」
謝罪――かと思いきや、にっこりと微笑んだその顔は、これで舞台は大団円だとでも言いたげだった。
その手が差し出される直前――
リシェルの隣に控えるクラウスが、音もなく一歩前に出た。
その動きは水面を滑る影のように静かだった。
銀の仮面越しに、王子を静かに見据えたまま――
「――お嬢様の手は、今は冷えておられますので」
低く、しかしはっきりと告げられたその声に、セドリックは一瞬だけ眉を動かし、手を引っ込める。
クラウスは、微笑みを湛えたままのリシェルに静かに一礼した。
「お嬢様。ご退出の準備は整っております。
馬車も、すでに表に」
「……いつもありがとう、クラウス」
リシェルは、ウェディングドレスの裾をつまむと扉へと歩を進めた。
そして、最後にゆっくりと振り返り、もう一度だけ、壇上のふたりに視線を向けた。
その視線を受けて、セドリックは得意げに胸を張り、
フェリシアは瞳に涙をためたまま、小さく会釈を返す。
あたかもそれが当然の流れであるかのように――微笑みを添えて。
だが、リシェルの眼差しには、ほんの少しの揺らぎもなかった。
それは、怒りでも侮蔑でもなく――
ただ、何かを見極めるような、冷静で、静かな瞳。
まるで――この芝居が、本当にこれで終わりなのかを問いかけるような。
「……ええ。まことに、驚きの連続ですわ。
ですが、何にせよ“晴れの日”には違いありませんもの。
――どうぞ、末永くお幸せに」
その言葉に、明確な敵意はなかった。
けれどそれは、まるで“何かが終わった”ことを静かに告げる鐘の音。
ゆっくりと、深く、聖堂の空気に――長く長く、余韻を響かせた。
一瞬、誰もが息を呑んだ中で。
王女アメリアが、ふっと唇の端を上げた。
「……ふふ。やっぱり、あなたはただ者じゃないわね、リシェル嬢」
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