【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ

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第三章

第九十二話 灯火

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「聖女アリシア……」

名を呼ぶ声は、床に甘い滴を落とすように響いた。
姉の肩がわずかに揺れ、銀髪がふるりと震える。

ヴェルネは、その震えを楽しむようにゆるく微笑んだ。

「あなた――ほんとうに失ってばかりの人生でしたわね?」

姉の膝上で結ばれた指が、ぎゅっと食い込む。
ヴェルネはその指先へ視線をすべらせ、覗き込むように屈む。

「恋人を失い、家族を失い、
 守りたかった人たちは――
 みんな、あなたの手の外へ」

声は軽やかなのに、落ちる場所だけが凍りつくように冷たい。

(そんな言い方、許せない……
 それ全部、あなたが奪ったんじゃない……!)

ヴェルネは小さく首を傾け、
姉の耳朶ぎりぎりまで唇を寄せて囁いた。

「神は、一度たりとも……あなたの祈りに応えてくれなかった。
 ……違いまして?」

声音はやさしいのに、
甘く刺す毒だけはきちんと残る。

姉の瞳に影が落ちる。
その瞬間、ヴェルネの白い指先が宙を泳ぎ、涙をなぞる“真似”をしてみせた。

「……そんなこと……っ」

姉は反論しようとする。
けれど声は喉の奥でふるりとほどける。

(ひどいよ……救えなかった命の方が多いかもしれない。
 それでも――姉さんは祈り続けたのに……!)

胸の奥だけがじわりと熱を持って軋む。

姉の睫毛が小さく震え――
ヴェルネはその震えに、うっとりと微笑む。

「そして今、あなたの胸に残っているのは……
 唯一残った妹すら救えないかもしれない――その“恐怖”、ですわね?」

姉の呼吸が止まる。
私の胸も一緒に縮んだ。

ヴェルネは細く目を細める。

「そして……アリシア。
 あなた、まだ“ひとつ”隠していらっしゃるわ」

姉がわずかに瞬く。

ヴェルネは指先で空をなぞり、
光を掬うような仕草をした。

「――さっき、髪に触れたときに“見えました”の。
 心が揺れているでしょう?
 勇者へも、騎士へも。
 選べないのではなく――どちらの想いも“傷つけたくないから”胸に抱えたまま」

エリアスの口が引き結ばれ、バルドの拳が強く握られた。
ヴェルネはくすりと笑みを深めた。

(……どうしてそんな……それは、姉さんの優しさ――)

ヴェルネの言葉が堕ちた瞬間、私の思考が止まった。

「うふふ……なんて“可愛らしい”のかしら。
 けなげで、優しくて、思いやり深くて……
 それでいて――失う“恐怖”を隠すために、また命を賭けようとしている」

エリアスの呼吸が止まり、
バルドの拳がわずかに震えた。

ほんの一拍。
ヴェルネは息だけで笑う。

(――まさか……姉さん! また“神の力アルカナム”を!?)

胸がずきんと痛んだ。
思わず、姉の横顔を見る。

姉は、ほんの一瞬だけ私の方へ視線を向けかけ――
すぐに、静かに伏せた。

その横顔は、
「ごめんね」と言っているようにやわらかく沈んでいるのに、
その奥に宿る光だけが、どうしようもなく揺らがない。

唇を噛んで、震える指先をそっと重ね直し――
祈る者の顔に戻っていく。

(やっぱり……そのつもりなんだ……)

あの、優しくて、弱くて、強くて、
全部抱え込もうとするときだけ見せる表情。

“迷っているふりをして、もう迷っていない”
そんな顔だった。

なのに――それなのに、私は何もできないの?

「ねえ聖女様?
 国も、仲間も、妹も、二人の想いすらも……
 そんなにたくさん、ひとりで抱え込んで。
 “全部、自分の祈りで守ろうとする”。
 それを人は――”強欲”と呼びますのよ?」

ヴェルネの声は、
姉の祈りの中心へ静かに沈んでいく。

私の胸奥に、ひやりと細い亀裂が走る。

姉の瞳が揺れる。
涙か、崩れそうな祈りか。
背筋はまっすぐなのに、指先だけが震える。

(姉さんの神の力は……フィオーレの街を救った。
 そして、また命を懸けようとしてる……)

その瞬間――私は気づいた。

(じゃあ、私は……?)

