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第1章 優しすぎる王太子
優しすぎる王太子Ⅱ
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フェラデル国にはこんな伝承がある。青い鳥に祝福をされた者は国を繁栄に導くと。だから、今見たものが青い鳥である筈がないのだ。ただの没落貴族令嬢である私には、国を繁栄には導けない。――そう、まだ今は。
王太子妃選考会のことを母はどう思っているのだろう。母も賛成してくれるのならば、私の心は決した。
植物園を出て古びた屋敷に入り、母の姿を探す。リビングにはいない。では、母の寝室には――いた。
椅子に座り、優雅に編み物を嗜んでいる。テーブルの上には湯気の立ちのぼるティーカップが一つだけ存在感を表していた。
「お母様」
声をかけると、母は顔を上げる。透き通るような長い茶髪に丸く可愛らしい緑の瞳――私は母にはまるで似ていない。髪の色も瞳も父にそっくりだ。
「エレナ、どうしたの?」
「王太子妃選考会のことでお話が」
「……そう」
母は目を伏せ、静かにティーカップを口につけた。
単刀直入に聞いてみよう。
「お母様は、私が王太子妃選考会に行くべきだと思う?」
「そう、だねぇ」
呟くと、母は窓の外へと視線を向けた。
「エレナにとって、良い話かと聞かれたら、決して良い話ではないと思う。王太子殿下のお人柄は良いんだろうけれど……不安は残る。それに王妃殿下のことを考えたら、エレナだって将来どうなるか分からないもん」
「家にとってはどう思ってる?」
「それは……」
浮かない顔をした後、母は大袈裟に溜め息を吐く。
「家のことを考えるなら、エレナには選考会に行ってもらいたい。でもね、家のことは自然に任せても良いと思うの。お爺様は浮かばれないかもしれないけれど、仕方のないことだから」
『仕方のないこと』――果たしてそうなのだろうか。お爺様は冤罪で断罪されたのだ。誰が考えても、そんなのは間違っている。
駄目だ、いつもの母のペースに私が狂わされてしまっている。諦めは己の破滅を導くだけだ。
「お母様、ちょっと考えてみて。今の生活が豊かになったらって。美味しい食事が毎日食べられて、家庭菜園なんて使用人に頼んで、夕食の時にはワインが飲める、そんな生活」
うんと頷くと、母は素直に目を細めた。
「私がその生活を保証するって言ったらどうする?」
これは賭けだ。まだ妃になれるかも分からない。なれたとしても、すぐに追放されるかもしれない。幸せにはなれないかもしれない。
母も危険を予測したのだろう。みるみるうちに表情は強ばっていく。
「エレナ、本当に行く気?」
「私はお父様とお母様に恩返しがしたいの」
私が王太子妃選考会に参加したい理由はそれだけだ。
不安を隠すためか、唇をぐっと噛む。そんな私の熱意に負けたのかもしれない。
「……エレナがそう決めてくれたのなら、行ってきなさい。でも、約束ね。選考会が終わるまでは、ここには帰ってこないこと。そして、泣き言があったら全部手紙に書いて送ること」
「うん」
それだけなら約束出来る。もっとも、泣き言なんて漏らす性格ではないのだけれど。
母の了承もしっかりと得られた。あとは父に旅立ちを報告するだけだ。
「お母様、また来ても良い?」
「うん。いつでもおいで」
二人で笑い合い、母の寝室を後にした。
父は今頃は書斎にいるだろう。廊下を歩き辿り着くと、軽くノックをする。
「お父様」
「ああ、エレナか。どうした?」
パイプをくゆらせたまま、書類から目を離す。温かな笑顔はいつ見ても心地が良い。
「タバコは身体に悪いから、気を付けてよ」
「分かってるさ」
父は自分のことを二の次にしてしまう仕事人間だ。大して重要な仕事を任されるでもないのに、名誉回復のために一人奮闘している。
「それで、用があるんだろう?」
父の穏やかな顔に、にこりと笑ってみせた。
「私、王太子妃選考会に行ってくるね。お母様も良いって言ってくれたから」
途端に父の顔色が変わった。青い目を見開き、両目から光の粒が溢れ落ちる。
「エレナ……済まない……」
「なんで謝るの? 決めたのは私なのに」
厳格な父には泣かないでいて欲しかった。決意が鈍りそうになってしまうから。
「もう、泣かないでよ。本当にお父様は泣き虫なんだから」
こんなにもさめざめと泣かれると、私の涙は引っ込んでしまう。幼い頃から父を慰めるのは私の役目だった。
父は鼻を啜りながら、私の両手をそっと包み込む。
「エレナは私の大事な娘だ。それは何があっても変わらない。だから、選考会の途中でも、危なくなったり挫折したら、いつでも帰ってきて良いからな」
まるで母と逆のことを言うのだな、と思わず苦笑いしてしまった。王太子妃選考会でもし危機が訪れた時、帰るべきか帰らざるべきか――まあ、その時になったら考えよう。
旅立ちの準備には一週間とかからなかった。たった一人のメイドを引き連れて、新調してもらった真っ赤なドレスに身を包み、息勇んで馬車に乗り込む。ここからは私の戦場だ。
