その距離は、恋に遠くて

碧月あめり

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Seven

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化学準備室に向かって一気に走っていくと、そのドアは少し開いていて、室内の明かりが暗い廊下に薄っすらと伸びていた。

 よかった。那央くんはまだ化学準備室にいる。ほっとしたのと、嬉しいのとで、つい頬が緩む。ドアを引き開けようと手をかけたとき、中から話し声が聞こえてきた。

「那央くんはさー、彼女にするなら何歳差ぐらいまでなら許容範囲?」

 ドキッとしてドアの隙間から化学準備室の中を覗くと、前にも見たことのある三年生の女子二人組の後姿が見えた。

「それ聞いてどうすんの?」
「だって、気になるんだもん」
「なんでだよ」
「なんで、って。みんな知りたがってるよ。那央くん的に、十個下の私たちが、恋愛対象としてアリなのかな、って」

 デスクの端に肘をついた二人は、椅子の下で足をぶらぶらと揺らしながら仕事中の那央くんの横顔を見上げている。

「年齢差どうこうの問題じゃなく、生徒はナシ」
「えー」

 苦笑いを浮かべながらもきっぱりと彼女たちのあいだに線を引いた那央くんに、ほっとすると同時に複雑な気持ちになる。

「那央くんがうちの高校で教えるのって、一年の期間限定なんだよね? 私たちが卒業して、那央くんもうちの高校の非常勤講師でなくなれば、何の弊害もなくない?」

「ナシ」だとはっきりと言われた三年生の女子達は、僅かに残る期待を捨てきれないのか、那央くんに向かってぶーぶー文句を言っている。

「年齢差とか、生徒だからとか、弊害とか。そういう建前は置いといて、おまえらはおれに既に彼女がいる可能性は考えてないわけ?」
「え、那央くん、彼女いるの?」
「さぁ、知らん」
「知らん、ってどういうこと。いるの、いないの?」
「そんなこと言ってる暇があったら、勉強。真面目にやらないなら、出禁にするからな」

 那央くんがそう言って、騒ぎ始めた彼女たちの頭をそれぞれグシャリと撫でる。

「那央くん、そういうのズルい」

 彼女たちのうちの一人が、那央くんに触れられた頭に手をおきながら、恨めしそうにつぶやく。

「なんだよ、ズルいって。ほら、勉強」

 パンッと手を叩いて彼女たちを促す那央くんは、自分が何気なくやった行動の重さに少しも気付いていないみたいだった。でも、「ズルい」とつぶやいた三年生の女子の意見には同感。

 那央くんに促された三年生の女子達が、渋々といった様子で勉強を始める。その横で仕事を始めた那央くんは、化学準備室のドアの外に立っているわたしに気付くはずもない。

 廊下の窓に視線を向けると、また少し、雨が強くなっていた。

「あれ、なんか、雨すごくない? 帰るまでにおさまるかな?」

 化学準備室から、三年生の女子の憂鬱そうな声が聞こえてくる。

「最終下校の時間にはおさまってるよ」
「え、那央くん、なんでわかるの?」
「なんとなく?」

 ふっと漏らした吐息とともに聞こえてきた那央くんの声に、ぎゅっと胸の奥が痛くなる。

 化学準備室から離れて裏門側の駐車場に向かうと、二回だけ助手席に乗せてもらった黒のSUVがすぐに見つかった。やっぱり、那央くんは天気予報を見越して車で来てた。

 帰る頃には、雨がやむかもしれないから。でも、予報が外れてやまなかったら……?

 しばらく那央くんの車を眺めていたわたしは、駐車場のそばにある駐輪場の屋根の下に入って折り畳み傘を閉じた。傘についた雨を払いながら息を吐く。

 カバンの中でスマホが震えたような気がして取り出すと、唯葉から何件も着信とメッセージが届いていた。

『どこにいるの? とりあえず、駅で待ってるよ』

 唯葉から最後に届いていたのは、そんなメッセージ。それに既読だけをつけると、スマホをカバンに押し込んだ。

 こんなところで待っていたって、きっと迷惑がられるだろうな。考えなくてもわかるのに、降りしきる雨が、わたしの足を引きとめる。

 灰色だった空が薄墨色に染まり始めるまで、わたしは駐輪場の屋根の下で、雨がおさまるのを待っていた。
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