15 / 35
第十五話 街角にて。主従のひととき
しおりを挟む
翌日。
王都は雲ひとつない青空に包まれていた。
石畳の街道に木漏れ日が踊り、街路樹の葉が初夏の風にさらさらと揺れている。
「本当に、お出かけされても良かったのですか?」
馬車の中、クラウスが傍らで問いかける。
「ええ。……ずっと屋敷の中ばかりでは、気が滅入ってしまいますもの」
リシェルは帽子を軽く押さえ、窓の外に目を細めた。
陽光が反射する色とりどりの屋根、広場に向かう人々のにぎわい――そこに確かに、“日常”があった。
けれど、彼女の笑顔にはまだ薄氷のような脆さが残っていた。
それでも――前を向こうとする意志が、その目には確かに宿っていた。
二人を乗せた馬車は、王都の中心街へと滑るように進む。
やがて中央広場近くで止まり、クラウスが扉を開ける。
「……お足元にお気をつけて」
丁寧に差し出されたその手を、リシェルはふっと笑みを浮かべながら取る。
スカートの裾がふわりと揺れ、日の光が金の髪に柔らかくきらめいた。
道ゆく人々が、その優雅な立ち姿に目を奪われる。
黒燕尾の男がさりげなく日傘を差し出し、貴族の娘が涼やかに礼を返し――
宮廷画の一節のように、場面がぴたりと収まる。
「少しだけ、お付き合いを。新しい書き物机が見たいのです」
「かしこまりました、お嬢様」
目的の家具店まで、街路を気ままに歩く。
雑貨店の窓には絵皿や刺繍、宝飾店のガラス越しには、銀や琥珀の光が並んでいた。
そんな中、リシェルの視線がふと、ある店先に吸い寄せられる。
「あら、可愛らしい……」
陳列棚にずらりと並んでいたのは、指先ほどの小さなティーセットや、花束を抱えた猫のミニチュア人形たち。
思わず足を止めたリシェルの横顔を、クラウスがちらりと見やる。
「……お好きでしたか?」
「ええ。子どもの頃、父が旅先からこういう小物を持ち帰ってくれたものでしたわ」
少し懐かしむように、笑う。
「この猫……わたくしに似ていません?」
リシェルが手に取ったのは、どこかすました顔で、小さな本を読んでいる猫の人形だった。
その表情を覗き込むように見たクラウスは、静かに口元を綻ばせる。
「……似ておられます。そのすまし顔も、読書に夢中なところも」
「まあ……少しは褒め言葉として受け取っても、よくって?」
「もちろんでございます。愛らしくて――少し意地っ張りなところも、含めて」
「……っ。そういうことを、さらりと言うのは反則ですわ」
リシェルは小さく咳払いをして視線を逸らしながら、それでも口元には微笑が浮かんでいた。
猫の人形をそっと包んでもらいながら、彼女はぽつりと呟く。
「――では、この子はわたくしの身代わりとして、机の上に飾りましょうか。
時々、貴方を睨んでもらうために」
「光栄に存じます、お嬢様」
一礼。二人の間に、やわらかな空気が流れた。
――そんなひとときのあと、ふと隣の宝飾店のウィンドウに目が留まる。
リシェルは、繊細な細工が入った小さな金の指輪を見つけて立ち止まる――
店主がそっとガラスを開き、白い手袋でそれを差し出す。
リシェルはその指輪をそっと摘み、光にかざして揺らした。
庶民が恋人に贈るような、質素な品。けれど、そこに宿る手仕事の温もりに、どこか心が惹かれた。
「これは……少し地味かしら?」
ほんの一瞬、言葉を選ぶように視線を落としてから、静かに応えた。
「お嬢様には、落ち着いた品がよく似合います」
「そう? ふふ。クラウス、貴方は本当に何でもよく見ていますのね」
「お嬢様のことなら。……職務でございますから」
「……あら、わたくし以外も含めて、ではありませんこと?