たとえ優しすぎても、優柔不断でも、王太子殿下を振り向かせてみせます。その準備は胸の内で整えてあります。
愛を纏った私の舞台はもうすぐ幕を開ける――。
王太子妃選考会のことを母はどう思っているのだろう。母も賛成してくれるのならば、私の心は決した。
植物園を出て古びた屋敷に入り、母の姿を探す。リビングにはいない。では、母の寝室には――いた。
椅子に座り、優雅に編み物を嗜んでいる。テーブルの上には湯気の立ちのぼるティーカップが一つだけ存在感を表していた。
「お母様」
声をかけると、母は顔を上げる。透き通るような長い茶髪に丸く可愛らしい緑の瞳――私は母にはまるで似ていない。髪の色も瞳も父にそっくりだ。
「エレナ、どうしたの?」
「王太子妃選考会のことでお話が」
「……そう」
母は目を伏せ、静かにティーカップを口につけた。
単刀直入に聞いてみよう。
「お母様は、私が王太子妃選考会に行くべきだと思う?」
「そう、だねぇ」
呟くと、母は窓の外へと視線を向けた。
「エレナにとって、良い話かと聞かれたら、決して良い話ではないと思う。王太子殿下のお人柄は良いんだろうけれど……不安は残る。それに王妃殿下のことを考えたら、エレナだって将来どうなるか分からないもん」
「家にとってはどう思ってる?」
「それは……」
浮かない顔をした後、母は大袈裟に溜め息を吐く。
「家のことを考えるなら、エレナには選考会に行ってもらいたい。でもね、家のことは自然に任せても良いと思うの。お爺様は浮かばれないかもしれないけれど、仕方のないことだから」
『仕方のないこと』――果たしてそうなのだろうか。お爺様は冤罪で断罪されたのだ。誰が考えても、そんなのは間違っている。
駄目だ、いつもの母のペースに私が狂わされてしまっている。諦めは己の破滅を導くだけだ。
「お母様、ちょっと考えてみて。今の生活が豊かになったらって。美味しい食事が毎日食べられて、家庭菜園なんて使用人に頼んで、夕食の時にはワインが飲める、そんな生活」
うんと頷くと、母は素直に目を細めた。
「私がその生活を保証するって言ったらどうする?」
これは賭けだ。まだ妃になれるかも分からない。なれたとしても、すぐに追放されるかもしれない。幸せにはなれないかもしれない。
母も危険を予測したのだろう。みるみるうちに表情は強ばっていく。
「エレナ、本当に行く気?」
「私はお父様とお母様に恩返しがしたいの」
私が王太子妃選考会に参加したい理由はそれだけだ。
不安を隠すためか、唇をぐっと噛む。そんな私の熱意に負けたのかもしれない。
「……エレナがそう決めてくれたのなら、行ってきなさい。でも、約束ね。選考会が終わるまでは、ここには帰ってこないこと。そして、泣き言があったら全部手紙に書いて送ること」
「うん」
それだけなら約束出来る。もっとも、泣き言なんて漏らす性格ではないのだけれど。
母の了承もしっかりと得られた。あとは父に旅立ちを報告するだけだ。
「お母様、また来ても良い?」
「うん。いつでもおいで」
二人で笑い合い、母の寝室を後にした。
父は今頃は書斎にいるだろう。廊下を歩き辿り着くと、軽くノックをする。
「お父様」
「ああ、エレナか。どうした?」
パイプをくゆらせたまま、書類から目を離す。温かな笑顔はいつ見ても心地が良い。
「タバコは身体に悪いから、気を付けてよ」
「分かってるさ」
父は自分のことを二の次にしてしまう仕事人間だ。大して重要な仕事を任されるでもないのに、名誉回復のために一人奮闘している。
「それで、用があるんだろう?」
父の穏やかな顔に、にこりと笑ってみせた。
「私、王太子妃選考会に行ってくるね。お母様も良いって言ってくれたから」
途端に父の顔色が変わった。青い目を見開き、両目から光の粒が溢れ落ちる。
「エレナ……済まない……」
「なんで謝るの? 決めたのは私なのに」
厳格な父には泣かないでいて欲しかった。決意が鈍りそうになってしまうから。
「もう、泣かないでよ。本当にお父様は泣き虫なんだから」
こんなにもさめざめと泣かれると、私の涙は引っ込んでしまう。幼い頃から父を慰めるのは私の役目だった。
父は鼻を啜りながら、私の両手をそっと包み込む。
「エレナは私の大事な娘だ。それは何があっても変わらない。だから、選考会の途中でも、危なくなったり挫折したら、いつでも帰ってきて良いからな」
まるで母と逆のことを言うのだな、と思わず苦笑いしてしまった。王太子妃選考会でもし危機が訪れた時、帰るべきか帰らざるべきか――まあ、その時になったら考えよう。
旅立ちの準備には一週間とかからなかった。たった一人のメイドを引き連れて、新調してもらった真っ赤なドレスに身を包み、息勇んで馬車に乗り込む。ここからは私の戦場だ。
たとえ優しすぎても、優柔不断でも、王太子殿下を振り向かせてみせます。その準備は胸の内で整えてあります。
愛を纏った私の舞台はもうすぐ幕を開ける――。
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