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6章【王弟と侍従】
25.育ちすぎた想い
しおりを挟む怒りをぶつける直前で横槍を入れられてしまったオーグストが、行き場のない感情を怒声で発する。
「おい、誰だッ!……アレクシス、第三王子殿下…!?」
髪と瞳の色、そして顔の造形がこの国で一番有名なランスロットに似ている事から察したのだろう。
オーグストは明らかに動揺し、コーネリアも「嘘…亡霊王子ですって?」と小さく呟いた。
その遠慮のない発言にユークリッドは眉を顰める。
王弟が目の前に立っているというのに礼をせず、しまいには不敬極まる蔑称を口にするコーネリアには教師としての格を疑うが…
彼女はそもそも子爵家がユークリッドを洗脳し、支配する為に用意した駒に過ぎない。
───その程度の存在にすら、ユークリッドは命以外で抗えなかったのだが。
ギリ、と自分の歯が食いしばる音が漏れてハッとする。
それが聴こえたらしい。アレクシスから「大丈夫」と言わんばかりにもう一度ユークリッドを包む腕に力が入り、その安心感に涙が出そうになるのをグッと堪えた。
…助かったけど、公衆の面前だ。まずは自分が態度を示して見せなければいけない。
そう思ったユークリッドは背中を預けていたアレクシスの胸から一人で立ち、横にずれる仕草を見せると、アレクシスもそっと絡めていた腕を解き、代わりにユークリッドの前に立った。
真っ直ぐに前を見据えるその背中から放たれるプレッシャーは、この空間を完全に支配するほどの威厳に満ちていた。
誰も、何も発言しない静寂の中でアレクシスの声だけが響く。
「──そちらの言い分は全て聞いた。
当主印の悪用は重大な事件だ。すぐに国の調査官を派遣して徹底的に調べると、ランスロット・カリギュラ・ヴァルターン国王陛下の弟である、このアレクシス・セラフィウス・ヴァルターンが約束しよう。
そして…レヴァン侯爵の子息であるユークリッド・レヴァンに暴行を働いた事については、───現行犯だ。」
アレクシスが右手を上げると、入り口から騎士達が雪崩込むように入って来て、あっという間にオーグストとコーネリアを拘束した。
「──待ちなさい!!私は暴行なんて働いていないわ!ッ離して!」
「貴女は随分と子爵家の内部に詳しいようだから、事件の重要参考人だ。…じっくりと、話を聞かなければならない。」
ピシャリと言い放つアレクシスにコーネリアは脱力し、顔を真っ青にしていた。
恐らく、本館に立ち入れないユークリッドが子爵家を訪れたところで為す術はない。
…レヴァン侯爵家の力を使えば可能だろうが、出家前のユークリッドを思えば、どう侯爵家に取り入ったのかは不明でも権力を使いこなすのは不可能だろうと二人はそう目論んだ。
──それだけ、記憶の中のユークリッドはコーネリアという教師を恐れていた。絶対的な存在だと、洗脳を受けていた。
これは、国が介入すると決まった時点で暴かれる程度の策だったのだ。
それなのに真っ当に立ち向かえば対抗出来ないと確信を持ったユークリッドは、この時間で何度も味わった己の力の小ささに悔しさを滲ませた。
アレクシスは堂々とした立ち振る舞いで突然の事態にざわつく店内で騎士に指示を飛ばし、
騒然とする中で振り返ったと思えばユークリッドに頭からすっぽりと覆い隠す外套を被せた。
周囲の音など気にするなと言わんばかりに肩を掴んで引き寄せ、ついにはユークリッドの視界もアレクシスの胸以外は何も見えなくなってしまった。
片腕でユークリッドを抱き締め、もう片方の腕で指示を飛ばし続ける。
「…人前で、こんな事しちゃダメだろ」
小さな声でボソッと零すユークリッドの声は、アレクシス以外に届かない。
「噂になるのは慣れているからね。…ここは空気が悪い。ユークは吸わなくていいよ。」
(…本当に、この王子様は主従関係をどれだけ訴えても聞いてくれない。)
「──連れて行け!一人は先駆けでヴィルヘルム王弟殿下に事の次第の報告と、確保した身柄を引き渡すよう伝令を送るんだ!」
ユークリッドには優しい声色を。周囲には張り上げた声を。
あっという間に場を鎮めたアレクシスは、その後も何食わぬ様子で騎士と話している。
──店の匂いはダメで、自分の匂いは吸っていいのか。
全身が外套で包まれているなら、きっと誰にも見えないだろう。
ユークリッドはそっとアレクシスの服を掴み、息をついた。
───ユークリッドに被せた外套を着て、こっそりと後を追っていたらしいアレクシスが言うには
