その距離は、恋に遠くて

碧月あめり

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Nine

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 校門のそばに植えてある桜の木から、風に吹かれて散った花びらがぽたぽたと地面に落ちる。午前中に降った雨で濡れた花びらは色褪せて少し重たげだ。

 まだうっすらと灰色の雲が広がる空の下、右手にビニール傘、左手に大きめの服屋の紙袋を揺らしながら、校舎へと向かう。

 春休みの学校は、節電のためか普段よりも点けてある照明の数が少ない。それに、少し肌寒い。傘と靴を昇降口の端にまとめて置くと、靴下のまま校舎内に一歩足を踏み入れた。

 向かう先は、化学準備室。そこに行くまでに、購買横の自動販売機に立ち寄る。コイン投入口に百円を二枚入れてから、考える。アイスか、ホットか。しばらく迷ってから、ホットのブラックコーヒーを購入して紙袋の中に入れた。

 人気のない校舎の中を、化学準備室に向かって進む。確かめなくても、その部屋のドアの鍵は開いている。

 雑にノックをしてスライド式のドアを引き開けると、那央くんが忙しそうにデスク周りの荷物を整理していた。足元には、複数の段ボール箱。その中には、本や文房具などの備品が雑多に詰め込まれている。

「片付け、順調?」

 声をかけると、那央くんがおもむろに振り返った。

「また岩瀬か」

 片眉を下げて綺麗な顔を歪めた那央くんの瞳には、呆れの色がのっている。でも、迷惑そうには見えない。だから、ふふっと軽く笑って、化学準備室の中へと足を踏み入れた。

「差し入れ持ってきたよ」

 紙袋の中からブラックコーヒーの缶を取り出して、本や書類が散らかっている那央くんのデスクにのせる。

 それから、普段は那央くんが座っているデスクの回転式の椅子に腰をかけると、暇潰しに左右に動かした。ゆらゆらと揺れながら那央くんの様子を観察していると、彼が居心地悪そうに顔をしかめる。


「何?」
「別に」
「岩瀬も今年は受験生だろ。ここに入り浸ってないで、ちゃんと勉強しろよ。おれはもうここからいなくなるんだから、去年の三年のときみたいな補講はできないからな」

 目をすがめた那央くんが、真面目に説教じみたことを言ってくる。

 怒ってても、綺麗な顔してるな。ぼんやりと那央くんの言葉を聞き流していたら、呆れ顔の彼がため息を吐いた。

「それに、せっかくの春休みだろ。用もないのに頻繁に学校来なくてもいいのに」

 理解不能だ、とでも言いたげに肩をすくめる那央くんの目をジッと見つめ返してから、窓の向こうに視線を向ける。

「だって今日、雨だったから。那央くんが震えてるんじゃないかと思って」
「震えてないよ。雨の運転が少し苦手なだけ」
「だからだよ。今日は絶対に荷物を運ばなきゃいけないから、車でしょ」

 視線を戻すと、那央くんが目を伏せて苦笑いした。

 もともと一年間の期間限定でうちの高校の非常勤講師を勤めていた那央くんは、来週から大学院の研究室に戻ることになっている。

 うちの高校の非常勤としての契約も昨日で終わり、今日は片付けた荷物を化学準備室から運び出す日だ。春休みに入ってからも、事務作業を済ませに学校に来ていた那央くんの元に通っていたわたしは、今日が那央くんが化学準備室に来る最終日だということを知っていた。

 最終日になる今日は、午前中は雨予報で。それを見越した那央くんは、前日に、学校の駐車場に車を置いて帰っていた。天気予報どおり、朝目を覚ますと雨が降っていたから、それを口実に那央くんに会いにきたけど……。

 もし雨じゃなくても、わたしは彼に会うためにここに来ていたと思う。
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