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6章【王弟と侍従】
27.エピローグ
しおりを挟む───次に目を開けた時。視界は暗く、ユークリッドは一人で横たわっていた。
熱はないが、身体は少し重いまま。
目を覚ましたユークリッドは、眠っていたのが以前熱を出した時に借りたベッドの上だとすぐに気が付いた。
つまり、アレクシスのベッドだ。
「──…」
ぼんやりとした思考のまま左右へと頭を向ける。ベッドサイドには椅子に座ったアレクシスが眠っていた。
(ここまで消耗するのは予想外だったな…どれくらい気を失ってたんだろ…とにかく、行かなくちゃ。)
静かに布団を剥がし、四つん這いでアレクシスが眠る所は避けてベッドの端に移動しようとしていると、不意に足を掴まれてユークリッドの心臓は縮こまる。
「わぁあ!あ、アレクシス、殿下っ!?」
あっという間にベッドに上がったアレクシスにより仰向けに転がされ、覆い被された。
ベッドに突き立てられた腕に閉じ込められているユークリッドはびっくりしすぎて変な声が出てしまったが、
そんな事を言える雰囲気でもないとバクバクと鼓動する心臓を抑えながらアレクシスと向き合う。
いつもの青空が、暗い部屋では見えないのが不安になる。
「……逃がさない。」
「殿下!……殿下、その、ちゃんと報告しなくてすみません。クリスさんにはもう辞めるって伝えていて…」
「許さない。…私から離れて行く事を、許さない。」
何を言おうとも動かないと訴えるようで、真剣な面持ちのアレクシスにユークリッドは言葉を詰まらせた。
(なんでそんな、怒ってるみたいな、つらそうな顔…)
そんな顔にさせたくないから、アレクシスに立ち直るキッカケを用意したつもりなのに。
なんでそんなに苦しんでいるんだと、ユークリッドは眉を下げた。
「……私の意思は、墓場で、伝えました。」
「神子の想いは伝わった。…私の想いも、あの世に連れて行ってもらえた。でもそれは…あの世に行ったのは、ユークリッドじゃない。そうだろう?」
「…」
そうだとしか言えないけれど。
アレクシスの心はずっと神子の所に、あの墓にあったから。だからこそ、アレクシスにちゃんと失恋させた。
解放されて、これからちゃんと前を向けるように。
アレクシスの一途な想いに向き合った。自分もちゃんと、あそこで失恋をしたつもりだ。だから去る。アレクシスの前から消える。
アレクシスの青空の瞳が、見えない。
それが少し寂しくて、責められている空気が気まずくて。サッと目を逸らすとアレクシスから深い溜め息が出た。
「ユーク、お願いだ。私の元から消えないでくれ…」
「……出来ません。」
これは、アレクシスのせいじゃない。ユークリッド自身の…逃げだ。
神子を通してアレクシスの愛を受け取って──許せなかったんだ。
自分を見てくれないことを、神子じゃない、ユークリッドを好きにならない事を。
そんな、侍従には許されない想いを抱えてしまった事に耐えられなくなった。だから逃げたい。
逃げないと、もう隠していられないほどに気持ちが大きくなっているから。
「どうしても駄目なのか…」
弱々しく呟かれるアレクシスの声に胸が痛む。
失恋しても、愛されなくても、それでも平気でいられるならユークリッドだってそうしたい。
尚も納得してくれないアレクシスに、ユークリッドはバツが悪そうに口を尖らせる。
「……だって、俺はもう神子じゃないから。神子じゃないと、好きになってくれないじゃないですか」
痛いのは嫌だ。辛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。
そうしてすぐに逃げ出そうとする心が、堰を切ったようにアレクシスへの気持ちをさらけ出した。
目を合わせないまま、ユークリッドの唇は動き続ける。
「…俺、ほんとは侍従失格なんです。
殿下に名前を呼ばれる度に嬉しくなって、殿下に触れられると甘えたくなる。そんな侍従、許されないです。
いつも私情だらけで…こんな、こんな主従関係……ッ!」
いつの間にか座っていたアレクシスに両肩を掴まれ、ユークリッドの小さな上体はいとも簡単に起こされた。
寝ている時には流れなかった涙が頬を伝い、重力に従って落ちていく。
ベッドの上で向き合って座る、なんとも格好のつかない状況でアレクシスは至って真剣な顔を向けていた。
「ユークリッドが、大好きだ。」
「……俺のとは違うじゃないですか」
「いいや。きっと違わない」
キッパリと言い切るアレクシスに、ユークリッドは腹が立った。
毎日墓に通い、墓石を撫でて、抱き締めて…ユークリッドに言えない事だって墓には話していたじゃないか。
それはユークリッドに向かっていない感情だ。
「…違うって、言ってるじゃん。俺、毎日見てたし、アレクシスの気持ちが墓に向いてるの」
「ユーク、それは…」
「っだから!殿下に…アレクシスに!俺の気持ちを軽んじられたくない!
