【本編完結済】神子は二度、姿を現す

江多之折

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6章【王弟と侍従】

26.神子は二度、姿を現す

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アレクシスが剣の鍛錬に行っている早朝。ユークリッドは名前の刻まれていない墓の前に立っていた。


「やっぱり、何度来ても自分が眠ってる墓とか…実感沸かないなぁ…」

一歩一歩近付いて、膝をつく。
毎日手入れをされている墓は苔のひとつも生えていない。時を止めたように綺麗なその墓石に、ユークリッドは手を添えた。
ひんやりとした感覚が手のひらに伝わってくる。


(……一度でいいから、アレクシスを助けたいんだ。)


目を閉じて、思い出す。あの頃の記憶は今でも苦しくなるし、時々目を逸らしたくなる。
前世の神子は、今はユークリッドとして生きている。
本人が死体しか残っていない墓に問いかけたところで返事が来ないことは、誰よりも理解している。

──どれだけの時間をそうしていたか分からない。墓石と手のひらの温度差はとうになくなっていた。



「…よし。」

ユークリッドは立ち上がり、墓場を後にした。






ランスロットの執務室を訪ねると、早朝にも関わらずランスロットは既に仕事をしていた。

「陛下、いつ寝ているんですか?」
「睡眠時間が短くても問題ない体質だ。…出て行くのか」
「はい。神子達の本も全部読み終わったし、アレクシス殿下はきっともう大丈夫です。…大丈夫に、なります。」
「…」

ランスロットは立ち上がり、入口に立っているユークリッドの元へゆっくりと歩み寄ると肩に手を置いた。

「私には、謝る資格も持ち合わせていないが…」
「はは…アレクシスが元気になって、幸せに生きてくれるのが俺の願いです。だから出て行くのも、俺の意志ですよ。」

相変わらず表情が動かないランスロットが、どことなく悲しんでる気がして。
ユークリッドは王城で働いて良かったなと笑顔になった。

「陛下も、ヴィルヘルム殿下から報告されたでしょう?もう、大丈夫ですよ。」

神子はもう、来ませんよ。
ユークリッドの活動期間は短いけれど、同じ志を持ったランスロットに少なからず好感を持っていた。
僅かに揺れた、氷のような瞳をユークリッドは見逃さない。

「……私が頼んだ事ではあるが、私情を挟めばユークリッドがここに残る事も望んでいる。
だが、決めたのなら…私は全てを受け入れよう。」
「…はい。決めました。陛下と話すの、結構楽しかったから惜しいけど」
「ふ」

珍しく、ランスロットの口角が上がった。
「弟を頼んだ」と言い残して机に戻ったランスロットに、最敬礼をしてドアを開く。

「──では、行ってきます!」

ランスロットの執務室を後にして、ヴィルヘルムはロズウェル領に行っているから挨拶出来ないなと残念な気持ちになりつつ
ユークリッドはいつも通っている執務室へと歩いて向かった。




「……そうですか、決めましたか」
「クリスさんには色んな事を教えてもらったし、養子にまでしてもらって、申し訳ないのですが…」

まだ主人の来ていない執務室で、二人の侍従が向き合う。
ユークリッドの言葉を遮るように、クリストファーの手がユークリッドの頭をぽんぽん、と優しく叩いた。

「そうですね…残念ですが、ユークリッドの決めた事を止める気はありません。
その代わり、やる事が全て終わったらレヴァン侯爵家に行きなさい。あそこがユークリッドの帰る所なんですから。」

昨日のお説教を忘れていませんね?と笑うクリストファーに、ちゃんと頼りますとユークリッドも笑って約束をした。
生まれた環境には恵まれなかったが、今やユークリッドの周りは優しい人ばかりだ。



カチャ、と執務室のドアが開いてアレクシスが顔を出す。


「──ユーク、今朝は先に出勤していたんだね。」


少し驚いた顔のアレクシスに侍従達は目配せをし、揃って挨拶をして今日も仕事が始まった。
いつも通り書類を分け、人々の声に寄り添い、時に議論をして
三人だけの執務室は今日も穏やかに時間が過ぎていった。










