その距離は、恋に遠くて

碧月あめり

文字の大きさ
28 / 55
Four

しおりを挟む

「ただいま」

 那央くんに送ってもらって家に帰ると、母と健吾くんが玄関まで走り出てきた。

 健吾くんは、ネクタイこそ外しているものの、シャツとパンツは仕事着のままだ。帰宅して着替える暇もなく、わたしのことを探してくれていたのかもしれない。

 さすがに迷惑をかけたことはわかるが、気まずくて素直に謝れない。那央くんには「帰ったらすぐに、心配かけたことを謝れ」と言われたのに。最初の一言を、どう切り出せばいいのかわからなかった。

 玄関に突っ立ったまま、母と健吾くんから顔をそらすと、母が助けを求めるように健吾くんに視線を向けた。

「とりあえず、上がりなさい」

 いつもなら、母も健吾くんも優しい声音で軽く注意してくるだけで、怒ったりしないし、わたしが家を飛び出した理由すら訊こうとしない。だけど、今日の健吾くんの口調は普段よりも厳しかった。わたしを見下ろす視線も、いつになく鋭いような気がする。

 なんとなく逆らえる雰囲気ではなくて、健吾くんに言われるままに家に上がる。

「あ、の……」

 まずは謝らないといけない。事情はどうであれ、わたしから。上目遣いに、母と健吾くんの顔色を窺う。

「今まで、どこで何してた? 葛城に見つからなくても、帰ってくるつもりだった?」

 だけど、何か言う前に、健吾くんが厳しい口調でわたしを問いつめてきた。

「え、っと。駅前のファーストフードで時間潰したりとか……」
「黙って家を出て行ったまま、何時間も連絡取れなくなって。お母さんや俺が心配してるって思わなかった? 沙里が自分勝手に飛び出して行ったのって、これで何回目?」

 健吾くんの語気が、少しずつ強くなる。

「真由子さんのこと心配させて、葛城にも迷惑かけて。人を振り回すのもいい加減にしろよ」

 最後は低い声で怒鳴られて、思わず肩がビクリと跳ねた。健吾くんが、怖い目でわたしを見つめている。

 初めて出会ったときから、にこにこ笑っていることの多い健吾くん。うちの高校で先生をしていたときだって、健吾くんが本気で生徒を叱っているところは見たことがない。そんな彼の怒鳴り声を聞いたのは初めてだった。

「何か気に入らないことがあるなら、逃げ出したり、葛城に迷惑かけたりせずに、直接俺に言ってよ」

 健吾くんが、強い口調でわたしを責めてくる。健吾くんはたぶん、わたしが家を飛び出した理由が彼にあると気付いているのだ。

 だけど直接言えと言われても、母の前で本当のことを話せるわけがない。健吾くんのことが好きなわたしが、母に嫉妬しているだけなんだから。

「健吾くん、もうそんなに責めなくていいから。きっと、私が無意識のうちに、沙里の気に触ることを言ったんだと思う。ふたりとも、リビングでお茶でも飲んで少し落ち着いて」

 母も健吾くんが声を荒げているのを見るのは初めてだったのかもしれない。母が健吾くんのことを宥めるように、腕に触れる。
 だけど健吾くんは、母の顔も見ずにその手をそっと振り払った。

「真由子さんは何も悪くないよ。俺が真由子さんと沙里のバランスを崩した。全部、俺のせい」

 健吾くんが、わたしを見つめながら表情を歪める。苦しげなその表情に、胸がズキッと傷んだ。

「健吾くん? 何言ってるの?」
「真由子さん、俺、しばらくここには帰ってこないようにする」
「帰ってこないって、どういうこと?」

 顔色を変えた母に、健吾くんが悲しそうな目をして優しく微笑みかけた。

「しばらく、ふたりとは離れる。沙里にとってもそのほうがいいと思うから」
「沙里にとっても、って……。何かあったの?」

 母が、わたしと健吾くんの顔を交互に見つめる。母の顔をうまく見ることができずに斜め下に視線を落とすと、健吾くんがふっと息を漏らした。

「ごめんね。だけど、これだけは信じて。俺は真由子さんのことが大好きだし、真由子さんと沙里のこと、大切に思ってるから」

 わたしの目の前で、健吾くんが母の肩を抱き寄せた。

「け、健吾くん……」

 母が焦って、健吾くんの胸を押しのけようとする。でも健吾くんは、母の肩を抱く手を離そうとはしなかった。

 きっと、わざとだ。健吾くんは、彼にとっての一番が母であることをわたしに示そうとしている。

 今まで何をしても笑って許してくれた健吾くんが厳しい口調で怒ったのも、わたしが彼の娘であることを伝えるための意思表示。

 わたしの告白を曖昧な態度で躱して、なかったことにしようとしていた健吾くんだけど。母とわたしは違うのだとハッキリと線引きすることで、わたしの告白に対する返事しているのかもしれない。

 わたしはもう、健吾くんのことを好きでいてはいけない。もしかしたら、いつかわたしに振り向いてくれるかもという幻想も、捨てないといけない。

 きついな。きついけど、今までみたいに感情的に家を飛び出したりはできない。
 健吾くんが苦しんでるから。母を困らせるから。それに、那央くんとも約束したばかりだから。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

僕《わたし》は誰でしょう

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。 「自分はもともと男ではなかったか?」  事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。  見知らぬ思い出をめぐる青春SF。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

処理中です...