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Nine
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しおりを挟むわたしがマンションのエントランスの前で夏乃さんと鉢合わせしてからしばらく経って、那央くんは彼女と別れたらしい。
「話できた?」と訊いたら、曖昧に濁されたのだが、なんとなく、彼女のほうに別れを切り出されたのかな、という感じがした。
だからといって、那央くんとわたしの関係が変わることはもちろんないし。彼が雨の日の運転が苦痛で無くなってきているのなら、きっと今が、離れるのにちょうどいいタイミングなんだろう。
「雨の日の運転が平気になったなら、わたしはそろそろ用なしだね。よかった、よかった……」
これからは、わたしの代わりにクゥーが那央くんのことを見守るんだ。複雑な感情が胸を過って、上手に明るく笑えない。今日が、最後かもしれないのに。
ハハッと空笑いしたとき、那央くんがわたしの腕をつかんで引っ張った。ぐらりと足元が揺れ、次の瞬間には身体ごと、那央くんの両腕に包み込まれていた。大人の男の人の腕の力強さや、顔を押し付けられたしっかりとした胸板の厚さを意識した途端、爆発寸前まで心音が速くなる。
なにこれ。どういうこと? どうしてわたしは今、那央くんに抱きしめられてる――?
事態が全く飲み込めない。那央くんの腕の中で、真っ直ぐに下におろした手の指先までピンッと伸ばして固まっていると、少し前屈みになった彼が、わたしの後頭部に片手を回して引き寄せた。さらに近くなった那央くんの気配に、頭の中がパニック状態だ。
「あ、あの……、な、那央くん……」
「まだまだ必要だよ」
耳元でボソリとささやいてから、那央くんがわたしの両肩に手をのせて、ぐっと押しやる。引き寄せられたり、遠ざけられたり、わけがわからない。
抱きしめられた余韻に顔を赤くしながら顔をあげると、那央くんが片眉を下げて首の後ろに手をあてた。
「もう、おれ、桜田先輩に殴られる覚悟決めるわ」
「どういう意味?」
「岩瀬が、身代わりのクマを託して逃げようとするからだろ。おれはクマじゃなくて、これからも隣に座ってる岩瀬の下手な歌が聞きたい」
照れ臭そうに少し目を伏せた那央くんの言葉に、期待と不安で心臓がドクドクと鳴る。
近付こうとすれば、いつも引かれてしまっていた境界線。絶対に恋になるはずのない距離。もしわたしの勘違いでなければ、那央くんは今、それを縮めようとしてくれている。
「那央くんがここからいなくなっても、また会える?」
はっきりと確かめるのが怖くて少し遠回しに訊ねると、那央くんがふっと息を漏らして微笑んだ。
「そうだな。とりあえず今年はちゃんと勉強頑張って、まずは大学生になって」
「うん、待ってて」
にこっと笑いかけると、那央くんが微妙にわたしから視線をはずしながら、ぽんっと頭を撫でてくれた。
那央くんの手のひらの温もりに触れながら、早く大人になりたいと思う。
彼との距離が縮まって、それがいつか恋になるように。
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