主従の好きじゃないし、仕事相手でも、友人でもないんだ!
だからもう一緒に居るのは無理なんだって…許してよ」
子供のように駄々をこねる。
何を言われても信じないと耳を塞ぎたくなる。それでもアレクシスは表情を崩さなかった。
「軽んじていないよ。
…明確に、いつからこう思っていたのか自分でも分からないが…私はユークリッドに恋しているんだ。
神子じゃない、ユークリッドが好きなんだ。」
「……」
普段から真面目なアレクシスは、こんな事で嘘や冗談を言わない事はわかっている。
それでも信じきれないのは、ユークリッドの我儘だ。
唇を尖らせて、負け惜しみのように悪態をつく。
「一度に二人も好きになってたのかよ、…浮気者」
「……返す言葉もないが…これからの生涯、ユークリッド一人を愛すると誓うよ。それでも嫌かな?」
二人と言いつつ厳密には同一人物だが。無茶苦茶な文句なのにそれを反省して誓いを立てるアレクシスに、ようやくユークリッドも強ばっていた身体から力が抜けて、少し笑顔になれた。
本当に、この王子様はいつだって真っ直ぐだ。
「…それ、本当に信じていい?」
「信じてほしい。私は老いて死ぬまでユークリッドと共に居たい。同僚じゃなくて恋人として、家族として。」
「……ふはっ、それじゃなんか、結婚みたいだ。
生涯って言ったって俺達の一生はまだ折り返しにもきてないのに。気が早いよ、アレクシス」
笑いながら、尚も涙を流しながら言い放つユークリッドに、アレクシスの心は震えていた。
──ユークリッドは気付いているだろうか。自分がとても長く、生涯を見据えている事を…未来を向いているという事を。
神子に持たせることが出来なかった未来へ向かう希望。
アレクシスにとってそれは、救いそのものだということに。…いいや、気付いていないのだろう。
「え…また泣いてるし。あれ?ハンカチ持ってなかったっけ…」
「結婚、か……しよう、ユーク。私と結婚しよう。この一生が終わるまで、私達は一緒だ。」
涙が溢れることを気にも止めずにされた突然のプロポーズに、ポケットを探っていたユークリッドも固まる。
次の瞬間にはアレクシスに負けないくらい更にぼたぼたと涙を流してしまった。
「…なぁ、これって夢じゃない?」
「夢じゃないよ。」
「だってそんな…アレクシスが、俺を、さぁ」
涙を流すほど喜んでも、ユークリッドは照れて言葉が出ない。
そんな姿にアレクシスはふと笑って、もぞもぞと行き場をなくした身体を抱き締めた。ユークリッドの肩に天気雨が降り注ぐ。
「愛しているよ、ユークリッド。私はユークリッドを愛している。
…言ってなかったけど、ユークのその喋り方も気を許してくれている感じがして大好きだよ。」
「アレク…」
ユークリッドにとって口にするには恥ずかしい言葉をサラリと言ってのけるアレクシスは、やっぱり王子様そのものだなと思った。
こういう感覚は、まだ少し高校生だった自分が強く出ているのかもしれない。照れくさくて仕方ない。
でも、返したい。与えられた想いが、一方通行にならないように。
───今なら、部屋も暗くて顔色がわからないから。
少し離して、再び向かい合う。
ユークリッドは、沸騰するように熱い顔を目の前の綺麗な顔に近付けて、精一杯の想いを言葉に乗せた。
「俺も、アレクシスを愛してる。───大好きだ。」
