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34 和解と決裂、そして Platz 居場所
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この交渉に臨むにあたり、ヤンは十中七八は決裂するだろうと予測していた。それでもはるばる帝都からやって来たのは、交渉のための停戦の間に空挺部隊への補給が出来ることと現在膠着中のアイホーの線を突破するための準備期間を第三軍の機甲部隊に与えることが出来ること、そしてチナ最右翼とも言われる武闘派豪族であるミン一家の人物を見たかったからでもある。それらは仮に交渉が決裂しても十分に見合う利益だと判断したからだ。
そして決裂するとすれば二つの難関で、と思っていた。
その一つが冒頭の原理原則論だった。
つまり、二枚舌外交は絶対に許さないということだ。一方でチナとの間に密約などを結びながら、わが帝国とも協同するなどというスタンスは絶対に認められなかった。
だが、本来外交というものはそういうものだ。ヤンがミン家の立場でも強国に挟まれた弱小国ならば両方と付かず離れずの距離を保ちそのパワーバランスの海を巧みに泳ぎ回ろうとするだろう。
要は建前とホンネを賢く使い分けられる相手かどうかを見たかったのと、感情的になって理性を失うような相手かどうかの見極めがしたかったのだ。
第一の関門を、ミンは無事クリアした。
だが二つ目にして最も難関な「条件」の部分ではどうだろうか。それが最大のヤマ場だと思っていた。
「貴軍に協力する代償として、既に貴軍に占領されている我がミン家の土地の全面返還を要求する」
半ば予想されたことではあったが、ミン家の娘はヤンが絶対に応じることの出来ない要求を当然のごとく突き付けてきた。
この度の帝国のチナに対する宣戦の目的の一つは資源の獲得、アイエンからゾマ一帯に眠る油田の確保であり、西への覇権を拡大する足掛かりとなるハイナン諸島と接続する半島の一部の領有の確立だった。特に、今後整備する戦力の中核となるガソリンエンジンを搭載した戦車、装甲車両、航空機や、トラック等帝国中に普及するであろう内燃機関の需要を満たすためにも、油田は欠くべからざる要素の一つだった。
その二つの戦争目的は既に達成した。残りはチナ直轄地であるアルム占領によってチナの喉元に刃を突きつけ、体制の転換を強い、帝国に対し従順な政権を樹立させ帝国の傀儡国家にすることである。それが出来れば100パーセントだ。
少なくとも帝国はすでに手にしたもので戦後経営を行い、費やした戦費以上の利益を獲得したいのである。返還など絶対にあり得なかった。従って、もしミン一族がかつての自領の返還に拘れば交渉はそこで終わりである。
ただ、終わるにしても形だけは整えねばならない。最善を尽くした、という形を残して初めて元老院の追及に答えられるのだ。
「貴家の要求は伺った」
ヤンは努めて平静な態度を保ち、状況を整理し始めた。
「確認を宜しいか」
「承ろう」
ミン・レイは言った。
「貴家は我が軍に対する軍監の差遣、人質の要求をしないと考えてよいか」
「軍監とか人質とか・・・」
ミン・レイは鼻で笑った。
「貴国と我が一族では国家としてのスケールが違い過ぎるではないか。貴国が認めるわけがないであろう。要求するだけムダだと考えていたので言わなかった」
「ご理解が得られて幸いである」
確認すべきは済んだ。そして焦点は絞られた。ミンは土地の返還を要求し、帝国はそれを拒否したい。このまま議論が平行線をたどれば交渉は決裂し、アイホーの線で膠着しているミンの軍と第三軍は再び激突し少なくない犠牲が出るだろうし、アルムに立て籠もっているハーベ少佐の大隊への補給は困難になり、今は比較的平穏なナイグンでも空挺部隊は再び迫る敵兵を排除するため戦闘を開始しなければならなくなる。ヤンとレイはお互いを凝視し、共に相手の出方を窺った。
