報われなくても平気ですので、私のことは秘密にしていただけますか?

小桜

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いつの間にか

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 目が覚めた翌日から、私はさっそく第二治癒室へと戻ることにした。
 
 寮長は「まだ休むように」と甘やかしてくれるけれど、日常生活を送るぶんには影響ないと思うくらい私の身体は回復してきていた。きっと、日々の治癒魔法なら無理せずこなしていけるだろう。
 私が寝込んでいる間は、休日担当の治癒師が代わりに来てくれていたらしいし……改めて、支えてもらっている皆に感謝しなければならないと身に染みた。

 復帰して真っ先に会いに来てくれたのはヨランダさんだった。手紙でも熱い想いをぶつけてくれたヨランダさんは、私の顔を見た途端に安心して涙を流した。
 
「ペルラちゃん、心配したんだよお。刺されそうになったんだって?」
「はい。でも私を庇って、アルビレオ様が刺されてしまって……」
「黒髪の騎士様ならきっと大丈夫だよ。ペルラちゃんが待ってるんだ、すぐに回復してまた元気な顔を見せてくれるよ」
「そうですね、そうだといいのですが……」

 ヨランダさんだけではなく、来る人皆が優しい言葉をかけてくれた。心配する私に、アルビレオ様ならきっと大丈夫だと元気づけてくれる。
 
 私もそう信じたい。けれどアルビレオ様の元気な顔を見るまでは、どうしても安心なんて出来なかった。ヨランダさんによれば、やはりまだ騎士団には顔を出していないらしい。

 私は、たびたび窓の外を見た。完全に無意識でのことだ。けれど、もしかしたらアルビレオ様がふらりと現れるのではないかと思ってしまって。姿を探して、いるはずもなくて落胆して……を繰り返している。
 
 先日の事件があったからか、騎士団本部の前からこちらを見ている騎士様もちらほらいらっしゃる。
 おそらく、騎士団でも私のことが知れ渡ってしまっているのだろう。ドラさんから狙われたのも、刺されたアルビレオ様を治癒したのも、以前ルイス様を救ったのが本当は私であったということも――もう、周知の事実なのではないだろうか。
 お手紙までいただいたし、きっとルイス様のお耳にも届いたに違いない。
 

「ペルラさん、大変だったね」
「ルイス様……」

 そんなことを心配していたら、当のルイス様が第二治癒室までやって来た。
 私は思わず身構えた。けれど、その笑顔はなんらいつもと変わらない。明るく爽やかで、私が恋をしたルイス様だった。
 
「魔力を使い切って気を失ったそうじゃないか。体調はどう?」
「おかげさまで、ずいぶんと回復しました。でも、やはり身体には負担が大きかったみたいで、しばらくお休みをいただきまして……」
「そう、本当によかったよ。まだ病み上がりだから、無理はしないで」

 ルイス様はなんてことの無い話をしながら、ゆっくりと私の隣に腰掛けた。
 
(ルイス様と二人きりだわ……)
 
 以前なら、こんな状況が訪れるなんて信じられなかった。ルイス様は一生、雲の上の人だと思っていたから。
 けれど私は意外にも落ち着いている。隣に、太陽のようなルイス様が座っているというのに。
  
「君を刺そうとしたドラなんだけど。彼女はすぐに地下牢へ収容されたから安心して」
「そうなのですね……教えて下さってありがとうございます。私も知りたかったんです、あのあと、どうなったのか」
 
 マルグリット様のためとはいえ、ドラさんはフェメニー伯爵と禁術に手を染め、さらに王城の敷地内で刃物沙汰まで起こした。
 その罪は深く、いずれ氷に閉ざされた北方の監獄へ送られるということだ。フェメニー伯爵も実際に手は下してないとはいえ罪を問われ、王都を追放されるらしい。

「あの、マルグリット様は……?」
「彼女は、そもそも王族相手に嘘をついていたから……フェメニー伯爵と同じく王都追放となったよ。国境近くにある修道院に行くと言っていたけれど、先日会った時は、妙に清々しい顔をしていたな……」

 マルグリット様の修道院行きは、ご本人みずからが言い出したことであるらしい。フェメニー伯爵について行くという選択肢もあったのに、『一人になりたい』と言い貴族としての生き方を捨てたそうだ。
 私はいつか見た、マルグリット様の素顔を思い出した。ドラさんだけに見せた、やわらかな笑顔だ。

(マルグリット様……)
  
「マルグリットからは謝られてしまったよ。『騙していてごめんなさい』と……でも俺は、彼女に何も言ってやれなかった」 

 そう呟いたルイス様の横顔は、どこか切なげだった。
 きっとまだ心の整理がついていないのだろう。恋人であるマルグリット様に騙されていたなんて、相当なショックだったに違いない。

「マルグリット様……もしかしたら、ずっと謝りたかったのかもしれませんね」
「そうだね。彼女は罪の意識にさいなまれ続けていたんだろうな。俺も今、君に謝りたいと思ってる」
「え?」
「俺を助けてくれたのはペルラさんだったんだろう?」

 ついに出たその言葉に、ドクンと胸が音を立てた。
  
 ルイス様の手紙を受け取った時、確かに覚悟はしたはずだった。なのに、いざこの時を迎えると咄嗟に言葉が出なくなってしまった。 
 ルイス様は、申し訳なさそうにこちらを見ている。謝ることなんて何も無いのに。

