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第十四話 月下の約束
リシェルはランプのゆらめく炎を、静かに瞳に映す。
その胸には『土産を楽しみに待っていなさい』――馬車に乗り込む両親の声が蘇った。
そして二人は、帰らなかった。
……その記憶が、いつまでも胸の奥に沈んでいる。
ぱちり、とランプの炎がはぜ、ふと我に返る。
「あの事故と、村の火災に関係が?」
仮面の奥の瞳がほんの一瞬揺れ、手袋へと目を落とす。
「いえ、今はお忘れください。
現時点では、時期以外に関連があると言える材料がございません」
クラウスは目を上げると、一拍置いて続けた。
「ただし、少なくとも、彼女と王子の出会いについては――
これは単なる“恋の成り行き”ではございません――明確な“意図”を持った、接近です」
「……そう、ですわね」
リシェルはカップを唇に運び、そっと瞼を伏せる。
ほのかに香るハーブの香りと、銀の縁が肌を撫でる感覚だけが、現実との繋がりをかろうじて保っているようだった。
「わたくし、あの時。式場で……悔しいという感情はなかったのです。けれど、今は……」
「怒り、でしょうか?」
「ええ、“怒り”が一番近いかもしれません。
“わたくしではない誰か”に物語を乗っ取られたような。そんな感情、ですわ」
小さく、ティースプーンがカップに触れる音が響く。
それだけで、部屋の空気がひときわ静かになる。
その言葉に、クラウスの瞳が僅かに動いた。
まるで、心の中で何かが“肯定”されたように。
「……今夜は、もうお休みになりますか?」
「ええ……そう致しますわ」
リシェルがゆるやかに立ち上がる。
椅子がわずかに軋み、スカートの裾が絨毯に優しく広がる。
月明かりに包まれた窓辺へと歩を進める。
裾が床に長い影を落とし、彼女は背を向けたまま立ち止まった。
指先がわずかに揺れ、そのまま、ためらいがちに問いかける。
「クラウス。……ひとつだけ、訊いても?」
「はい、なんなりと」
「なぜ……あなたは、そこまでして、わたくしに尽くしてくださるの?」
その問いに、クラウスの動きが止まった。
仮面の奥の表情は見えない。ただ、わずかに首を垂れる。
数秒の沈黙。
まるで、時計の秒針まで息を潜めているようだった。
それでも、ふたりの言葉の輪郭だけは、なお残響のように空間に漂っていた。
「……命じられたからです」
「それだけではないでしょう?」
「……貴女が、“貴女でいてくださった”から……。
それが、私にとっては……すべてです」
静かな声だった。けれど、その音は芯から震えるように澄んでいた。
「誰よりも誇り高く、誰よりも気品を持ち、たとえ地に伏しても――美しかった。
――だから、です」
リシェルの息が、ほんの僅かに止まる。
手にしていたカップを、そっとソーサーに戻す。
「わたくしは、ただ……」
「いいえ。あなたは、私が”一生お仕えしたい”と願った、初めての人です」
それは、仮面の奥の、最も誠実な真実だった。
そっとカーテンに手を添えながら、ふと呟いた。
「明日は、少し――わたくしの気まぐれに、お付き合い願えるかしら?」
「お嬢様のご命令であれば、どこへでも」
リシェルは、振り返らなかった。
けれど、カーテンの隙間から射す月明かりが、彼女の頬をやわらかく照らしていた。
その頬に宿る静かな熱を知るのは、窓の月だけ。
「……おやすみなさいませ、クラウス」
「おやすみなさいませ、お嬢様。――どうか、良き夢を」
その胸には『土産を楽しみに待っていなさい』――馬車に乗り込む両親の声が蘇った。
そして二人は、帰らなかった。
……その記憶が、いつまでも胸の奥に沈んでいる。
ぱちり、とランプの炎がはぜ、ふと我に返る。
「あの事故と、村の火災に関係が?」
仮面の奥の瞳がほんの一瞬揺れ、手袋へと目を落とす。
「いえ、今はお忘れください。
現時点では、時期以外に関連があると言える材料がございません」
クラウスは目を上げると、一拍置いて続けた。
「ただし、少なくとも、彼女と王子の出会いについては――
これは単なる“恋の成り行き”ではございません――明確な“意図”を持った、接近です」
「……そう、ですわね」
リシェルはカップを唇に運び、そっと瞼を伏せる。
ほのかに香るハーブの香りと、銀の縁が肌を撫でる感覚だけが、現実との繋がりをかろうじて保っているようだった。
「わたくし、あの時。式場で……悔しいという感情はなかったのです。けれど、今は……」
「怒り、でしょうか?」
「ええ、“怒り”が一番近いかもしれません。
“わたくしではない誰か”に物語を乗っ取られたような。そんな感情、ですわ」
小さく、ティースプーンがカップに触れる音が響く。
それだけで、部屋の空気がひときわ静かになる。
その言葉に、クラウスの瞳が僅かに動いた。
まるで、心の中で何かが“肯定”されたように。
「……今夜は、もうお休みになりますか?」
「ええ……そう致しますわ」
リシェルがゆるやかに立ち上がる。
椅子がわずかに軋み、スカートの裾が絨毯に優しく広がる。
月明かりに包まれた窓辺へと歩を進める。
裾が床に長い影を落とし、彼女は背を向けたまま立ち止まった。
指先がわずかに揺れ、そのまま、ためらいがちに問いかける。
「クラウス。……ひとつだけ、訊いても?」
「はい、なんなりと」
「なぜ……あなたは、そこまでして、わたくしに尽くしてくださるの?」
その問いに、クラウスの動きが止まった。
仮面の奥の表情は見えない。ただ、わずかに首を垂れる。
数秒の沈黙。
まるで、時計の秒針まで息を潜めているようだった。
それでも、ふたりの言葉の輪郭だけは、なお残響のように空間に漂っていた。
「……命じられたからです」
「それだけではないでしょう?」
「……貴女が、“貴女でいてくださった”から……。
それが、私にとっては……すべてです」
静かな声だった。けれど、その音は芯から震えるように澄んでいた。
「誰よりも誇り高く、誰よりも気品を持ち、たとえ地に伏しても――美しかった。
――だから、です」
リシェルの息が、ほんの僅かに止まる。
手にしていたカップを、そっとソーサーに戻す。
「わたくしは、ただ……」
「いいえ。あなたは、私が”一生お仕えしたい”と願った、初めての人です」
それは、仮面の奥の、最も誠実な真実だった。
そっとカーテンに手を添えながら、ふと呟いた。
「明日は、少し――わたくしの気まぐれに、お付き合い願えるかしら?」
「お嬢様のご命令であれば、どこへでも」
リシェルは、振り返らなかった。
けれど、カーテンの隙間から射す月明かりが、彼女の頬をやわらかく照らしていた。
その頬に宿る静かな熱を知るのは、窓の月だけ。
「……おやすみなさいませ、クラウス」
「おやすみなさいませ、お嬢様。――どうか、良き夢を」
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