が、にらみ合っていても事態は解決しない。
先に口を開いたのは、ヤンだった。
「つまるところ、問題は貴家の旧領の返還要求のみとなった」
「そのようだ」
「それでは、貴家の要求に対する回答を申し上げる」
たった一人で大砲をぶっ放すような恐ろしい子でも、子供は子供だ。
満腹になって眠くなったのか、うつらうつらし始めたところを抱きかかえ、子守唄代わりに小学校の頃に「ガリア戦記」と、それだけは読み通した「内乱記」の有名なルビコン越えの部分をチナ語に訳しつつ、話してやった。
「神君カエサルは第13軍団の将兵たちとともに国境の川であるルビコンを前にたたずんでいました。彼はとても悩んでいました。元老院の許しもなしに軍勢を連れて国境を越え本国に入れば重罪です。でも国境を越えて政敵を倒さねば、彼が滅ぼされるのです。ローマの内乱が近づいていました。
『ここを超えれば人間世界の悲惨が待っている。越えなければ我が破滅があるだけだ。
行こう、戦士諸君! 我らの敵の待つところへ。そして神々の待つ場所へ。賽は投げられた!』
そうして神君カエサルと軍団兵たちは国境の川を越え、政敵ポンペイウスを追って一路南へと向かったのでした」
最初の内は「ローマってなに?」「カエサルってなに?」「元老院てなに?」と、しつこく質問し、その度に中断していたのでなかなか物語が進まなかった。そうしているうちに次第に口数が少なくなり、いつの間にか、彼は寝ていた。
寝顔は可愛い。男の子は黒い髪の下に秀でたおでこを持ち、その眼元は凛々しかった。
「少尉殿は小学校の先生も立派に務まりますね」
クリスティーナが男の子を受け取ってくれ二階に寝かしつけに連れて行ってくれる。やっと文字通りに肩の荷が下りた。
先生どころか学生だって満足に終えられていない。中途半端の尻切れトンボ。こんな時に何かお話でもと思ったら、神君カエサルのその二つの物語以外何もなかったのである。すっかり凝ってしまった肩を揉み解しながら、ヤヨイは我が身を顧みた。自分の人文的な素養の無さに呆れる思いがした。
「小隊長殿、あの子どうするんですか」
グレタが二階を見やりながら訊いて来る。
「そおねえ・・・。どうしたらいいかしら。あの子の言う通りこの家があの子の家なのだとすれば、親も兄妹も何処かに行ってしまったのだろうし・・・。このまま放り出すわけにもねえ・・・」
「でも、おれ、ホッとしました」
出し抜けにフリッツが呟く。
「アイゼネス・クロイツ(鉄十字章)にも困ることがあるんだな、って」
「当たり前よォ!」
ヤヨイは肩を竦めて見せた。
「子守なんて、一番下の弟妹見て以来だもの。で、お話しして聞かせたのが『内乱記』だもんね。これじゃあ、『国母貴族』なんてわたしには絶対に無理だわ。今更ながら、母をソンケーしちゃう・・・」
と、だだだっと階段を駆け下りてくる足音がしたと思ったら、
「姐姐(じぇじぇ)、おねえちゃん!」
煤けた男の子はヤヨイを見つけるやガバッと抱きついて来た。そして首っ玉に抱きついて離れなくなった。
「起きちゃったのね」
ヤヨイは男の子の髪を撫でた。
「大丈夫ですよ、ショウイ殿。先生でも国母貴族でも。ショウイ殿なら十分にできます」
ニヤニヤ笑いながら銃の手入れをしているリーズル。
「おい、ボーズ! 仲直りしようぜ。風呂行くぞ。洗ってやるから来い!」
ヴォルフガングがヤヨイの抱いた男の子の髪をクシャクシャに撫でる。
