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6話
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龍和会本部に、凍り付くような緊張感が走っていた。
退院したばかりの若頭・龍崎慎一郎が、組の定例会議の最中に、恐ろしい形相でスマートフォンを凝視したまま動かなくなったからだ。
幹部たちは、何事か重大な抗争の予兆かと息を呑み、報告の言葉を飲み込む。
だが、龍崎の脳内を占めていたのは、極道のシマ争いでもなければ、上納金の計算でもなかった。
(……来ない。一通も、来ない)
退院から三日。
肌身離さず持ち歩いているスマートフォンには、組関係の連絡こそ山のように入るが、肝心の『佐々木陽太』からの音沙汰は一切なかった。
「……鮫島」
龍崎が地を這うような声で呼ぶ。隣に控えていた鮫島は、背筋を伸ばして応じた。
「はっ、何でしょうか若頭! 直ちに兵(つわもの)を集めますか!?」
「……機械の故障を調べろ。特定の相手からの連絡だけが届かないという事態が、物理的にあり得るのかどうかをだ」
「……はい?」
鮫島が呆けたような声を出す。
龍崎はスマートフォンの画面――設定画面の『通知』の項目を何度も確認しながら、苛立ちを隠さず指を叩きつけた。
「俺は奴に、いつでも連絡しろと言った。困っていなくても構わんとも言った。……それなのに、なぜ通知が鳴らん。あいつは日本語を解さないのか?」
「若頭……。相手は多忙な看護師さんですよ? 退院した患者に、用もないのに連絡する方が稀だと思いやすが……」
「黙れ。あの時の笑顔は、そんな薄情なものではなかった」
龍崎は、脳裏に焼き付いている陽太の「大事にしますね」という微笑みを反芻する。
あの言葉は嘘だったのか。
それとも、あのカードを紛失したのか。
不吉な想像が龍崎の心を黒く塗りつぶしていく。もしや、連絡できないほどの不測の事態――事故や事件に巻き込まれたのではないか。
「……様子を見てくる」
龍崎は唐突に立ち上がった。
「ええっ!? 今からですか? まだ会議の途中ですよ!」
「うるさい。奴の無事を確認せねば、仕事に身が入らん」
龍崎は周囲の制止を振り切り、黒塗りの車へと乗り込んだ。
行き先はもちろん、三日前まで自分がいたあの総合病院だ。
――病院の駐車場に到着したものの、龍崎は車から降りることができなかった。
病院の中へ入れば、また『患者』として扱われる。だが今の自分は、隙のないスーツを纏った極道の若頭だ。
陽太に、この物々しい姿を見せて怯えられたらどうする。
いや、そもそも用もないのに現れて、何と言うつもりだ。
「……鮫島。貴様、行ってこい」
「えっ、俺が行くんですか?」
「佐々木の様子を見てこい。元気でやっているか、誰かに虐められていないか、他の男とヘラヘラしていないか……。すべて詳細に報告しろ」
「それ、ただのストーカーですよ……」
鮫島は呆れ果てていたが、龍崎の眼光があまりに本気(マジ)だったため、渋々車を降りた。
車内に一人残された龍崎は、ハンドルを強く握りしめた。
広い背中が、どこか小さく見える。
極道の頂点に立つ男が、一介の看護師の『生存確認』すら自分で行えないほど、臆病になっていた。
十分後。鮫島が小走りで戻ってきた。
「若頭、確認しました。佐々木さん、ナースステーションで元気に走り回ってましたよ。ちょうど別の患者さんに『おじいちゃん、飴食べちゃダメですよ!』って怒鳴ってるところでした」
その報告を聞いた瞬間、龍崎の肩からふっと力が抜けた。
生きている。笑っている。いつものように、誰かのために怒っている。
それだけで、胸の内の霧が晴れるような感覚。
「……そうか。ならいい」
「若頭。……そこまで気になるなら、自分で行けばいいじゃないですか。一言『挨拶に来た』って言えば、佐々木さんなら喜ぶと思いやすよ?」