「本当にすまなかった。あの嵐の中、必死になって俺を助けてくれたのは君だった。なのに、俺はマルグリットの言葉を信じて、運命の出会いだと浮かれて……本当のことが見えていなかった」
「い、いえ……ルイス様は悪くありません。私は黙ったままその場を立ち去りましたし、マルグリット様が名乗りを上げたのですから。ルイス様が信じてしまうのも仕方がありません」
「……君はそんなふうに思っていたのか」
「はい。私こそ、黙っていて申し訳ありませんでした。出来ればずっと、このことは隠し通しておきたいと望んでいましたので……」
「でも、それでは君が……ペルラさんが報われないじゃないか」

 隣に座るルイス様が、アルビレオ様と同じことを口にする。
 それだけで、私の胸には熱い何かが込み上げてくる。落ち着いて話をしなければと、胸に手を当てて深呼吸をするけれど……目にはどうしても涙が滲んだ。

「アルビレオ様も……そのように仰って下さいました」
「アルビレオも?」
「そうです。アルビレオ様は最初からすべてをご存知でした。私がルイス様を助けたことも、マルグリット様に引け目を感じていたことも、ルイス様への気持ちも……っ全部……」
 
 声が震える。
 私は溢れる感情を抑えられなかった。
 
「私は、ルイス様のことをお慕いしておりました。高望みの、憧れの恋です。でもやはり失恋すれば傷ついてしまって……それを、アルビレオ様はずっと支えて下さっていたのです」
「そうだったのか、アルビレオは……」
「アルビレオ様は、私のことをとても大事にして下さいました。ルイス様の恩人として、友人として、勿体ないくらいに」

 堪えていた涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
 不安が爆発してしまう。

「アルビレオ様が……このまま目を覚まさなかったらどうしようって、ずっと考えてしまって。もう私にはアルビレオ様のいない日々なんて考えられないのに、突然こんなことになってしまうなんて思わなくて……私を庇ったせいで、私のせいで」
「お、落ち着いて、ペルラさん」

 ルイス様は、取り乱す私の背中をぽんぽんとたたいた。
 まるで部下を励ますように、泣いている子供をあやすように――それはアルビレオ様も慕う、優しく頼もしいルイス様の姿だった。
 
「自信を持って。君は俺の命も救ったでしょう?」
「あ……」
「ペルラさんの治癒魔法は素晴らしかったよ。意識がなくても、あの感覚だけは覚えている。温かくて優しくて、死にかけた身体に生きる力をくれた。アルビレオもちゃんと、ペルラさんの力を受け取っている。信じて待とう、あいつのことを」
「……っ、はい!」

 きっとルイス様も、アルビレオ様のことを心配している。けれど私の治癒魔法を受けたルイス様がそう励まして下さるから、少しだけ希望が湧いてきた。
 
 涙でぐしゃぐしゃの私を見て、ルイス様は少しだけ笑った。そして予期せぬことを口にする。

「ははっ、そんなに泣いて……ペルラさんは本当にアルビレオのことが好きなんだね」
「え?」

 ルイス様の言葉に私は耳を疑った。
 私が、アルビレオ様を……好き?
 
「えっ、違うの?」
「わ、私が好きなのはルイス様だったはずです」
「そうかなあ。確かに、以前はそうだったのかもしれないけど……じゃあ、今はどっちと恋人になりたい? 俺と、アルビレオと」
「恋人……!?」

 私は混乱した。どちらも私にとっては恐れ多いお相手だからだ。ルイス様のことを遠くから眺めていた時だって、それ以上を望んでいたわけではなかった。もしもの話であったとしても、恋人だなんて考えられない。

「私は、恋人になりたいわけでは……」
「そうか、じゃあ聞き方を変えよう。ペルラさんはどっちと一緒にいたい?」
「どっちと――」
「ほらね、すぐに分かったでしょう」
 
 そんなの、聞かれるまでもなく心はもう決まっている。けれどその気持ちを改めて自覚したら、せっかく止まっていた涙も再び込み上げてきてしまった。

「で、でも、アルビレオ様には好きな女性がいらっしゃいます。私がこんな風に思っていては迷惑ですから」
「そうか。ペルラさんは気付いてないんだな」 

 ルイス様は意味ありげに笑うけれど、私にはその真意が伝わらない。

「迷惑なんかじゃないよ。ペルラさんのことは」
「ルイス様……」
「自信持ってって、言ったでしょ」

 ルイス様はそう言いながら、私の頭を軽く撫でた。
 励ましてくれる大きな手が心地いい。アルビレオ様も、ルイス様にこのような安心感を抱いていたのだろうか。

(……そうね、アルビレオ様に迷惑と言われるまでは好きでいていいのかもしれない。友人なのだし)

 きっと、また秘密にしていれば大丈夫。そう心に決めたその時、ふいに戸口から視線を感じた。 
 薄く開いた扉から見えた人影――けれどその人影は治癒室に入ることも無く、扉の前を去っていく。

「あれは……!」
「もしかしてあれ、アルビレオじゃなかった?」
 
 ルイス様も気付いたようだ。
 あのシルエットは、確かにアルビレオ様のものだった。
 
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