ここにも通信機はある。だけどちゃんとそれを面倒見てくれる部下がいる。殺人技を繰り出さなくてもいい。ヤヨイが誰かを見ていると、誰かが必ずヤヨイを見てくれている。敵の真っ只中にいるのに、あの北の野蛮人の宿営地にいた時以上に何故か安心する。ここが自分のPlatz、居場所なのだ。そんな風に思える。
ここでは周りの兵たちを騙すこともない。誰が敵なのか、思い悩むこともない。自分の本心を偽ることなく、素のままのありのままの自分でいられる。ここに集うみんながヤヨイの部下であり、味方であり、家族なのだ。
「ここが、この宿営地がわたしの家なのだ。兵たちはわが息子。軍曹がわたしの夫なのだ」
レオン少尉が言っていた言葉が想い出された。
男の子の汗の臭いと体温を感じつつ、ヤヨイは微かな喜びを感じていた。
「オレは、タオだ!」
タオ、と名乗った男の子はよほどヴュルストが気に入ったらしく、兵たちが食べ残した精肉補給品のほとんどを食い尽くした。
「弟のリャオが急にいなくなったんだ。夏の終わりのころだ。お父ちゃんもお母ちゃんも、リャオを探しに行って、いなくなった。それからずっと、オレはこの家で一人で待ってた。この家にさえいれば、お母ちゃんもお父ちゃんもリャオもみんな帰ってくるんだ!」
タオはようやく心を開いた。
ヴォルフガングに身体を洗われ、タンスの中の彼の衣服は皆汚れていたので一番サイズの小さい女性兵の着替えのカーキ色のテュニカをだいぶ裾をたくし上げて着せられた。小さな帝国兵が出来上がった。
二か月前と言えば、あのミカサの事件のあったころだ。
可愛そうに、もしかすると彼の弟は連れ去られて「舟の子供たち」にされたのかもしれない。彼の父母もまた連れ去られた彼の弟を探してミンの一族に連れ去られたか、殺されたかしたのかもしれない。
タオは、孤独だったのだ。
古今東西。自分の家に不法に居座る他国の軍隊の正当性を年端もいかない子供に納得させられる言語は存在しなかったし、今後も存在しえないだろう。その「戦争の不条理」という語彙を理解した時、子供はすでに大人になっている。
タオ。「道」。帝国語ではPfadプファド、あるいはThe Wayという名になろうか。ウリル少将の息子と同じ名だ。その名に特別な思いを持った。
「じぇじぇ・・・」
おねえちゃん・・・。
タオは何故かヤヨイに懐いた。
母親の温もりの恋しい年ごろだ。無理もない。まるでミカサの折の黒猫の「クロ」みたいだとも思った。ヨードルの、父のような温もりを想い出す。彼は今どうしているだろうか。臨月だった娘さんはヒルダといった。彼女の子は無事産まれただろうか。
「寂しかったね」
ヤヨイは言った。
「タオ。あんたの弟のリャオも、お父さんもお母さんも、きっと見つかる。それまでおねえちゃんが、あんたを守ってあげる」
彼の家に強引に居座っている者が言うことではないかもしれない。それでも、ヤヨイは彼女を慕ってすがってくる小さな命をいとおしみ、抱きしめ、呟いた。
「それでは、貴家の要求に対する回答を申し上げる。
現在我々が占領しているアイエンからゾマにかけての地はすでに我が帝国が実効支配を行っている。住民たちは皆帝国臣民としての宣誓を行い、その地に安堵している。帝国人となった住民の住む地は帝国のものだ。従って、貴家の要求を受諾することは出来ない」
「占領してまだ半月にも満たない土地の住民がそれほど早く宣誓などするわけがない。それは詭弁であろう」
レイは当然の反論をした。
「詭弁ではない」
声も荒げず、居丈高になるでもなく、帝国の代表は平素の声音でレイの言葉を否定した。
