5 / 55
One
5
しおりを挟む◆
夜の十一時頃にお風呂から上がってくると、入浴前には誰もいなかったはずのリビングに電気が灯っていた。
健吾くんはわたしよりも先にお風呂を済ませて寝室にこもっていたから、母が帰ってきたのだろう。「おかえり」と声をかけようと思ったら、リビングから話し声が聞こえてきた。
ドアの陰からリビングをそっと覗き込むと、母と健吾くんがダイニングテーブルの椅子に横並びで腰かけて談笑している。
遅い夕食を食べ終えた母と一緒に紅茶を飲んでいるらしい。小声で話すふたりの会話の内容はよく聞こえないけれど、母も健吾くんもなんだか嬉しそうだった。
特に健吾くんは、隣に座る母にとても優しい眼差しを向けている。
健吾くんは普段から優しいけれど、彼が母を見るときの目はわたしを見るときの目とは明らかに違う。健吾くんは母のことを、ひとりの女性として、愛おしくてたまらないという目で見ている。
お互いに話に夢中になっている母と健吾くんは、ドアの陰にわたしが立っていることに気付く様子もなかった。
「そろそろ片付けようか」
しばらくして、母が紅茶のカップをキッチンに運ぶために立ち上がる。
「俺、やるよ」
すぐさま立ち上がった健吾くんが、母のことを抱き寄せてキスをした。軽めの触れるだけのキスだったけれど、健吾くんと母の行為が、わたしの心をかき乱した。
両親の男女の部分を見てしまったときに、一般的な家庭の子どもはどんな感情になるんだろう。
ショック? 気持ち悪い?
わたしは——、健吾くんよりも年上なのに、彼に女として見てもらえている母のことがうらやましい。
どんなに優しい笑顔を向けてくれても、作った料理を褒めてくれても、健吾くんが恋愛感情を抱いている相手は母だ。
わたしがどれだけ健吾くんに媚びたところで、その事実が覆ることは決してないのだ。
お互いのことを大切そうに抱きしめて、微笑み合う母と健吾くん。わたしは、そんなふたりのあいだに踏み込めない。
哀しい、切ない、羨ましい。胸の中で、言葉には表せないようなドス黒い感情が渦を巻く。
わたしは唇をギュッと引き結ぶと、ワンフロアの廊下を一気に駆けて玄関を飛び出した。
ドアが閉まるときに、お風呂上がりで肩にかけたままにしていたフェイスタオルが落ちる。
「沙里?」
閉じたドアの向こう側から母の声が追いかけてきたような気がしたけど、立ち止まる気持ちにはなれない。
けれど、夜道を走り抜けて自宅から五番目に近いコンビニが見えてきたとき、さすがに失敗したなと思った。
お風呂上りに衝動的に家を飛び出してきたせいで、財布もスマホを持っていない。服装は部屋着にしている緩めのスウェットに半袖Tシャツだし、濡れたままだった髪は外気に触れてすっかり冷えていた。
昼間はともかく、春の夜はまだまだ肌寒い。小さく身震いをして、Tシャツの袖からむき出しになった両腕を温めるように手のひらで擦る。
暖を取るためにコンビニに入りたいけれど、女子高生が夜遅くに財布も持たずに店内をうろついていたら不審に思われるだろう。
癪だけど、財布もスマホも持っていない未成年は大人しく家に帰るしかない。
母も健吾くんも、わたしが玄関を飛び出す音に気付いていたようだから、帰ったら夜遅くに黙って外出したことを怒られるだろう。
いっそのこと親が放任主義だったら気が楽だけど、母も健吾くんも、わたしの素行には結構厳しい。
今日の放課後のことだって、あのまま三上先生に生徒指導室に連れて行かれていたら、母に連絡が入って、いろいろと問い詰められていたことだろう。そう考えると、助けてくれた葛城先生にはもう少し感謝すべきだったのかもしれない。
肌寒さに、また小さく身震いをする。濡れたままにしていた髪が冷えたせいか、くしゃみまで出てきた。
仕方がない。嫌だけど、本当にもう帰ろう。
苦々しい気持ちで自宅のほうに足を向けると、また、くしゃみがひとつ出る。
「あぁ、もう……」
ぼやきながら、ずずっと鼻を啜ったそのとき。
「岩瀬?」
後ろから声をかけられた。
嘘、こんな格好でいるときに知り合いに会うなんて最悪。
眉をしかめながら振り向くと、コンビニの買い物袋を持った葛城先生が立っていた。
放課後の化学準備室で三十分以上も顔を突き合わせたというのに、まさかこんな時間にこんな場所で会うなんて。けれど、目の前にいる相手を見て眉間を寄せているのは、わたしだけではなかった。
葛城先生も、夜遅くにひとりでうろうろしているわたしを不審に思っているのだろう。
「こんな時間に、こんなところで何してんだ? 岩瀬」
葛城先生が、化学準備室で向き合っていたときよりもずっと厳しい表情で問いかけてくる。
1
あなたにおすすめの小説
僕《わたし》は誰でしょう
紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。
「自分はもともと男ではなかったか?」
事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。
見知らぬ思い出をめぐる青春SF。
※表紙イラスト=ミカスケ様
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる