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第1章 優しすぎる王太子
優しすぎる王太子Ⅰ
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このフェラデル王国には、たった一人の王子がいる。私は実物を見たことはないけれど、金髪青眼のそれは美しい王太子だという。この王太子には通称がある。
『優しすぎる王太子』――良い意味でも、悪い意味でも。国民は誰もが平等に接してくれると彼を褒め称え、貴族は優柔不断だと将来を憂う。まあ、私の知ったところではない。ついさっきまでは、そう思っていた。
ロッキングチェアに座り、真上から注ぐ日差しを浴びる。金銭的に厳しいからといって、この植物園を手放さなかった父に感謝を伝えたいな、と微睡んでいる時だった。誰かの影が視界に入ってきたのだ。
「エレナ、お前に招待状が届いている」
没落への一途を辿るノワゼル伯爵家の当主であり、私の父である銀髪の彼は、青い目を細めて白い封筒をすっと差し出す。
「何? これ」
「『王太子妃選考会』への招待状だ」
「え?」
こんな辺鄙な田舎の落ちぶれてしまった貴族の娘なんかに、『王太子妃選考会』なんかへの招待状が届く筈がない。ちょっぴり早い、私の誕生日のサプライズだろう。
「お父様、趣味の悪いサプライズはやめてよ」
「エレナ、何を言っている? 国王からの直筆のサインが入っているだろう」
「え……」
まさか、本物なのだろうか。サインが入っているといっても、国王の筆跡を私は知らない。まじまじとサインを見詰めてみるものの、「へぇ……」としか思えなかった。
訝りながら赤い封蝋を開け、中の便箋を広げていく。
* * *
エレナ・アーデン殿
貴女を一か月後に行われるフェラデル王太子妃選考会へ招待したい。我が息子の弱い意志をどうか支えてやってくれないか? 頼む、来てくれ。
フェラデル国王 ザイオン・アルヴェール
* * *
シンプルかつ、切羽詰まった招待状に息を呑む。
「公爵令嬢たちは下の者を蔑み、王太子には釣り合わない。侯爵令嬢たちは優柔不断な王太子よりも公爵令息に惹かれるらしい。いわば、王太子は貴族からしてみれば魅力はあまりないといったところだ」
貴族たちが国の将来を憂う理由はこういうことだったのか。仕方ないけれど、それが現実なのだろう。
「エレナ、私からお前に頼みがある」
あまりにも真剣な声に顔を上げると、父はじっと私を見下ろしていた。
「王太子妃の座を手に入れてくれ」
「は……? 冗談でしょ? 王太子妃としての教養なんて、私は――」
「良い暮らしはしたくないか?」
その一言に固く口を結ぶ。良い暮らしをしたくない訳がない。庶民と変わらない素朴な食事は飽き飽きだし、毎日真新しいドレスだって身につけたい。思いっきり読書だってしたいし、音楽鑑賞だって楽しみたい。
だからと言って、王太子に嫁げばどんな生活が待っているか私にも分かる。使用人にすら馬鹿にされるに決まっている。タチの悪い意地悪だってされるかもしれない。一方で王太子は政治だってまともに行えないし、暴動だって静められないかもしれない。現王妃は貴族の暴動の余波で、未だに大湖の孤島へ幽閉されている。またそんなことが起きれば、私の命も危うくなるだろう。
「お父様は私のことなんてどうでも良いの?」
「そんな筈がないだろう。王太子妃になれば、どんな願いでも叶えられる」
「その前に、殺されなければね」
私の言葉に、今度は父が押し黙る。
この招待状はなかったことにしよう。自分だけで結論付け、便箋を破り捨てようと手をかけた時だ。父が震える声を絞り出したのだ。
「私の夢もエレナに託したい。ノワゼル伯爵家を救ってくれ」