「先のミカサ事件の折、我が海軍は小舟で漂流する多数の子供を救助した。帝国は人道的配慮でこの子らを預かり、このたびその多くを子らの家に帰した。宣誓は、貴家に奪われた子らを帝国によって返された家、貴家に子らが奪われ帝国によって返された子らを目の当たりにした人々が自発的に行ったものだ。強制など一切していない。帝国人となった人々が住まう土地は帝国のものだ。貴家の返還要求は、受け入れられない」
「では、これで交渉は決裂となる」
レイは歯噛みした。
「残念だが、それも致し方のないことだ」
帝国の代理人は冷厳に言い放った。
そして決裂するとすれば二つの難関で、と思っていた。
その一つが冒頭の原理原則論だった。
つまり、二枚舌外交は絶対に許さないということだ。一方でチナとの間に密約などを結びながら、わが帝国とも協同するなどというスタンスは絶対に認められなかった。
だが、本来外交というものはそういうものだ。ヤンがミン家の立場でも強国に挟まれた弱小国ならば両方と付かず離れずの距離を保ちそのパワーバランスの海を巧みに泳ぎ回ろうとするだろう。
要は建前とホンネを賢く使い分けられる相手かどうかを見たかったのと、感情的になって理性を失うような相手かどうかの見極めがしたかったのだ。
第一の関門を、ミンは無事クリアした。
だが二つ目にして最も難関な「条件」の部分ではどうだろうか。それが最大のヤマ場だと思っていた。
「貴軍に協力する代償として、既に貴軍に占領されている我がミン家の土地の全面返還を要求する」
半ば予想されたことではあったが、ミン家の娘はヤンが絶対に応じることの出来ない要求を当然のごとく突き付けてきた。
この度の帝国のチナに対する宣戦の目的の一つは資源の獲得、アイエンからゾマ一帯に眠る油田の確保であり、西への覇権を拡大する足掛かりとなるハイナン諸島と接続する半島の一部の領有の確立だった。特に、今後整備する戦力の中核となるガソリンエンジンを搭載した戦車、装甲車両、航空機や、トラック等帝国中に普及するであろう内燃機関の需要を満たすためにも、油田は欠くべからざる要素の一つだった。
その二つの戦争目的は既に達成した。残りはチナ直轄地であるアルム占領によってチナの喉元に刃を突きつけ、体制の転換を強い、帝国に対し従順な政権を樹立させ帝国の傀儡国家にすることである。それが出来れば100パーセントだ。
少なくとも帝国はすでに手にしたもので戦後経営を行い、費やした戦費以上の利益を獲得したいのである。返還など絶対にあり得なかった。従って、もしミン一族がかつての自領の返還に拘れば交渉はそこで終わりである。
ただ、終わるにしても形だけは整えねばならない。最善を尽くした、という形を残して初めて元老院の追及に答えられるのだ。
「貴家の要求は伺った」
ヤンは努めて平静な態度を保ち、状況を整理し始めた。
「確認を宜しいか」
「承ろう」
ミン・レイは言った。
「貴家は我が軍に対する軍監の差遣、人質の要求をしないと考えてよいか」
「軍監とか人質とか・・・」
ミン・レイは鼻で笑った。
「貴国と我が一族では国家としてのスケールが違い過ぎるではないか。貴国が認めるわけがないであろう。要求するだけムダだと考えていたので言わなかった」
「ご理解が得られて幸いである」
確認すべきは済んだ。そして焦点は絞られた。ミンは土地の返還を要求し、帝国はそれを拒否したい。このまま議論が平行線をたどれば交渉は決裂し、アイホーの線で膠着しているミンの軍と第三軍は再び激突し少なくない犠牲が出るだろうし、アルムに立て籠もっているハーベ少佐の大隊への補給は困難になり、今は比較的平穏なナイグンでも空挺部隊は再び迫る敵兵を排除するため戦闘を開始しなければならなくなる。ヤンとレイはお互いを凝視し、共に相手の出方を窺った。
が、にらみ合っていても事態は解決しない。
先に口を開いたのは、ヤンだった。
「つまるところ、問題は貴家の旧領の返還要求のみとなった」
