【完結】「お前を愛する者などいない」と笑われた夜、私は“本物の王子”に拾われた

波依 沙枝

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第十四話

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静かな時間が、過ぎていた。

雨も風もない日が続き、朝は鳥の声がして、夜は蝋燭の匂いがした。
あの夜から、私は当たり前みたいに物を見るようになった。
けれど、その事実だけで世界が明るくなることはなかった。

お母様の葬式が終わってから、私は「モンテリオール侯爵令嬢」としての時間に戻された。
礼儀。言葉。姿勢。所作。
ばあやや侍女たちは、私がもう一度それらを身につけられるか確かめるように、毎日を整えていった。

そして――お父様は、私を見に来た。

頻繁ではない。
けれど、以前よりも目を向けてくる回数が増えた。
その視線には、温度ではなく計量の重さがあった。

「……思っていたより、よく出来ている」

低く、短い声。
褒め言葉の形をしているのに、嬉しくない。
私は頷くことしかできなかった。

お父様が驚いたのは、私の知識だった。
暗闇の七年で、私は失っただけではない。
レオが教えてくれた言葉や、ばあやたちの読み聞かせで積み上げたものが、私の中に残っていた。

だからこそ――なのだろう。

ある日、お父様は私を座らせ、淡々と告げた。

「婚約の話がある」

その瞬間、胸の奥に浮かんだ顔はひとつだった。
レオ。

嫌だ。
政略結婚は嫌だ。
結婚するなら、レオがいい。

そう思ったのに。

お父様の前に立つと、言葉は喉の奥で固まった。
私は、お父様が怖い。
お父様は、私を愛してはいない。
だから――どんな決断だって下せてしまう。

それが、とてつもなく怖かった。

想像ではない。
起こったことがある。

私の目のことだって。

「……相手は」

やっと絞り出した声に、お父様は少しも間を置かず答えた。

「第二王子、リヒト殿下だ」

王子様。
本来なら、喜ぶべきなのだろう。

リヒト殿下は、王太子の地位に最も近いと言われている方だった。
正確には、王位継承権を持つ者は四人いる。

第一王子レオハルト殿下。
第二王子リヒト殿下。
そして――国王陛下の御弟君、アルマン殿下。
その御子息、フロリアン殿下。

けれど、私の胸の中で鳴っていたのは祝福ではない。

(……レオ)

名前を呼びたいのに、声は出せなかった。
あの合言葉を握りしめるみたいに、私はただ黙って頷いた。

それからの日々は、静かに整えられていった。
衣装、作法、挨拶。社交界へ出るための支度。
私は拒まなかった。拒めなかった。

そして顔合わせの日。
私は侯爵家の応接間で、椅子の背に背筋を預け、扉の向こうの気配を気にしながら、手袋の縫い目を指でなぞっていた。

――足音が近づいて、止まる。

「遅くなってしまって、申し訳ありません」

その声に、私は考える前に反応してしまった。

――レオ?

振り返る。

背の高い青年がいた。
蜂蜜色の髪に、碧い瞳。光を含んだ甘い色が、室内の空気まで柔らかく見せる。

彼は私を見ると、整った笑みを作った。
愛想のいい笑顔。けれど、その形が少しだけ綺麗すぎる気がした。

それでも――声が似ている。
だから私は、言葉を飲み込めなくなる。

リヒト殿下が席につくと、室内の空気が目に見えない糸で張り詰めた。
椅子が引かれる音。衣擦れ。食器ひとつ動かない静けさ。

そして、その静けさを割るように――お父様が口を開く。

「第二王子、リヒト殿下。本日はお時間を賜り、誠にありがとうございます」

お父様の声は、よく通った。
いつだってそうだ。誰の前でも、感情の凸凹を見せない。

「こちらは、私の娘。セレスティア・モンテリオールでございます」

“娘”という言葉が、肌に冷たく触れた。
久しぶりに聞いた気がして、私は背筋を伸ばす。

立ち上がり、教え込まれた通りに、裾をつまんで礼をする。

「……お目にかかれて光栄です、リヒト殿下」

声は、思ったよりも落ち着いて出た。
けれど胸の奥は、まださっきの声に引っ張られている。

リヒト殿下――そう呼ぶたび、脳裏で別の名前が揺れる。

レオ。

殿下の視線が、私の顔のどこかに止まる。
見られていると分かる。その重さが、じわりと熱を連れてくる。

「セレスティア嬢」

低く、澄んだ声。

――やっぱり、似ている。

息が詰まる。

そのとき、お父様が続けた。
紹介は、終わっていなかった。

「療養のためにサン=リュミエールへ移しておりましたが、すでに回復し、支障はございません。学も礼も、問題ないと判断しております」

支障はない。問題ない。

まるで、物の検品みたいだと思った。
私は笑顔を崩さない。崩せない。

「今後は王都に滞在し、改めて正式な場でもお披露目を――」

お父様の言葉が続く間、私はリヒト殿下の気配だけを探っていた。

微かな息遣い。指先の動き。
沈黙の癖が、私の知っている人と重なるのか、重ならないのか。

分からない。

分からないのに、胸だけが勝手に騒ぎ続ける。

三年。
レオと会えなくなってから、三年。

その時間は、私から少しずつ奪っていった。
声の高さ。歩く癖。笑う気配。指先の温度。
暗闇の中で確かめていたはずの輪郭が、記憶の中で薄れていく。

私はずっと、忘れないと思っていた。
けれど――忘れない“つもり”でいるだけでは、守れないものがある。

私も変わった。
見えるようになって、世界が押し寄せてきて。
十四歳だった身体は、もう十七歳になっている。

レオだって、きっと変わった。
声だけで判別できるほど、同じままではいられない。

だから私は、いま目の前の青年を「違う」と言い切れない。

……それどころか。

この声の持ち主が、私を暗闇から引き上げてくれた人であってほしいと、願ってしまう。
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