あまりにも切実な声に肩が震えた。父が私に頼みごとをするなんて初めてだ。呼吸をすることさえ難しくなってしまう。
「先代が受けた冤罪のせいで、私がいなくなればこの領地は他の貴族に吸収されるだろう。王妃の実家ともなれば、やすやすと取り潰しはされない。私は、私の代でノワゼル伯爵家を潰えさせたくはないんだ」
父の気持ちは分かるし、私を大事にしてくれたからこそ、父と母には楽な暮らしをさせたい。しかし、これは私の将来に関わっている。簡単に決断出来る問題ではないのだ。
「……ちょっとだけ考えさせて」
「ああ。選考会まではまだ時間がある。ゆっくり考えなさい」
父は儚く微笑むと、静かに植物園を出ていってしまった。小鳥のさえずりが聞こえる中で、大きな溜め息を吐く。
この縁談を断れば、私は貴族ではなく、庶民と結婚するしかないのだろう。取り潰しが決定している貴族令嬢と結婚したがる貴族令息なんている筈がないのだから。
そんなありきたりな人生を送るだけで、私は満足出来るのだろうか。汗水垂らして働き、その労力に見合わない生活を送るのに納得出来るのだろうか。没落寸前とは言っても、一度貴族の甘い生活を知るとそこから抜け出すのは難しい。
「この道は天国になるのか、地獄になるのか……」
今一度、招待状を翳し、ぼんやりと読んでみる。
『我が息子の弱い意志をどうか支えてやってくれないか?』
こうとも捉えられる。気の弱い令嬢が相手では、国の将来が立ちいかなくなる。ノワゼル伯爵家がどうのこうのと言っている場合ではなくなる。
逆に気の強すぎる令嬢が相手では、王妃の独裁が始まる。王家の血筋とは全く関係のない女が権力を振るいたい放題だ。
それならば、状況を冷静に判断出来る私が王妃になるのが得策ではないだろうか。周囲に目を張り、王太子の優しさに潜む真の心を引き出し、導く。おごり高ぶっている訳ではないけれど、私にはそれが出来る気がしてくる。
不意に頭上で小鳥が羽ばたいた。その身体は青かったような――ううん、それはただの見間違えだろう。なにしろ、青い鳥は伝承でしか知られていないのだから。
『優しすぎる王太子』――良い意味でも、悪い意味でも。国民は誰もが平等に接してくれると彼を褒め称え、貴族は優柔不断だと将来を憂う。まあ、私の知ったところではない。ついさっきまでは、そう思っていた。
ロッキングチェアに座り、真上から注ぐ日差しを浴びる。金銭的に厳しいからといって、この植物園を手放さなかった父に感謝を伝えたいな、と微睡んでいる時だった。誰かの影が視界に入ってきたのだ。
「エレナ、お前に招待状が届いている」
没落への一途を辿るノワゼル伯爵家の当主であり、私の父である銀髪の彼は、青い目を細めて白い封筒をすっと差し出す。
「何? これ」
「『王太子妃選考会』への招待状だ」
「え?」
こんな辺鄙な田舎の落ちぶれてしまった貴族の娘なんかに、『王太子妃選考会』なんかへの招待状が届く筈がない。ちょっぴり早い、私の誕生日のサプライズだろう。
「お父様、趣味の悪いサプライズはやめてよ」
「エレナ、何を言っている? 国王からの直筆のサインが入っているだろう」
「え……」
まさか、本物なのだろうか。サインが入っているといっても、国王の筆跡を私は知らない。まじまじとサインを見詰めてみるものの、「へぇ……」としか思えなかった。
訝りながら赤い封蝋を開け、中の便箋を広げていく。
* * *
エレナ・アーデン殿
貴女を一か月後に行われるフェラデル王太子妃選考会へ招待したい。我が息子の弱い意志をどうか支えてやってくれないか? 頼む、来てくれ。
フェラデル国王 ザイオン・アルヴェール
* * *
シンプルかつ、切羽詰まった招待状に息を呑む。
「公爵令嬢たちは下の者を蔑み、王太子には釣り合わない。侯爵令嬢たちは優柔不断な王太子よりも公爵令息に惹かれるらしい。いわば、王太子は貴族からしてみれば魅力はあまりないといったところだ」