でも今日は……いつもより少し、優しいですわ」
リシェルが指輪を見つめ、小さく微笑んだ――その瞬間。
……遠く、風の音が一度だけ、耳をかすめた。
そして――
「こちらを頂こうかしら……」
リシェルはふと、指輪をもう一度光にかざして、優しく微笑んだ。
「……いつか、このくらいの指輪を誰かから頂ける日が来たら、素敵ですわね」
クラウスは、一瞬だけ言葉を失ったように沈黙した。
その言葉に、クラウスが何か返そうとした、その時――
風が一度、逆立つ。広場の方角で人影が流れた。
一拍の間を置いて、
――鋭い叫び声が上がった。
その声にふたりが同時に振り向いた、その刹那。
リシェルの手から包みがすべり落ちる――。
王都は雲ひとつない青空に包まれていた。
石畳の街道に木漏れ日が踊り、街路樹の葉が初夏の風にさらさらと揺れている。
「本当に、お出かけされても良かったのですか?」
馬車の中、クラウスが傍らで問いかける。
「ええ。……ずっと屋敷の中ばかりでは、気が滅入ってしまいますもの」
リシェルは帽子を軽く押さえ、窓の外に目を細めた。
陽光が反射する色とりどりの屋根、広場に向かう人々のにぎわい――そこに確かに、“日常”があった。
けれど、彼女の笑顔にはまだ薄氷のような脆さが残っていた。
それでも――前を向こうとする意志が、その目には確かに宿っていた。
二人を乗せた馬車は、王都の中心街へと滑るように進む。
やがて中央広場近くで止まり、クラウスが扉を開ける。
「……お足元にお気をつけて」
丁寧に差し出されたその手を、リシェルはふっと笑みを浮かべながら取る。
スカートの裾がふわりと揺れ、日の光が金の髪に柔らかくきらめいた。
道ゆく人々が、その優雅な立ち姿に目を奪われる。
黒燕尾の男がさりげなく日傘を差し出し、貴族の娘が涼やかに礼を返し――
宮廷画の一節のように、場面がぴたりと収まる。
「少しだけ、お付き合いを。新しい書き物机が見たいのです」
「かしこまりました、お嬢様」
目的の家具店まで、街路を気ままに歩く。
雑貨店の窓には絵皿や刺繍、宝飾店のガラス越しには、銀や琥珀の光が並んでいた。
そんな中、リシェルの視線がふと、ある店先に吸い寄せられる。
「あら、可愛らしい……」
陳列棚にずらりと並んでいたのは、指先ほどの小さなティーセットや、花束を抱えた猫のミニチュア人形たち。
思わず足を止めたリシェルの横顔を、クラウスがちらりと見やる。
「……お好きでしたか?」
「ええ。子どもの頃、父が旅先からこういう小物を持ち帰ってくれたものでしたわ」
少し懐かしむように、笑う。
「この猫……わたくしに似ていません?」
リシェルが手に取ったのは、どこかすました顔で、小さな本を読んでいる猫の人形だった。
その表情を覗き込むように見たクラウスは、静かに口元を綻ばせる。
「……似ておられます。そのすまし顔も、読書に夢中なところも」
「まあ……少しは褒め言葉として受け取っても、よくって?」
「もちろんでございます。愛らしくて――少し意地っ張りなところも、含めて」
「……っ。そういうことを、さらりと言うのは反則ですわ」
リシェルは小さく咳払いをして視線を逸らしながら、それでも口元には微笑が浮かんでいた。
猫の人形をそっと包んでもらいながら、彼女はぽつりと呟く。
「――では、この子はわたくしの身代わりとして、机の上に飾りましょうか。
時々、貴方を睨んでもらうために」
「光栄に存じます、お嬢様」
一礼。二人の間に、やわらかな空気が流れた。
――そんなひとときのあと、ふと隣の宝飾店のウィンドウに目が留まる。
リシェルは、繊細な細工が入った小さな金の指輪を見つけて立ち止まる――
店主がそっとガラスを開き、白い手袋でそれを差し出す。
リシェルはその指輪をそっと摘み、光にかざして揺らした。
庶民が恋人に贈るような、質素な品。けれど、そこに宿る手仕事の温もりに、どこか心が惹かれた。
「これは……少し地味かしら?」
ほんの一瞬、言葉を選ぶように視線を落としてから、静かに応えた。
「お嬢様には、落ち着いた品がよく似合います」
「そう? ふふ。クラウス、貴方は本当に何でもよく見ていますのね」
「お嬢様のことなら。……職務でございますから」
「……あら、わたくし以外も含めて、ではありませんこと?
