41 / 55
Seven
2
しおりを挟む化学準備室に向かって一気に走っていくと、そのドアは少し開いていて、室内の明かりが暗い廊下に薄っすらと伸びていた。
よかった。那央くんはまだ化学準備室にいる。ほっとしたのと、嬉しいのとで、つい頬が緩む。ドアを引き開けようと手をかけたとき、中から話し声が聞こえてきた。
「那央くんはさー、彼女にするなら何歳差ぐらいまでなら許容範囲?」
ドキッとしてドアの隙間から化学準備室の中を覗くと、前にも見たことのある三年生の女子二人組の後姿が見えた。
「それ聞いてどうすんの?」
「だって、気になるんだもん」
「なんでだよ」
「なんで、って。みんな知りたがってるよ。那央くん的に、十個下の私たちが、恋愛対象としてアリなのかな、って」
デスクの端に肘をついた二人は、椅子の下で足をぶらぶらと揺らしながら仕事中の那央くんの横顔を見上げている。
「年齢差どうこうの問題じゃなく、生徒はナシ」
「えー」
苦笑いを浮かべながらもきっぱりと彼女たちのあいだに線を引いた那央くんに、ほっとすると同時に複雑な気持ちになる。
「那央くんがうちの高校で教えるのって、一年の期間限定なんだよね? 私たちが卒業して、那央くんもうちの高校の非常勤講師でなくなれば、何の弊害もなくない?」
「ナシ」だとはっきりと言われた三年生の女子達は、僅かに残る期待を捨てきれないのか、那央くんに向かってぶーぶー文句を言っている。
「年齢差とか、生徒だからとか、弊害とか。そういう建前は置いといて、おまえらはおれに既に彼女がいる可能性は考えてないわけ?」
「え、那央くん、彼女いるの?」
「さぁ、知らん」
「知らん、ってどういうこと。いるの、いないの?」
「そんなこと言ってる暇があったら、勉強。真面目にやらないなら、出禁にするからな」
那央くんがそう言って、騒ぎ始めた彼女たちの頭をそれぞれグシャリと撫でる。
「那央くん、そういうのズルい」
彼女たちのうちの一人が、那央くんに触れられた頭に手をおきながら、恨めしそうにつぶやく。
「なんだよ、ズルいって。ほら、勉強」
パンッと手を叩いて彼女たちを促す那央くんは、自分が何気なくやった行動の重さに少しも気付いていないみたいだった。でも、「ズルい」とつぶやいた三年生の女子の意見には同感。
那央くんに促された三年生の女子達が、渋々といった様子で勉強を始める。その横で仕事を始めた那央くんは、化学準備室のドアの外に立っているわたしに気付くはずもない。
廊下の窓に視線を向けると、また少し、雨が強くなっていた。
「あれ、なんか、雨すごくない? 帰るまでにおさまるかな?」
化学準備室から、三年生の女子の憂鬱そうな声が聞こえてくる。
「最終下校の時間にはおさまってるよ」
「え、那央くん、なんでわかるの?」
「なんとなく?」
ふっと漏らした吐息とともに聞こえてきた那央くんの声に、ぎゅっと胸の奥が痛くなる。
化学準備室から離れて裏門側の駐車場に向かうと、二回だけ助手席に乗せてもらった黒のSUVがすぐに見つかった。やっぱり、那央くんは天気予報を見越して車で来てた。
帰る頃には、雨がやむかもしれないから。でも、予報が外れてやまなかったら……?
しばらく那央くんの車を眺めていたわたしは、駐車場のそばにある駐輪場の屋根の下に入って折り畳み傘を閉じた。傘についた雨を払いながら息を吐く。
カバンの中でスマホが震えたような気がして取り出すと、唯葉から何件も着信とメッセージが届いていた。
『どこにいるの? とりあえず、駅で待ってるよ』
唯葉から最後に届いていたのは、そんなメッセージ。それに既読だけをつけると、スマホをカバンに押し込んだ。
こんなところで待っていたって、きっと迷惑がられるだろうな。考えなくてもわかるのに、降りしきる雨が、わたしの足を引きとめる。
灰色だった空が薄墨色に染まり始めるまで、わたしは駐輪場の屋根の下で、雨がおさまるのを待っていた。
1
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
僕《わたし》は誰でしょう
紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。
「自分はもともと男ではなかったか?」
事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。
見知らぬ思い出をめぐる青春SF。
※表紙イラスト=ミカスケ様
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる