旦那様はとても一途です。

りつ

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アルベルトのお悩み相談

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「クラウディアには、何か悩みはないのかい」

 片づけなければならない用事もすべてきれいさっぱり済ませ、久しぶりに羽を伸ばせる休息日。

 何をしようか。読書がいいだろうか。それとも少しは上達したように思えた刺繍か。あるいは何もしないで休んでいようかとあれこれ考えを巡らせていた時、私の旦那様は唐突にそう言った。

 今度はいったい何を言いだすのだろうかと私は彼へと視線を向ける。彼はどうなんだと実に真剣であった。

「悩みですか? 特にありませんわ」

 私はあっさりと結論を出した。少し前まではアルベルトとリーゼロッテ嬢のことが気がかりだったが、それも無事に解決した。悩み事など、何もない。

 だがアルベルトは、私の答えがお気に召さなかったようである。

「何もない、だと?」
「ええ、ございませんわ」

 彼は今度は眉間に皺をしっかりと寄せて、気に入らないと訴えた。本当に表情豊かな人である。

「そんなはずはないだろう。何かあるはずだ」
「そんなこと言われましても……」

 本当に何もないのだ。

「本当に何でもいいんだ。不安なことや、気がかりなこと。トラウマになったことでもいい!」

 トラウマって……。
 必死な様子で教えてくれと頼む夫に、私もできれば期待に応えてやりたいが、トラウマになるような出来事はなかった。

「旦那様。私には、本当に悩みはございませんわ。不安なことも、苦しいと思うようなことも。ましてトラウマになったような幼少時代の思い出も」

「そんな……」

 アルベルトが、まさに絶望の淵に突き落とされたような真っ青な表情になった。いったいどうしてそこまで、と私にはただただ疑問でしかない。
 もしかして私の弱点でも突き止めようとしているのだろうか。

「強いて述べるなら……」
「強いて述べるなら?!」

 がばりと顔を上げ、固唾を呑んで私の言葉を待っている。

「今、あなたがこうして不幸のどん底にいることが、私には気がかりですわ」
「私のことではないかっ!」

 ガクッと肩を落としたアルベルトは、やがてすまないと力なく謝った。そして反省するように私から離れると、しょぼしょぼと部屋を出ていこうとする。

「いえ、旦那様。待って下さい。勝手に自己完結しないでください。きちんと理由を聞かせて下さい!」

 私は慌てて旦那様を呼び戻したのだった。

***

「私はあなたに情けないところをたくさん見せた」
「ええ、その通りですね」

 事実なので頷いたのだが、アルベルトはうっと苦しそうな顔をした。だがすぐに取り直して、コホンと咳払いをする。
 前にもこんなやり取りがあった気がする。

「でも、クラウディアのおかげで無事に立ち直ることができた。感謝している」
「そんな、結局はあなたの頑張りのおかげですわ」

 周囲がどれだけ優しく励まそうが、結局は本人が自分の意志で立ち直ろうとしない限り、何の意味もないのだ。
 だから失恋の痛みから克服できたのは、間違いなくアルベルトの力だ。

「いいや、そんなことはない。あなたのおかげだ」
「でしたら、私だけでなく、この屋敷のみんなのおかげですわ」

 アルベルトをどう立ち直らせようかと相談に乗ってくれたのは、彼に長年仕える執事やメイドたちだった。

 彼らはアルベルトの趣味や、食事の好みなど、私が知らないことを教えてくれて、一緒にアルベルトを元気づけようとした、主人思いの大変よくできた使用人たちだ。

 決して私だけの功績ではない。

「……そうだな。本当にそうだ」
「ええ。ですから彼らにもお礼を」

 ああ、とアルベルトは目を細めた。

 しばらく私たちは、深い感動に包まれた。
 人は一人では生きていくことはできない。誰かの支えあってこそだ。上に立つ私たちは、それを肝に銘じておかなければならない。

「……いやっ、それはそうなのだが!」
「アルベルト。いったい何がご不満なのですか」

 せっかくいい話で終わりそうだったのに。
 私が少し呆れた顏をすると、アルベルトもいやいやと異議を唱えた。

「あなたがいつも私の言葉をあらぬ方向へ持っていくからだろう! いや、今はこんなことが言いたいのではなくて、ああ、つまり!」

 アルベルトはガタンと立ち上がると、やけくそのように叫んだ

「私があなたに助けられたように、私もあなたの力になりたいと思ったんだ!」
「私の力に……」

 予期せぬ告白に、私は驚く。

「そうだ。あなたの長年の悩みでも聞いて、私が優しい言葉で慰める。そうすればあなたも、私を頼もしく思い、その、好意を抱いてくれるだろうと……」

 ははあ。そういうことだったのか。

「私はてっきり報復のつもりであれこれ聞いてくるのかと思いましたわ」
「私はそんなことしないっ!」

 何で私があなたにそんなことをするんだ! とアルベルトはぷんすか腹を立てた。

「だってトラウマになった出来事なんて聞いてくるんですもの」

 でも、まあ、たしかにアルベルトは裏で弱点を探るタイプではないだろう。今まで一緒に暮らしてきて、彼はそんな器用な性格ではないとわかった。

 最初の頃は私にも直接嫌味も言っていたし、不満があるならはっきり述べる人だ。

「すみません、アルベルト。私つい、疑ってしまいましたわ」
「……いや、私も最初の方は大人げなかったからな」

 コホン、とアルベルトは咳払いすると話を元に戻した。

「それで、何かないのか?」
「ありませんわ」
「本当に、何もないのか?」

 アルベルトの食い入るような表情に、私は困ったように微笑んだ。できることなら彼の期待に応えてやりたい。

「ですが、本当にありませんもの」
「……あなたは、本当に逞しいんだな」

 寂しそうにアルベルトは笑った。そんな表情をされると、こちらが悪い気がしてくる。
 落ち込む彼のそばに駆け寄り、私はそっと手を握った。

「アルベルト。そう気を落とさないで下さい」

 だが、と目を伏せる夫に、私はほがらかに言った。

「私たちはまだ夫婦となって歩き始めたばかりではないですか。苦労も困難も、まだこれからですわ」

 そう、本当にこれからなのだ。お互いを認め、私たちはようやく夫婦としての自覚を持った。ようやくスタートラインに立ったとも言える。

「この先私が苦労する時、頼りになるのは夫であるあなたなのです。支えてくれますか、アルベルト?」

「もちろんだとも、クラウディア。きみのためならたとえ火の中水の中、どんな所へだって駆けつけてみせよう」

 私はいったいどんな危険な目に晒されるのだ、と思ったが、口には出さずにっこりと微笑んだ。

「頼もしい限りですわ」
「クラウディア……」

 アルベルトの悩みも無事に解決し、私たちは満たされた気持ちで自然と互いに見つめ合う。
 夫の端正な顔がゆっくりと近づいてきて───

「やあ、クラウディア、アルベルト! 今日も遊びに来たよ!」

 フランツの訪問の挨拶が、部屋いっぱいに響き渡った。

「あ、お邪魔だった?」

 この後アルベルトの怒声が響くのも、いつも通りのことであった。


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