「そのようだ」
「それでは、貴家の要求に対する回答を申し上げる」
たった一人で大砲をぶっ放すような恐ろしい子でも、子供は子供だ。
満腹になって眠くなったのか、うつらうつらし始めたところを抱きかかえ、子守唄代わりに小学校の頃に「ガリア戦記」と、それだけは読み通した「内乱記」の有名なルビコン越えの部分をチナ語に訳しつつ、話してやった。
「神君カエサルは第13軍団の将兵たちとともに国境の川であるルビコンを前にたたずんでいました。彼はとても悩んでいました。元老院の許しもなしに軍勢を連れて国境を越え本国に入れば重罪です。でも国境を越えて政敵を倒さねば、彼が滅ぼされるのです。ローマの内乱が近づいていました。
『ここを超えれば人間世界の悲惨が待っている。越えなければ我が破滅があるだけだ。
行こう、戦士諸君! 我らの敵の待つところへ。そして神々の待つ場所へ。賽は投げられた!』
そうして神君カエサルと軍団兵たちは国境の川を越え、政敵ポンペイウスを追って一路南へと向かったのでした」
最初の内は「ローマってなに?」「カエサルってなに?」「元老院てなに?」と、しつこく質問し、その度に中断していたのでなかなか物語が進まなかった。そうしているうちに次第に口数が少なくなり、いつの間にか、彼は寝ていた。
寝顔は可愛い。男の子は黒い髪の下に秀でたおでこを持ち、その眼元は凛々しかった。
「少尉殿は小学校の先生も立派に務まりますね」
クリスティーナが男の子を受け取ってくれ二階に寝かしつけに連れて行ってくれる。やっと文字通りに肩の荷が下りた。
先生どころか学生だって満足に終えられていない。中途半端の尻切れトンボ。こんな時に何かお話でもと思ったら、神君カエサルのその二つの物語以外何もなかったのである。すっかり凝ってしまった肩を揉み解しながら、ヤヨイは我が身を顧みた。自分の人文的な素養の無さに呆れる思いがした。
「小隊長殿、あの子どうするんですか」
グレタが二階を見やりながら訊いて来る。
「そおねえ・・・。どうしたらいいかしら。あの子の言う通りこの家があの子の家なのだとすれば、親も兄妹も何処かに行ってしまったのだろうし・・・。このまま放り出すわけにもねえ・・・」
「でも、おれ、ホッとしました」
出し抜けにフリッツが呟く。
「アイゼネス・クロイツ(鉄十字章)にも困ることがあるんだな、って」
「当たり前よォ!」
ヤヨイは肩を竦めて見せた。
「子守なんて、一番下の弟妹見て以来だもの。で、お話しして聞かせたのが『内乱記』だもんね。これじゃあ、『国母貴族』なんてわたしには絶対に無理だわ。今更ながら、母をソンケーしちゃう・・・」
と、だだだっと階段を駆け下りてくる足音がしたと思ったら、
「姐姐(じぇじぇ)、おねえちゃん!」
煤けた男の子はヤヨイを見つけるやガバッと抱きついて来た。そして首っ玉に抱きついて離れなくなった。
「起きちゃったのね」
ヤヨイは男の子の髪を撫でた。
「大丈夫ですよ、ショウイ殿。先生でも国母貴族でも。ショウイ殿なら十分にできます」
ニヤニヤ笑いながら銃の手入れをしているリーズル。
「おい、ボーズ! 仲直りしようぜ。風呂行くぞ。洗ってやるから来い!」
ヴォルフガングがヤヨイの抱いた男の子の髪をクシャクシャに撫でる。
ここにも通信機はある。だけどちゃんとそれを面倒見てくれる部下がいる。殺人技を繰り出さなくてもいい。ヤヨイが誰かを見ていると、誰かが必ずヤヨイを見てくれている。敵の真っ只中にいるのに、あの北の野蛮人の宿営地にいた時以上に何故か安心する。ここが自分のPlatz、居場所なのだ。そんな風に思える。