「……貴様、俺に何を求めている。俺と奴は、住む世界が違うんだ」
龍崎は、自分に言い聞かせるように冷たく言った。
自分は陽の当たらない道を歩く人間。陽太は、その名の通り太陽の下で人を救う人間。
これ以上、深入りすべきではない。
そう思っていたはずなのに。
窓の外、病院の通用口から、シフトを終えたらしい陽太が姿を現した。
私服に着替え、リュックを背負った彼は、病院で見せる「看護師」の顔とは少し違い、年相応のどこにでもいる青年に見える。
陽太は、ふと何かに気づいたように足を止めた。
そして、駐車場の隅に停まっている龍崎の車の方をじっと見つめた。
「……っ」
龍崎は反射的にシートに身を沈めた。
防弾仕様の真っ黒なスモークガラス越しに、外から中は見えないはずだ。
それなのに、陽太と目が合ったような気がして、心臓が爆発しそうなほど跳ね上がる。
陽太はしばらく車を眺めていたが、やがて思い出したように自分のポケットを探り、一枚のカードを取り出した。
龍崎が渡した、あの呪いのカードだ。
陽太はそれを指でなぞり、少しだけ寂しそうな、あるいは愛おしそうな顔をしてから、再びポケットに仕舞って歩き出した。
その一瞬の仕草を、龍崎は見逃さなかった。
「……出したぞ」
「へ?」
「今、奴は俺のカードを出した。捨てずに持っていた。しかも……大切そうに」
龍崎の声が、わずかに震えている。
絶望の淵から救い上げられたような、歓喜と熱情が入り混じった瞳。
「鮫島、車を出せ。奴の後をつける」
「若頭、それ本当にストーカーですから! やめてくださいよ!」
「黙れ。これは護衛だ。夜道は危険だからな」
まだ夕方の五時過ぎ、しかも人通りの多い駅前。
龍崎の言い訳はあまりに苦しかったが、その横顔には、初めて「恋」を知った男の、危ういほどの執着が宿っていた。
あいつは、俺を忘れていなかった。
ならば、方法はいくらでもある。
龍崎は、暗い車内で薄く笑みを浮かべた。
ウブな堅物ヤクザが、ついに「偶然の再会」を演じるための暴走を開始した瞬間だった。
退院したばかりの若頭・龍崎慎一郎が、組の定例会議の最中に、恐ろしい形相でスマートフォンを凝視したまま動かなくなったからだ。
幹部たちは、何事か重大な抗争の予兆かと息を呑み、報告の言葉を飲み込む。
だが、龍崎の脳内を占めていたのは、極道のシマ争いでもなければ、上納金の計算でもなかった。
(……来ない。一通も、来ない)
退院から三日。
肌身離さず持ち歩いているスマートフォンには、組関係の連絡こそ山のように入るが、肝心の『佐々木陽太』からの音沙汰は一切なかった。
「……鮫島」
龍崎が地を這うような声で呼ぶ。隣に控えていた鮫島は、背筋を伸ばして応じた。
「はっ、何でしょうか若頭! 直ちに兵(つわもの)を集めますか!?」
「……機械の故障を調べろ。特定の相手からの連絡だけが届かないという事態が、物理的にあり得るのかどうかをだ」
「……はい?」
鮫島が呆けたような声を出す。
龍崎はスマートフォンの画面――設定画面の『通知』の項目を何度も確認しながら、苛立ちを隠さず指を叩きつけた。
「俺は奴に、いつでも連絡しろと言った。困っていなくても構わんとも言った。……それなのに、なぜ通知が鳴らん。あいつは日本語を解さないのか?」
「若頭……。相手は多忙な看護師さんですよ? 退院した患者に、用もないのに連絡する方が稀だと思いやすが……」
「黙れ。あの時の笑顔は、そんな薄情なものではなかった」
龍崎は、脳裏に焼き付いている陽太の「大事にしますね」という微笑みを反芻する。
あの言葉は嘘だったのか。
それとも、あのカードを紛失したのか。
不吉な想像が龍崎の心を黒く塗りつぶしていく。もしや、連絡できないほどの不測の事態――事故や事件に巻き込まれたのではないか。
「……様子を見てくる」
龍崎は唐突に立ち上がった。