でも今日は……いつもより少し、優しいですわ」
リシェルが指輪を見つめ、小さく微笑んだ――その瞬間。
……遠く、風の音が一度だけ、耳をかすめた。
そして――
「こちらを頂こうかしら……」
リシェルはふと、指輪をもう一度光にかざして、優しく微笑んだ。
「……いつか、このくらいの指輪を誰かから頂ける日が来たら、素敵ですわね」
クラウスは、一瞬だけ言葉を失ったように沈黙した。
その言葉に、クラウスが何か返そうとした、その時――
風が一度、逆立つ。広場の方角で人影が流れた。
一拍の間を置いて、
――鋭い叫び声が上がった。
その声にふたりが同時に振り向いた、その刹那。
リシェルの手から包みがすべり落ちる――。
45
あなたにおすすめの小説
私がいなくなっても構わないと言ったのは、あなたの方ですよ?
睡蓮
恋愛
セレスとクレイは婚約関係にあった。しかし、セレスよりも他の女性に目移りしてしまったクレイは、ためらうこともなくセレスの事を婚約破棄の上で追放してしまう。お前などいてもいなくても構わないと別れの言葉を告げたクレイであったものの、後に全く同じ言葉をセレスから返されることとなることを、彼は知らないままであった…。
※全6話完結です。
王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?
いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、
たまたま付き人と、
「婚約者のことが好きなわけじゃないー
王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」
と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。
私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、
「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」
なんで執着するんてすか??
策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー
基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。
他小説サイトにも投稿しています。
愚か者が自滅するのを、近くで見ていただけですから
越智屋ノマ
恋愛
宮中舞踏会の最中、侯爵令嬢ルクレツィアは王太子グレゴリオから一方的に婚約破棄を宣告される。新たな婚約者は、平民出身で才女と名高い女官ピア・スミス。
新たな時代の象徴を気取る王太子夫妻の華やかな振る舞いは、やがて国中の不満を集め、王家は静かに綻び始めていく。
一方、表舞台から退いたはずのルクレツィアは、親友である王女アリアンヌと再会する。――崩れゆく王家を前に、それぞれの役割を選び取った『親友』たちの結末は?
婚約破棄された地味伯爵令嬢は、隠れ錬金術師でした~追放された辺境でスローライフを始めたら、隣国の冷徹魔導公爵に溺愛されて最強です~
ふわふわ
恋愛
地味で目立たない伯爵令嬢・エルカミーノは、王太子カイロンとの政略婚約を強いられていた。
しかし、転生聖女ソルスティスに心を奪われたカイロンは、公開の舞踏会で婚約破棄を宣言。「地味でお前は不要!」と嘲笑う。
周囲から「悪役令嬢」の烙印を押され、辺境追放を言い渡されたエルカミーノ。
だが内心では「やったー! これで自由!」と大喜び。
実は彼女は前世の記憶を持つ天才錬金術師で、希少素材ゼロで最強ポーションを作れるチート級の才能を隠していたのだ。
追放先の辺境で、忠実なメイド・セシルと共に薬草園を開き、のんびりスローライフを始めるエルカミーノ。
作ったポーションが村人を救い、次第に評判が広がっていく。
そんな中、隣国から視察に来た冷徹で美麗な魔導公爵・ラクティスが、エルカミーノの才能に一目惚れ(?)。
「君の錬金術は国宝級だ。僕の国へ来ないか?」とスカウトし、腹黒ながらエルカミーノにだけ甘々溺愛モード全開に!
一方、王都ではソルスティスの聖魔法が効かず魔瘴病が流行。
エルカミーノのポーションなしでは国が危機に陥り、カイロンとソルスティスは後悔の渦へ……。
公開土下座、聖女の暴走と転生者バレ、国際的な陰謀……
さまざまな試練をラクティスの守護と溺愛で乗り越え、エルカミーノは大陸の救済者となり、幸せな結婚へ!