頬を光らせる二人の涙が、混ざり合った。
─epilogue─
季節が巡り、幾つもの冬を越えて───また春が訪れた。
カラフルな髪色が行き交う街を、いつか誰かが「花畑のようだ」と言っていた。
花のように人々は笑い合い、共に生きている。
そんな賑やかな街で、小走りで教会に向かう少年がいた。
───かつて、この教会には泉があったらしい。
老朽化が進み、綺麗に建て替えた教会も最初こそは盛り上がったが、時が流れていくうちにただの日常の一部と成り果てた。
まばらに訪れる人々が、今日も健やかでいられますようにと祈りを捧げ、去って行く。
紅茶にミルクを落としたような髪色の少年が、駆け足で教会に立ち入り、形式だけの祈りを捧げ、そしてまた駆け足で去って行った。
「お待たせ!──ねぇ、神様って本当にいるのかな?」
「さぁ…信じる者は救われる、なんでしょ?」
「うちの親は毎日祈りに行けって言うけど、面倒だなぁ」
「ならやったフリして帰れば」
「えー?」
ゆっくりと歩いて後を追っていた黒い髪の少年はどうでも良さそうに答えて、それにクスクスと笑いながら二人並んで街へと歩き出した。
「──アレク、どうした?」
「…ううん。なんだか少し、似てる人に会った気がしただけ」
「ふーん。…ほら、ちゃんとフード被って髪隠せって。その金髪目立つんだから」
「目立ちたくないなら城の書庫で探せば良かったのに…」
「自分で手に取って自分の本として所有するからいいんだよ。…それに、たまにはデート、とか…したいじゃん」
「…ふふ、ユーク、耳まで真っ赤だ」
「………先に行くから。」
早歩きで先を行こうとするも、小柄なユークリッドは大して距離を離せずにアッサリと手を繋がれた。
「からかうつもりはなかった、すまないユーク。一緒に歩こう。…私はその方が幸せだな」
「…ずるいぞ。──あ、なんか歌が聴こえる。吟遊詩人きてるんじゃない?」
「行ってみようか。今はどんな歌が流行ってるか市場調査しないと」
それ、職業病って言うんだぞ。そうユークリッドが指摘して二人で笑い合い、並んで歩いた。
第三王子は相変わらず山のように届く嘆願書と向き合う毎日だ。
人々に寄り添う優しい王子と、その伴侶が現場の視察に訪れる事はしばしばあるという。
彼等の仲睦まじい姿は市民の間で評判になっていた。
───いつか、王子に石を投げつけて怪我をさせた罰として、孤児院で1ヶ月の奉仕作業を命じられた子供が成人した年に城の庭師へと弟子入りした。
毎日丹念に植物の世話をしているようで、城の一角にある墓場は殺風景だった景色が
いつのまにか静かに石が並ぶ穏やかな花畑になっていた。
使用人達が「あ、もうあれが咲いてるのか…そろそろ季節が変わるね」と雑談をしながら花畑の隣を通りすぎて行く。
それを離れた所で眺めている庭師のじいさんは「ようやっと引退できるかの」と笑って弟子の仕事を褒めていた。
綺麗に咲き乱れる花々に囲まれ、ひとつひとつ丁寧に手入れをする、かつて向こう見ずな正義感で石を投げた少年だった青年は、今日もよく晴れているなと青空を仰ぎ見る。
名前のない墓石には、花と共に桜型のブローチが添えられていた。
───神子はもう二度と、姿を現さない。
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