胸の奥の亀裂が広がる感覚。

(……私、また姉さんに守られるだけ……?)

そのとき――
ヴェルネの細めた瞳が、愉悦とは異なる光を一瞬だけ帯びた。

ほんの刹那だけ、
私に向けた“問いかけ”のように。

(もしヴェルネの狙いが”それ”だったら……
 私は……どうするの……?)

ぼんやりとした”答え”に、名前のない感情が、
胸の奥でざらりと広がった。



そしてヴェルネは、私の横でぴたりと足を止めた。
影が重なる。青い炎が合図みたいに、すん、と音を失う。

「――さて。最後は、セレナ。あなたよ」

全員の息が止まる音。
私は胸の前で杖を抱きしめるように握った。

「思ってるわよね?
 “なんで、自分が最後?”って」

胸の奥が小さく軋み、思わずヴェルネの方へ振り向く。
その瞬間、真紅の双眸がまっすぐ私をほどく。

「支援しかできない白魔導士。
 役立たず。おまけ。お荷物――“聖女の妹”」

不意打ちだった。

喉がきつく鳴り、視界の端がじわりと滲んだ。

ずっと言われてきたこと。
言われなくたって、自分が一番よくわかってる。

(――だから、何なの?)

それでも。
胸の奥には、鋭い痛みだけがはっきり残った。

ヴェルネは微笑を浮かべたまま、目元を細めた。

「あなたの胸を焦がすのは――“嫉妬”。
 神に選ばれ、誰からも愛される姉への。
 それでも、見捨てられたくなくて、認められたくて――
 ずっと必死で頑張ってきた」

避け続けてきた“本音”が、容赦なく襲い掛かる。

(……知ってる。
 知ってるよ、そんなこと。幼い頃からずっとだ。
 だから――頑張ってきたんだ)

胸の奥がじわりと熱くなる。

(私だって、みんなが集まる“小さな灯り”ぐらいには――)

その刹那――優しいのに、刃を忍ばせた声。

「――小さな灯り」

(……え?)

反射的に、顔だけがヴェルネの方へ向いた。
胸がひゅっと縮む。

視線が合った瞬間――
ヴェルネの微笑が、私の動揺を“味わうように”深まり――
まるで心の奥底を掬い上げたかのように、私の逃げ道を容赦なくふさいだ。

「灯火は――どれだけ頑張っても、太陽にも、月にもなれないの。
 とっくに知ってると思うけど、ね?
 そう、あなたは、誰にも気づかれずに消えてしまう……儚くて、小さな灯火」

(誰にも気づかれずに――消えてしまう……?)

胸の奥で、呼吸がひっかかって止まった。
喉が、つ……と痛む。

「だから、あなたは――最後には、誰からも選ばれないの」

(……誰からも。姉さんさえも――選ばない……?)

姉のわずかな震えが空気越しに伝わり、私も唇を噛む。
胸の奥が、細い針でつつかれたみたいに軋んだ。

その瞬間――
姉の息がひゅっと詰まり、小さく震える声が漏れた。

「……いいえ、わたしは――」

ヴェルネはゆるりと振り向き、
まるで可愛い子どもを諭すように微笑んだ。

「あら?
 またそうやって、全部ひとりで守ろうとするのね。
 本当にあなた……“強欲”だわ」

姉の指先がぎゅっと重なり、
祈りの形に戻っていく。

魔王は微笑み、そっと甘い毒を垂らす。

「可哀想な子――
 けれど、もう“嫉妬”に震えながら、頑張る必要などないの」

(――どういう意味?
 それって……さっきの”問いかけ”と関係している――)

ヴェルネは、心の折れ目を撫でるように、ひどくやさしく告げた。

「もうすぐ。そう、もうすぐこの苦しみは終わるのだから」

はっきりと意味はわからない。
けれど、胸のいちばん深いところ――
ずっと守ってきた薄い膜のような場所が、ふいに、ぺり、と剝がれた。

(あ……やっぱり”プレゼント”ってそういうこと……なの?)

涙がにじむ。
視界の縁がじわりと滲み、形がほどけていく。

そして――
胸の中で支えていた“細い筋”が、ぷつりと切れた。

静かに。
音もなく。

胸の奥の灯火は――かすかに揺れた。
今にも消えそうに、細く、弱く。

それでも。
その小さな温もりだけが、
冷えきった心の底を、まだ照らしてくれていた。
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