ここでは周りの兵たちを騙すこともない。誰が敵なのか、思い悩むこともない。自分の本心を偽ることなく、素のままのありのままの自分でいられる。ここに集うみんながヤヨイの部下であり、味方であり、家族なのだ。
「ここが、この宿営地がわたしの家なのだ。兵たちはわが息子。軍曹がわたしの夫なのだ」
レオン少尉が言っていた言葉が想い出された。
男の子の汗の臭いと体温を感じつつ、ヤヨイは微かな喜びを感じていた。
「オレは、タオだ!」
タオ、と名乗った男の子はよほどヴュルストが気に入ったらしく、兵たちが食べ残した精肉補給品のほとんどを食い尽くした。
「弟のリャオが急にいなくなったんだ。夏の終わりのころだ。お父ちゃんもお母ちゃんも、リャオを探しに行って、いなくなった。それからずっと、オレはこの家で一人で待ってた。この家にさえいれば、お母ちゃんもお父ちゃんもリャオもみんな帰ってくるんだ!」
タオはようやく心を開いた。
ヴォルフガングに身体を洗われ、タンスの中の彼の衣服は皆汚れていたので一番サイズの小さい女性兵の着替えのカーキ色のテュニカをだいぶ裾をたくし上げて着せられた。小さな帝国兵が出来上がった。
二か月前と言えば、あのミカサの事件のあったころだ。
可愛そうに、もしかすると彼の弟は連れ去られて「舟の子供たち」にされたのかもしれない。彼の父母もまた連れ去られた彼の弟を探してミンの一族に連れ去られたか、殺されたかしたのかもしれない。
タオは、孤独だったのだ。
古今東西。自分の家に不法に居座る他国の軍隊の正当性を年端もいかない子供に納得させられる言語は存在しなかったし、今後も存在しえないだろう。その「戦争の不条理」という語彙を理解した時、子供はすでに大人になっている。
タオ。「道」。帝国語ではPfadプファド、あるいはThe Wayという名になろうか。ウリル少将の息子と同じ名だ。その名に特別な思いを持った。
「じぇじぇ・・・」
おねえちゃん・・・。
タオは何故かヤヨイに懐いた。
母親の温もりの恋しい年ごろだ。無理もない。まるでミカサの折の黒猫の「クロ」みたいだとも思った。ヨードルの、父のような温もりを想い出す。彼は今どうしているだろうか。臨月だった娘さんはヒルダといった。彼女の子は無事産まれただろうか。
「寂しかったね」
ヤヨイは言った。
「タオ。あんたの弟のリャオも、お父さんもお母さんも、きっと見つかる。それまでおねえちゃんが、あんたを守ってあげる」
彼の家に強引に居座っている者が言うことではないかもしれない。それでも、ヤヨイは彼女を慕ってすがってくる小さな命をいとおしみ、抱きしめ、呟いた。
「それでは、貴家の要求に対する回答を申し上げる。
現在我々が占領しているアイエンからゾマにかけての地はすでに我が帝国が実効支配を行っている。住民たちは皆帝国臣民としての宣誓を行い、その地に安堵している。帝国人となった住民の住む地は帝国のものだ。従って、貴家の要求を受諾することは出来ない」
「占領してまだ半月にも満たない土地の住民がそれほど早く宣誓などするわけがない。それは詭弁であろう」
レイは当然の反論をした。
「詭弁ではない」
声も荒げず、居丈高になるでもなく、帝国の代表は平素の声音でレイの言葉を否定した。
「先のミカサ事件の折、我が海軍は小舟で漂流する多数の子供を救助した。帝国は人道的配慮でこの子らを預かり、このたびその多くを子らの家に帰した。宣誓は、貴家に奪われた子らを帝国によって返された家、貴家に子らが奪われ帝国によって返された子らを目の当たりにした人々が自発的に行ったものだ。強制など一切していない。帝国人となった人々が住まう土地は帝国のものだ。貴家の返還要求は、受け入れられない」
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