その距離は、恋に遠くて

碧月あめり

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 夕飯の支度がほぼ終わったころ、玄関から「ただいまー」という声が聞こえてきた。

 鍋の火を止めてリビングから顔を覗かせると、義父ちちが靴を脱いで上がってくるところだった。

「おかえりなさい、健吾くん。早かったね」
「あー、うん。今日は思ったよりも早めに仕事が片付いたから」

 わたしは、義父のことを《健吾くん》と意図的に名前で呼んでいる。そのことを母や健吾くんから咎められたことは一度もない。
 母も健吾くんも、わたしが父親になった彼のことを「お父さん」と呼ぶのが気恥ずかしいのだと勘違いしているからだ。

「沙里、夕飯は?」
「今からだよ」

 ジャケットを脱いでネクタイを緩める健吾くんの後ろを、跳ねるようについて歩く。着替える前にキッチンに足を踏み入れた健吾くんが、コンロにかけていた鍋のフタを開けて「今日、肉じゃがだ」と、嬉しそうに頬を緩ませた。

「沙里が作る肉じゃが、うまいよな。腹減った。すぐ着替えてくるね」
「うん、あっためて、すぐに食べれるようにするね」
「ありがとう」

 健吾くんが目尻を下げて笑いながら、わたしの頭にぽんっと手をのせる。健吾くん本人は無自覚にやっているのだろうけれど、わたしは彼に触れられるたびにドキドキして仕方がない。

 仕事用のスーツを着替えに行く健吾くんの広い背中を見送ってから、わたしはコンロの火を点けた。


 今日の夕飯は、肉じゃがと豆腐のお味噌汁、それからほうれん草の胡麻和えという和食メニューだ。

 健吾くんがわたしの母と再婚してそろそろ半年。一緒に生活するなかでわかったことは、健吾くんが洋食よりも和食派だということと、特に肉じゃがが好きだということだ。

 看護師として働いている母は、六年前に父を亡くしてからずっと、わたしを一人で育てるために頑張ってくれていた。わたしが料理を覚えようと思ったのは、少しでも母の役に立ちたかったからだ。

 最初は簡単なものしか作れなかったし失敗ばかりだったけれど、本やインターネットでレシピを調べて試行錯誤を重ねるうちに、気付けば母よりも料理がうまくなった。

 今では料理することが習慣になってしまっていて、朝食と夕食は毎日わたしが作る。それが特別なこととは思っていなかったけれど、母が再婚して三人暮らしになったときに、健吾くんがわたしの料理を絶賛してくれた。


『沙里のメシは、俺が今まで食べてきた手料理の中で一番おいしい』

 健吾くんにそんなふうに褒められて以来、わたしは母と二人暮らしのときよりもずっと気合いを入れて料理をするようになった。

 健吾くんが、わたしの作ったものを嬉しそうに食べてくれると嬉しかった。
 

 ダイニングテーブルに食事を並べ終わる頃、部屋着に着替えた健吾くんが戻ってきた。


「おぉ、今日も美味そう。毎日帰ってきたら、沙里の作ったご飯が食べられるから、すげー幸せだよ」

 ダイニングの椅子に腰かけながら、健吾くんが能天気にそんなことを言う。


「大げさだな」

 ははっと空笑いを返しながら、健吾くんの言葉にちょっとだけ期待した。「沙里の作ったご飯が食べられて、幸せ」なんて、まるで新婚の旦那さんから奥さんにあてた誉め言葉みたいだったから。


「沙里はいつでも嫁に行けるな」

 健吾くんが美味しそうに肉じゃがを頬張りながら、目を細める。


「じゃぁ、健吾くんがお嫁にもらってよ」 
 
 本気半分、冗談半分で言ったら、健吾くんに笑って躱された。

 健吾くんは子どもの戯れ言だと思っているのかもしれないけど、わたしは彼が母の夫となった今でも僅かな希望を捨てきれずにいる。

 母と再婚する前から、健吾くんはわたしにとても優しい。料理を褒めてくれるし、さっきみたいにさりげなく頭を撫でてくれることもある。
 彼に優しくされるたび、わたしはいつも期待する。

 いつか健吾くんが、母ではなくてわたしのことを女として見てくれる日が来るんじゃないか、って。そんな未来を、いつもいつも、バカみたいに想像してる。

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