貴族たちが国の将来を憂う理由はこういうことだったのか。仕方ないけれど、それが現実なのだろう。
「エレナ、私からお前に頼みがある」
あまりにも真剣な声に顔を上げると、父はじっと私を見下ろしていた。
「王太子妃の座を手に入れてくれ」
「は……? 冗談でしょ? 王太子妃としての教養なんて、私は――」
「良い暮らしはしたくないか?」
その一言に固く口を結ぶ。良い暮らしをしたくない訳がない。庶民と変わらない素朴な食事は飽き飽きだし、毎日真新しいドレスだって身につけたい。思いっきり読書だってしたいし、音楽鑑賞だって楽しみたい。
だからと言って、王太子に嫁げばどんな生活が待っているか私にも分かる。使用人にすら馬鹿にされるに決まっている。タチの悪い意地悪だってされるかもしれない。一方で王太子は政治だってまともに行えないし、暴動だって静められないかもしれない。現王妃は貴族の暴動の余波で、未だに大湖の孤島へ幽閉されている。またそんなことが起きれば、私の命も危うくなるだろう。
「お父様は私のことなんてどうでも良いの?」
「そんな筈がないだろう。王太子妃になれば、どんな願いでも叶えられる」
「その前に、殺されなければね」
私の言葉に、今度は父が押し黙る。
この招待状はなかったことにしよう。自分だけで結論付け、便箋を破り捨てようと手をかけた時だ。父が震える声を絞り出したのだ。
「私の夢もエレナに託したい。ノワゼル伯爵家を救ってくれ」
あまりにも切実な声に肩が震えた。父が私に頼みごとをするなんて初めてだ。呼吸をすることさえ難しくなってしまう。
「先代が受けた冤罪のせいで、私がいなくなればこの領地は他の貴族に吸収されるだろう。王妃の実家ともなれば、やすやすと取り潰しはされない。私は、私の代でノワゼル伯爵家を潰えさせたくはないんだ」
父の気持ちは分かるし、私を大事にしてくれたからこそ、父と母には楽な暮らしをさせたい。しかし、これは私の将来に関わっている。簡単に決断出来る問題ではないのだ。
「……ちょっとだけ考えさせて」
「ああ。選考会まではまだ時間がある。ゆっくり考えなさい」
父は儚く微笑むと、静かに植物園を出ていってしまった。小鳥のさえずりが聞こえる中で、大きな溜め息を吐く。
この縁談を断れば、私は貴族ではなく、庶民と結婚するしかないのだろう。取り潰しが決定している貴族令嬢と結婚したがる貴族令息なんている筈がないのだから。
そんなありきたりな人生を送るだけで、私は満足出来るのだろうか。汗水垂らして働き、その労力に見合わない生活を送るのに納得出来るのだろうか。没落寸前とは言っても、一度貴族の甘い生活を知るとそこから抜け出すのは難しい。
「この道は天国になるのか、地獄になるのか……」
今一度、招待状を翳し、ぼんやりと読んでみる。
『我が息子の弱い意志をどうか支えてやってくれないか?』
こうとも捉えられる。気の弱い令嬢が相手では、国の将来が立ちいかなくなる。ノワゼル伯爵家がどうのこうのと言っている場合ではなくなる。
逆に気の強すぎる令嬢が相手では、王妃の独裁が始まる。王家の血筋とは全く関係のない女が権力を振るいたい放題だ。
それならば、状況を冷静に判断出来る私が王妃になるのが得策ではないだろうか。周囲に目を張り、王太子の優しさに潜む真の心を引き出し、導く。おごり高ぶっている訳ではないけれど、私にはそれが出来る気がしてくる。
不意に頭上で小鳥が羽ばたいた。その身体は青かったような――ううん、それはただの見間違えだろう。なにしろ、青い鳥は伝承でしか知られていないのだから。
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