ユークリッドが髪を掴まれた時点で飛び出したくて仕方なかったが、事の次第を知らねばならないと必死に耐えていたそうだ。
アレクシスの部屋の前には常に二人の騎士が護衛として配置されている。
ユークリッドが不穏な様子で出て行ったところを一人は共に連れて、もう一人には騎士団を集めるよう命令をしていたのでスムーズに拘束出来たとか。
どうして騎士団を集める事態まで想定したのか聞けば、「最近、評判がかなり悪い子爵家の次男が王都に入って貴族連中からユークリッドについて聞き回っていた」──との情報があったと。
「なにも知らなかった…」
「レヴァン侯爵家は横の繋がりも広いからね。情報も入りやすい。
ユークはあまり街に出ないし、会う事はないだろうと思っていたけど…」
苦笑いでそう言うアレクシスに、バツが悪くてお茶を一口飲んだ。
「危険な事だと分かっていて一人で行くな」と護衛すら連れて行かなかった事に、ランスロットとクリストファーからそれぞれ長い説教を受けた。
全てが終わってようやくアレクシスの部屋に戻ったユークリッドは事の経緯をアレクシスから直接聞いているのが現状だ。
いつもは向き合って座っていたが、何故だか今日はソファで隣同士でアレクシスの二の腕にユークリッドの肩が当たるくらい密着している。
アレクシスが小さな声でも聞こえるようにしたいから、と言ってそうなった。
…ユークリッドも、心細くて拒否をする気にもならなかった。
ユークリッドの帰りを待ち構えていたかのように用意されていたティーセットで、アレクシスが淹れたお茶には既に砂糖とミルクが加えられていた。
カップを両手で包み、緊張で冷えきった指を温めながらユークリッドが好きな味のお茶をゆっくりと味わう。
(ほんと甘やかされてるな、俺…)
「──それで、実は私も今まで騎士団の方で兄上と相談をしていたんだ。…本当に、怪我をしていないんだね?」
「ちゃんと医者にチェックされたから…髪が抜けたくらいで今はどこも痛くない、です」
髪が抜けるほど強く掴まれた事を心配するアレクシスに後頭部を撫でられてドキッとしたユークリッドはカップからお茶が零れないように意識するだけで精一杯だ。
───結局、アレクシスに助けて貰えたからなんとかなった。
あの時助けて貰えなかったらきっと…ユークリッドは、今世も諦めてしまっていた。
前世では自分を救う為に。今世では、皆に迷惑をかけたくなくて。
(やっぱり、大嫌いだ。前世の記憶がなかったら、簡単に潰されてた。こんな事が当たり前の世界なんか…)
人の冷たさに触れる度に、前の世界に戻りたいと思う。手の届かない幸せに焦がれる。この世界が、嫌いだと思う。
(でも…城のみんなは、好きだ。)
ヴィルヘルムが全力でユークリッドの無実を晴らしてやると、夜も更けているのに馬に跨って城を出ていったとアレクシスは言った。
医者を連れて来たクリストファーは心配したと、もっと頼れと、本気で叱ってくれた。
ランスロットにも叱られた。ユークリッドが傷付けば、多くの人が傷付くことを知るようにと諭された。
(アレクシスのことは…)
空になったカップを置いて、膝が触れ合う距離のアレクシスに向き合った。アレクシスは何も言わずにユークリッドを見ている。でも、青空の瞳はずっと優しいままだ。
今回の無茶を責めることはせず、やっと包帯が外れたばかりなのにユークリッドに続いて街へと繰り出し、助けてくれた。
(………アレクシスの、ことは…)
街でのアレクシスを見て、きっと、時間はかかるかもしれないけど…周りの目を変えることはもう出来るのだろうなと思った。それだけ堂々としていて、──格好よかった。
(これ以上は、駄目だと自分で線引したのに。)
気持ちがあふれそうになって…蓋をする。
アレクシスの想い人は神子だと自分に何度も言い聞かせる。
自分ではないと、念を押す。
「…今日はありがとうございました。もう、寝ますね。」
「ん…おやすみ、ユーク。 」
「おやすみなさい」
穏やかな顔で見守るアレクシスを見ているだけで、胸が締め付けられた。
もう、潮時だ。これ以上は無理だ。
ユークリッドの中で、アレクシスという存在が大きくなりすぎた。
(───アレクシスの傷を癒すキッカケさえあれば、きっと。)
自室のドアを閉めたユークリッドは、カップで温まった自分の手のひらを静かに見つめた。
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