仕事が終わり、アレクシスと二人で執務室を出る。

いつものように庭師に花を貰い、墓石へと添えるアレクシス。
入り口に立つユークリッドはそれを眺めて…足を踏み出した。

一歩ずつ、一歩ずつ。ゆっくりと歩いて、アレクシスの背中が近くなる。

足音に気付いたアレクシスが振り向こうとしたが、ユークリッドはそれを止めた。



「────ユーク?」
「振り向かないで。…絶対に。」



そんなユークリッドの言葉に、戸惑いながらも従うアレクシス。───だから、王弟と侍従なんだってのに。

小さく笑って、立ち止まった。いつもユークリッドを優先してしまうアレクシスの背後に立ち、後ろから両手を伸ばして青空の瞳を覆い隠す。

アレクシスはなすがまま、抵抗しない。ユークリッドの心はジクジクと痛みを訴える。
これは、ユークリッドになってから、築いた信頼関係だ。視界を塞がれる事になにも抵抗がない。アレクシスに信じてもらえている事実。
──神子には、出来なかった事だ。


それなのに自分はどこまでも神子で。アレクシスも毎日神子だけを見ていて。


(…いや。嫉妬は、後で。一人になってから受け止めよう。)

アレクシスの睫毛が手のひらに当たる。アレクシスの肌に触れただけで、緊張で固まっていた身体の力が抜けていく。

(───いつから、こんなに好きだったんだろう。いつからアレクシスに…)

それから先の感情は、例え心の中だろうと口にしてはいけない想い。
いつの間にか大きく育ってしまった想いを捨てるのはとても勇気がいる。でも、アレクシスの未来の為なら…
ずっと想ってくれていた、大切な人の為なら。


───自分はユークリッドであり、神子だから。


自分にしか出来ない事を、するんだ。


「…………今だけ。この1回しか、現れない。──もう二度と、現れないから」
「ユーク?なにをしようと…」


静かに、ゆっくりと呼吸を整える。
そうして覚悟を決めて、───口を開いた。





「俺は、ユークじゃない。───神子の亡霊だ。」



息を呑むアレクシス。
ユークリッド…神子は、固まったアレクシスに構わず続ける。

「王子。毎日、俺の元に通ってくれていた王子様。あの時の俺は、貴方をほんの僅かも信頼していなかった。信用していなかった。」
「…………知って、います」

小さく、震えた声が返事する。

「でも、ほんの少しだけ…長い人生では、囁かな時間だけど。
神子が消えた未来の貴方を覗き見することが出来ました。貴方の想いを、感じる事が出来ました。

……貴方の恋心を、知りました。」

「ッ……」

ユークリッドの手のひらが濡れる。いつもならハンカチを当てて、拭ってあげるけれど。
何があっても、拭えない。これからする事は、アレクシスを傷付けるためにする事だから。

「気付かなくてごめんなさい。死んでしまって、ごめんなさい。
貴方の純粋な恋心を、踏み躙って、ごめんなさい。」
「ち、が…神子は、神子様は…」

優しい王子様は、消して神子を責めないから。アレクシスの言いたいこと、わかる。


「一途な貴方を見続けて思いました。愛しいと、…嬉しいと。
この大嫌いな世界で、ほんの少しだけでも、貴方の存在に、救われていた神子は居ました。
……それでも俺は、死んでしまった。それしかないと、思ってた。」


両手では抑えきれず、二人の触れ合った皮膚の間から温かい水がぼたぼたと落ち、アレクシスの顎を伝う。
考えて考えて、決めた事をする。俺はアレクシスを、傷付ける。その一心で。


「──貴方の恋は、叶いません。あの日、俺が死んで終わったんです。
この世界ここに残るのは、魂のない空っぽの神子だけ。…それさえもいずれは土に還ります。無くなるんです。