「ええっ!? 今からですか? まだ会議の途中ですよ!」
「うるさい。奴の無事を確認せねば、仕事に身が入らん」
龍崎は周囲の制止を振り切り、黒塗りの車へと乗り込んだ。
行き先はもちろん、三日前まで自分がいたあの総合病院だ。
――病院の駐車場に到着したものの、龍崎は車から降りることができなかった。
病院の中へ入れば、また『患者』として扱われる。だが今の自分は、隙のないスーツを纏った極道の若頭だ。
陽太に、この物々しい姿を見せて怯えられたらどうする。
いや、そもそも用もないのに現れて、何と言うつもりだ。
「……鮫島。貴様、行ってこい」
「えっ、俺が行くんですか?」
「佐々木の様子を見てこい。元気でやっているか、誰かに虐められていないか、他の男とヘラヘラしていないか……。すべて詳細に報告しろ」
「それ、ただのストーカーですよ……」
鮫島は呆れ果てていたが、龍崎の眼光があまりに本気(マジ)だったため、渋々車を降りた。
車内に一人残された龍崎は、ハンドルを強く握りしめた。
広い背中が、どこか小さく見える。
極道の頂点に立つ男が、一介の看護師の『生存確認』すら自分で行えないほど、臆病になっていた。
十分後。鮫島が小走りで戻ってきた。
「若頭、確認しました。佐々木さん、ナースステーションで元気に走り回ってましたよ。ちょうど別の患者さんに『おじいちゃん、飴食べちゃダメですよ!』って怒鳴ってるところでした」
その報告を聞いた瞬間、龍崎の肩からふっと力が抜けた。
生きている。笑っている。いつものように、誰かのために怒っている。
それだけで、胸の内の霧が晴れるような感覚。
「……そうか。ならいい」
「若頭。……そこまで気になるなら、自分で行けばいいじゃないですか。一言『挨拶に来た』って言えば、佐々木さんなら喜ぶと思いやすよ?」
「……貴様、俺に何を求めている。俺と奴は、住む世界が違うんだ」
龍崎は、自分に言い聞かせるように冷たく言った。
自分は陽の当たらない道を歩く人間。陽太は、その名の通り太陽の下で人を救う人間。
これ以上、深入りすべきではない。
そう思っていたはずなのに。
窓の外、病院の通用口から、シフトを終えたらしい陽太が姿を現した。
私服に着替え、リュックを背負った彼は、病院で見せる「看護師」の顔とは少し違い、年相応のどこにでもいる青年に見える。
陽太は、ふと何かに気づいたように足を止めた。
そして、駐車場の隅に停まっている龍崎の車の方をじっと見つめた。
「……っ」
龍崎は反射的にシートに身を沈めた。
防弾仕様の真っ黒なスモークガラス越しに、外から中は見えないはずだ。
それなのに、陽太と目が合ったような気がして、心臓が爆発しそうなほど跳ね上がる。
陽太はしばらく車を眺めていたが、やがて思い出したように自分のポケットを探り、一枚のカードを取り出した。
龍崎が渡した、あの呪いのカードだ。
陽太はそれを指でなぞり、少しだけ寂しそうな、あるいは愛おしそうな顔をしてから、再びポケットに仕舞って歩き出した。
その一瞬の仕草を、龍崎は見逃さなかった。
「……出したぞ」
「へ?」
「今、奴は俺のカードを出した。捨てずに持っていた。しかも……大切そうに」
龍崎の声が、わずかに震えている。
絶望の淵から救い上げられたような、歓喜と熱情が入り混じった瞳。
「鮫島、車を出せ。奴の後をつける」
「若頭、それ本当にストーカーですから! やめてくださいよ!」
「黙れ。これは護衛だ。夜道は危険だからな」
まだ夕方の五時過ぎ、しかも人通りの多い駅前。
龍崎の言い訳はあまりに苦しかったが、その横顔には、初めて「恋」を知った男の、危ういほどの執着が宿っていた。
あいつは、俺を忘れていなかった。
ならば、方法はいくらでもある。
龍崎は、暗い車内で薄く笑みを浮かべた。
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