【完結】「お前を愛する者などいない」と笑われた夜、私は“本物の王子”に拾われた

波依 沙枝

文字の大きさ
16 / 44

第十五話

しおりを挟む
王妃の居室は、いつも静かだった。
香の匂いも、絨毯の柔らかさも、空気の温度も――すべてが「整えられている」。
その整い方が、かえって息を詰まらせた。

窓辺の椅子に座る王妃は、指先で扇を閉じたまま、何もない場所を見ているようだった。
けれど、その視線は、常に誰かの喉元に届く。

「あなたは、レオハルトがこそこそと何をやっていたか、知ってるかしら?」

唐突な問いだった。
リヒトは、反射で背筋を正す。

「……どういう意味です?」

王妃は、答える代わりに鼻で笑った。
薄い笑い。美しいのに、温度のない音。

「知らないのね」

まるで、確認が済んだと言わんばかりに。

「もう三年も前のことなのに」

呆れたように言って、王妃は扇をわずかに揺らした。
その小さな動きだけで、侍女たちの呼吸が揃うのが分かる。

「少しくらいは調べなさい」

言い方は軽い。
けれど命令だった。

リヒトは喉の奥で唾を飲む。
調べろと言うのは簡単だ。
だが、王宮で「調べる」という行為は、刃物を握るのと同じだ。
握る者の指も、必ず切れる。

王妃は、そんなことを知っている。知ったうえで言う。

(この方は――私を守る気など、最初からない)

そう思うだけで、背中が冷えた。

王妃の視線が、ゆっくりとリヒトに向く。
目を逸らすことすら許さない眼差し。

(……スパイの一人でも置け、と言いたいのだろうな)

口には出さない。
出した瞬間、その“思考”ごと握り潰される。

王妃は、淡々と続けた。

「あなたはね、利用できるものを利用しなさい」

扇の先が、机の上を軽く叩く。
こつ、と乾いた音。

「モンテリオールの娘よ」

リヒトの眉が、わずかに動く。

「……モンテリオールの娘?」

「ええ」

王妃は笑わない。
笑う必要がない、という顔だった。

「あの子は一時期、目が不自由だったのでしょう。療養先で――誰と会っていたと思う?」

リヒトは答えない。答えられない。

王妃は、答えを待たずに言った。

「レオハルトよ」

言葉の端に、侮蔑が混じる。

「仲が良かったと聞いたわ。随分とね」

王妃は扇を閉じたまま、指先でその骨を撫でた。
慈しむように。壊すものを撫でるみたいに。

「目が見えなかったのだから、顔も知らない筈」

王妃は視線を逸らさないまま、ゆっくりと言った。

「レオハルトとあなた、いくつか似てるところがある」

リヒトは息を止める。

王妃は扇を閉じたまま、指先で骨をなぞる。
まるで形の良い計画を撫でるみたいに。

「濃淡の差はあれど、金色の髪。青い系統の瞳。背の高さ。――そして声」

最後の一語を落とすときだけ、王妃の口角がわずかに上がった。
嘲りではない。確信の笑みだ。

「だから、出来るでしょう?」

「……何を、ですか」

リヒトの声は、思ったより低く出た。

王妃は微笑んだまま、はっきり言った。

「セレスティアにとっての“レオハルト”になりなさい。声も、態度も、距離の取り方も――似せるのよ」

扇の先が、机を一度だけ叩く。

「彼女があなたを“あの人”だと思いかけたら成功。そこで彼女の心を掴むの」

リヒトが息を呑む。

王妃は続ける。淡々と、決定事項として。

「そして本物のレオハルトは、あなたの手で消してしまいなさい」

言葉は短い。逃げ道もない。

「モンテリオール侯爵家は、こちらの手で握るの」

「こそこそ動いていたあのネズミに、そんな上等な駒をくれてやる気はないでしょう?」
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

あなたの愛が正しいわ

来須みかん
恋愛
旧題:あなたの愛が正しいわ~夫が私の悪口を言っていたので理想の妻になってあげたのに、どうしてそんな顔をするの?~  夫と一緒に訪れた夜会で、夫が男友達に私の悪口を言っているのを聞いてしまった。そのことをきっかけに、私は夫の理想の妻になることを決める。それまで夫を心の底から愛して尽くしていたけど、それがうっとうしかったそうだ。夫に付きまとうのをやめた私は、生まれ変わったように清々しい気分になっていた。  一方、夫は妻の変化に戸惑い、誤解があったことに気がつき、自分の今までの酷い態度を謝ったが、妻は美しい笑みを浮かべてこういった。 「いいえ、間違っていたのは私のほう。あなたの愛が正しいわ」

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

今日は私の結婚式

豆狸
恋愛
ベッドの上には、幼いころからの婚約者だったレーナと同じ色の髪をした女性の腐り爛れた死体があった。 彼女が着ているドレスも、二日前僕とレーナの父が結婚を拒むレーナを屋根裏部屋へ放り込んだときに着ていたものと同じである。

【完結】私が誰だか、分かってますか?

美麗
恋愛
アスターテ皇国 時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった 出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。 皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。 そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。 以降の子は妾妃との娘のみであった。 表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。 ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。 残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。 また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。 そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか… 17話完結予定です。 完結まで書き終わっております。 よろしくお願いいたします。

幼馴染み同士で婚約した私達は、何があっても結婚すると思っていた。

喜楽直人
恋愛
領地が隣の田舎貴族同士で爵位も釣り合うからと親が決めた婚約者レオン。 学園を卒業したら幼馴染みでもある彼と結婚するのだとローラは素直に受け入れていた。 しかし、ふたりで王都の学園に通うようになったある日、『王都に居られるのは学生の間だけだ。その間だけでも、お互い自由に、世界を広げておくべきだと思う』と距離を置かれてしまう。 挙句、学園内のパーティの席で、彼の隣にはローラではない令嬢が立ち、エスコートをする始末。 パーティの度に次々とエスコートする令嬢を替え、浮名を流すようになっていく婚約者に、ローラはひとり胸を痛める。 そうしてついに恐れていた事態が起きた。 レオンは、いつも同じ令嬢を連れて歩くようになったのだ。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

居場所を失った令嬢と結婚することになった男の葛藤

しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢ロレーヌは悪女扱いされて婚約破棄された。 父親は怒り、修道院に入れようとする。 そんな彼女を助けてほしいと妻を亡くした28歳の子爵ドリューに声がかかった。 学園も退学させられた、まだ16歳の令嬢との結婚。 ロレーヌとの初夜を少し先に見送ったせいで彼女に触れたくなるドリューのお話です。

処理中です...