この世から、神子の全ては無くなるんです。」


それはとても残酷で、変えようのない事実。


「わか、てます。貴方が死んで、しまったことは私が、誰よりも」
「…そうだな。毎日花を届けてくれた王子なら、俺を想ってくれていた王子なら…誰よりも重く、俺の死を感じたはずだ。
……だから、終わり。お別れするために、化けて出たんだ。」


喉を詰まらせながらも必死に訴えるアレクシスを、死はどこまでも拒絶する。
どこまでも、いつまで投げても、その愛は繋がらないと知らしめる。

「っ……みこ、私のっ愛しい、神子様!私は貴方が好きなんです。大好きなんです。ッ…愛してしまったんです…!」

嗚咽混じりの愛の言葉。それはあまりにも純粋で、真っ直ぐで。

──知ってるよ。自分を壊す程に愛してくれた王子様。


自分の声が震えないよう、必死に息を止め、歯を食いしばり、神子としてアレクシスへ告げる。

「…愛しいよ、王子。大好きだ。
貴方が共に居た日々の大切さを、貴方が与えた愛を、全てを、知るのが遅すぎた。
それでもずっと想ってくれたから、受け止めること、出来たから!
だから……俺に、持って逝かせて下さい。その悲しい恋を、全て下さい。」



───光の魔法よ、どうか。アレクシスの心の傷を、癒してくれますように。



神子になった時から、初めて祈った。初めて自分の意思で癒したいと願った。
その相手は、アレクシスだった。アレクシスしか居なかった。


手のひらで隠された青空に、光が灯った。


力を感じた神子はアレクシスの目から手を放し、全てをアレクシスに与えて欲しいと心から願った。

──全身から光が溢れ、光はそのままアレクシスを包み込む。


「…………あた、た、かい」


後ろ姿しか見えないアレクシスの呆然とした呟きに、背後に立っていた神子は良かったと安堵していた。

──熱の中で見た夢が教えてくれた。神子だった少年に残された僅かな光。神子だという証明の光の魔法。

前国王には毎日のように使わされたのに、アレクシスに使ったのはこれが初めてで、そしてこれが最後だと理解した。

(あぁ、ほんとだ。光の魔法、なくなった…)

感覚で分かった。光が消えたんだと。身体の中の熱が解けて、消えていく。
身体が重い。力が入りにくい。……でも今は、もう少し頑張らなければ。
残った力を全て使うつもりで、力いっぱい、震える背中に抱き着いた。本当は抱き締めたかったけど、神子の身体が小さすぎた。
ほんと、大きくなりすぎだよ。

ユークリッドになってから覚えた、大好きな香りが鼻をくすぐる。かっこよくて、良い香りして、大人になった優しい王子様。…嫌だな。この後の別れがまた辛くなった。


(これで最後。バイバイ、神子が大好きな王子様。)



「───神子は、もういない。
アレクシスの恋は、実らない。
全部、終わったんだよ。アレクシス」




そう言い切って、脱力した。
ずるりと横に流れて倒れると、気付いたアレクシスが慌ててユークリッドの身体を抱き起こす。

「ユーク…!」
「ごめ、大丈夫…疲れただけ……殿下、殿下はもう、大丈夫ですよ。」
 
涙でぐちゃぐちゃになったアレクシスの顔に、ハンカチを当てる。
腕まで重いなと思いながら、ユークリッドは丁寧に零れ落ちる涙を拭った。

「もう、大丈夫だから。神子亡霊が、想いは持って行ったから、……ちゃんと、前向いて下さいね」
「ッ…」

すぐには難しいかもしれないけど、キッカケは与えられたと思うから。
ユークリッドは、安心させようと笑みを作ってアレクシスに告げた。

「私も、王城出ますから。居なくなりますから…いつか、時々は思い出して下さい。それが、殿下の侍従であるユークリッドの願いです」
「ユーク!」

(アレクシスに、恋してた。そんな俺の想いも、終わりだ…)

全てを伝え終わり、安心したように気を失ったユークリッドを抱き締めて、残されたアレクシスは一人呟いた。



「居なくなるなんて…許せるわけないだろ」



───神子に対する想いとは別の想いに、アレクシスはもうとっくに気がついていた。
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