**婚約破棄ざまぁ×隠れチート錬金術×辺境スローライフ×冷徹公爵の甘々溺愛**
胸キュン&スカッと満載の異世界ファンタジー、全32話完結!
婚約破棄され泣きながら帰宅している途中で落命してしまったのですが、待ち受けていた運命は思いもよらぬもので……?
四季
恋愛
理不尽に婚約破棄された"私"は、泣きながら家へ帰ろうとしていたところ、通りすがりの謎のおじさんに刃物で刺され、死亡した。
そうして訪れた死後の世界で対面したのは女神。
女神から思いもよらぬことを告げられた"私"は、そこから、終わりの見えないの旅に出ることとなる。
長い旅の先に待つものは……??
傷付いた騎士なんて要らないと妹は言った~残念ながら、変わってしまった関係は元には戻りません~
キョウキョウ
恋愛
ディアヌ・モリエールの妹であるエレーヌ・モリエールは、とてもワガママな性格だった。
両親もエレーヌの意見や行動を第一に優先して、姉であるディアヌのことは雑に扱った。
ある日、エレーヌの婚約者だったジョセフ・ラングロワという騎士が仕事中に大怪我を負った。
全身を包帯で巻き、1人では歩けないほどの重症だという。
エレーヌは婚約者であるジョセフのことを少しも心配せず、要らなくなったと姉のディアヌに看病を押し付けた。
ついでに、婚約関係まで押し付けようと両親に頼み込む。
こうして、出会うことになったディアヌとジョセフの物語。
不愛想な婚約者のメガネをこっそりかけたら
柳葉うら
恋愛
男爵令嬢のアダリーシアは、婚約者で伯爵家の令息のエディングと上手くいっていない。ある日、エディングに会いに行ったアダリーシアは、エディングが置いていったメガネを出来心でかけてみることに。そんなアダリーシアの姿を見たエディングは――。
「か・わ・い・い~っ!!」
これまでの態度から一変して、アダリーシアのギャップにメロメロになるのだった。
出来心でメガネをかけたヒロインのギャップに、本当は溺愛しているのに不器用であるがゆえにぶっきらぼうに接してしまったヒーローがノックアウトされるお話。
「エリアーナ? ああ、あの穀潰しか」と蔑んだ元婚約者へ。今、私は氷帝陛下の隣で大陸一の幸せを掴んでいます。
椎名シナ
恋愛
「エリアーナ? ああ、あの穀潰しか」
ーーかつて私、エリアーナ・フォン・クライネルは、婚約者であったクラウヴェルト王国第一王子アルフォンスにそう蔑まれ、偽りの聖女マリアベルの奸計によって全てを奪われ、追放されましたわ。ええ、ええ、あの時の絶望と屈辱、今でも鮮明に覚えていますとも。
ですが、ご心配なく。そんな私を拾い上げ、その凍てつくような瞳の奥に熱い情熱を秘めた隣国ヴァルエンデ帝国の若き皇帝、カイザー陛下が「お前こそが、我が探し求めた唯一無二の宝だ」と、それはもう、息もできないほどの熱烈な求愛と、とろけるような溺愛で私を包み込んでくださっているのですもの。
今ではヴァルエンデ帝国の皇后として、かつて「無能」と罵られた私の知識と才能は大陸全土を驚かせ、帝国にかつてない繁栄をもたらしていますのよ。あら、風の噂では、私を捨てたクラウヴェルト王国は、偽聖女の力が消え失せ、今や滅亡寸前だとか? 「エリアーナさえいれば」ですって?
これは、どん底に突き落とされた令嬢が、絶対的な権力と愛を手に入れ、かつて自分を見下した愚か者たちに華麗なる鉄槌を下し、大陸一の幸せを掴み取る、痛快極まりない逆転ざまぁ&極甘溺愛ストーリー。
さあ、元婚約者のアルフォンス様? 私の「穀潰し」ぶりが、どれほどのものだったか、その目でとくとご覧にいれますわ。もっとも、今のあなたに、その資格があるのかしら?
――え? ヴァルエンデ帝国からの公式声明? 「エリアーナ皇女殿下のご生誕を祝福し、クラウヴェルト王国には『適切な対応』を求める」ですって……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる