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フランツの思い出
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クラウディアと出会ったのはまだ互いの背丈が同じくらいの時。母親同士のお茶会に子どもがついて行って、井戸端会議に花を咲かせている母親と、子どもは子ども同士で遊ぼうっていうごくありふれた流れで僕とクラウディアは引き合わされた。
と言っても性別が違ったので、自然とその中でも男の子は男の子、女の子は女の子同士で別れて遊ぶことになったのでそこで彼女のことを意識することはなかった。
ところで僕の顔立ちは母親譲りで、少年の頃はまさに天使のようだった。別に自慢したいわけじゃない。何が言いたいかっていうと、女の子とよく間違えられて友人たちに揶揄いの対象とされていたということだ。
その時も、そうだったから。
「やーい。フランツ。お前、女の子みたいな顔してるなあ!」
女の子たちが家の中で遊んでいるので、僕たちは外で遊ぼうという流れになった。ただその一人が僕の顔にケチをつけ始めた。同じ貴族の子なのにどうしてこんな品がないのか。年の離れた兄を二人持つ僕は同い年の彼らがひどく幼稚に見えた。
「スカートでも履いて、あいつらにみたいにおめかししたらどうだ?」
はっきり言ってとても面倒くさい。どっか行って欲しい。
「おい! なんとか言えよ!」
僕がそう思っても、彼らはますます横暴に言葉を重ねてくるだけだった。むしろ反応しない僕に腹を立てたようでさらなる暴言を吐き散らしてくる。みっともないったらありゃしない。
「女の子だから怖くて泣いちゃいそうなんじゃねえの?」
いっそわざと泣き喚いてやろうかと僕が思いかけた時、朗らかな声が響き渡った。
「まあ、なんて素敵な人なんでしょう!」
振り返ってみると目鼻立ちがはっきりとした、質素なドレスを着た女の子が僕のことをキラキラとした目で見つめていた。彼女は何の迷いもなく、僕の方へと歩み寄ってくる。他の男の子には見向きもせず、少女は僕だけを見つめ、僕のすぐ目の前で立ち止まった。
そしてそのまま、まるでおとぎ話に出てくる王子様のようにその場に跪いたのだった。周囲はもちろん、僕自身もポカンとした顔で目の前の少女を見つめた。
小首を傾げ、少女はよく通る声で僕に言ったのだ。
「あなたは私が今まで出会った中で、一番美しく、魅力的な人です。どうか私と一曲踊ってくれませんか?」
なぜ敬語なのか。なぜ自分は女性を口説くように褒められているのか。なぜ初対面でダンスの誘いを受けているのか。頭の中が疑問符で埋め尽くされそうな中、僕は少女の目が悪戯っぽく光ったのに気づいた。
「……ええ。喜んでその誘い、お受け致します」
差し出された小さな手をそっと握り、僕は少女を引き上げていた。同じくらいの体格なので少しふらついてしまったが、無事受け止めることができた。間近で見る少女の瞳はきらきらと輝いており、その輝きに吸い込まれてしまいそうだった。
「心配なさらないで。どうか私に身を預けて」
少女の声は自信に満ちあふれたものだった。大丈夫。きっと上手くいく。怖がらないで、うんと楽しみましょう。不思議だった。初対面で、彼女のことなんて少しも知らなかったのに。
気づいたら僕は信頼の証にとびっきりの笑みで返し、少女のエスコートに身を預けていた。
今振り返っても、それは完璧な踊りではなかった。僕も彼女も何度も互いの足を踏んづけてしまったし、支えきれずふらついてしまいそうになった。何より男女の配役が逆だった。
それでも少女は、クラウディアのエスコートは間違いなく完璧だった。だって僕を不快な気持ちから脱却させ、うんと愉快な気持ちにさせたのだから。
「お上手ですね、お嬢さん」
「ええ、あなたこそ」
僕たち二人はにこにこ笑みを浮かべたまま、踊り続けた。僕のことを女みたいだと揶揄った少年らを置いてけぼりにして。彼らは僕とクラウディアの突然の踊りに目を丸くしていたが、我に返ったように声を荒げた。
「な、何突然踊り始めてんだよ!」
「そうだよ! しかも女が男を誘って! 変だぞ! お前ら!」
クラウディアはちらりと少年らへと目をやる。一瞬怯む彼ら。彼女は何て言うのだろうと僕はドキドキしていた。それは誕生日プレゼントにもらった包みを剥がして中にいったい何が入っているのだろうと思う気持ちによく似ていた。
「あら、そう。それがどうかして?」
何か問題でもある? と言っている彼女の表情に、僕は堪えきれず吹き出した。クラウディアはしれっとした顔のままなおも少年たちに言った。
「踊りを女から誘ってはいけないという法律でもあるのかしら? でしたらぜひとも私に教えて下さいな」
うっ、と言葉に詰まる彼らにクラウディアはにっこりと微笑んだ。
「この人はとても綺麗な方よ。そんな人に意地悪するなんて、まずはあなたたちの常識を見直した方がいいと思うわ」
どこまでもばっさりと相手の心に切り込んでいく物言いに少年たちはもうたじたじとなっていた。そんな彼らの様子に僕はふと面白いことを思いついて、彼女の耳元へ口を寄せる。
「お嬢さん。きっと彼らは寂しいんですよ。自分たちだけ踊りの輪に入ることができなくて」
僕の言葉に、クラウディアは大げさにはっとし、なる程と合点がいったように頷いた。
「ごめんなさい。まったく気づかなかったわ」
僕たちは自然と進行方向を変え、立ち竦む少年たちの方へと突き進んでいった。
「さあ、遠慮しないであなたたちも踊りましょう」
「そうだよ。とっても楽しいよ」
まるで口裏でも合わせていたかのような僕とクラウディアの息ぴったりの様子は、少年たちに恐怖を与えたようだ。顔を引き攣らせ、一歩、二歩、くるりと背を向けた少年たち。
「お、お前ら変だ! い、いきなり踊り出して、とんだ変人だ!」
「うわ~。お母様ああああ」
そして捨て台詞を残しつつ、彼らは全速力でどこかへ行ってしまった。残された僕たちはしばらくその後ろ姿を眺めていたけれど、やがて互いに顔を見合わせて笑い始めた。
「あははっ。今のやつらの顔、見たかい?」
「ふふっ。ええ。この目でばっちりと見たわ」
可笑しくてたまらない。人は笑い過ぎると涙が出てくるというけど、本当だった。
「本当っ、普通初対面であんな台詞言わないよ!」
「そういうあなたこそ。唖然としている彼らが踊りたがっているなんて思わないわ!」
僕たち二人は大真面目に顔を見合わせて、またもや堪えきれないように吹き出した。僕の声と彼女の声。どちらもよく晴れた青空に響き渡って、驚いた太陽が眩しく輝いていた。
その時のクラウディアの笑顔は今でもよく覚えている。日の光に負けないくらいきらきらと輝いて、とってもきれいで、とびっきり可愛かった。
「僕はフランツ。よろしくね」
そんな彼女のことをもっとよく知りたいと自分の名を名乗っていた。というか自己紹介よりも先に衝撃的な出会いのせいで、すっかり忘れていた。
「私はクラウディアよ。こちらこそよろしく」
さっぱりした挨拶。でも逆に彼女らしいと好ましく思った。
「きみ。面白いねえ」
「ありがとう」
目を細め、誇らしげに彼女は言った。
「でも男の子相手によくあれだけはっきり言えたね。怖くなかった?」
普通の女の子だったらおかしいと思っても物怖じして黙ってしまうか、言葉に窮してしまうと思うのだけど。
「私、男だからとか女だからこうあるべきって考えすごく遅れていると思うの。だからあの子たちの間違いを正しただけ」
「間違いって?」
「あなたが女の子に見間違われるほど綺麗な顔をしているのに、それを褒め称えるよりも揶揄うなんて言語道断ってこと」
けろりとした表情でクラウディアは答えた。そんな彼女に僕はますます興味が惹かれた。
「すごいや。かっこいいね」
「ふふ。ありがとう。あなたも可愛いわよ」
またさっきの続き? と肩を竦めれば彼女はくすくすと笑いを噛み殺した。可愛いと言われるのは慣れているつもりだったけれど、彼女にそう言われるのはあまり嬉しくはなかった。僕を揶揄う彼女の方がずっと可愛いと思ったし、それに――
「かっこいいって、できればきみには言って欲しいな」
「それはこれからのあなたしだいよ」
なるほど。これは手強そうだ。家庭教師の先生が意地悪して出す応用問題よりもずっと。
けれど僕はその難問になぜか挑戦したくてたまらなくなった。きっと答えを出すより、答えを見つける過程がうんと楽しいことに気づいていたからだ。
彼女といれば、僕の人生は一生退屈とは無縁の愉快で楽しいものになるだろう。そんな確信ともいえる予感があった。
「いいよ。僕がどれほどかっこいいのか、きみに見せてあげるよ」
胸に手をあてて、誓うように宣言する。クラウディアは期待しているわ、って女王様のように言ったのだった。
と言っても性別が違ったので、自然とその中でも男の子は男の子、女の子は女の子同士で別れて遊ぶことになったのでそこで彼女のことを意識することはなかった。
ところで僕の顔立ちは母親譲りで、少年の頃はまさに天使のようだった。別に自慢したいわけじゃない。何が言いたいかっていうと、女の子とよく間違えられて友人たちに揶揄いの対象とされていたということだ。
その時も、そうだったから。
「やーい。フランツ。お前、女の子みたいな顔してるなあ!」
女の子たちが家の中で遊んでいるので、僕たちは外で遊ぼうという流れになった。ただその一人が僕の顔にケチをつけ始めた。同じ貴族の子なのにどうしてこんな品がないのか。年の離れた兄を二人持つ僕は同い年の彼らがひどく幼稚に見えた。
「スカートでも履いて、あいつらにみたいにおめかししたらどうだ?」
はっきり言ってとても面倒くさい。どっか行って欲しい。
「おい! なんとか言えよ!」
僕がそう思っても、彼らはますます横暴に言葉を重ねてくるだけだった。むしろ反応しない僕に腹を立てたようでさらなる暴言を吐き散らしてくる。みっともないったらありゃしない。
「女の子だから怖くて泣いちゃいそうなんじゃねえの?」
いっそわざと泣き喚いてやろうかと僕が思いかけた時、朗らかな声が響き渡った。
「まあ、なんて素敵な人なんでしょう!」
振り返ってみると目鼻立ちがはっきりとした、質素なドレスを着た女の子が僕のことをキラキラとした目で見つめていた。彼女は何の迷いもなく、僕の方へと歩み寄ってくる。他の男の子には見向きもせず、少女は僕だけを見つめ、僕のすぐ目の前で立ち止まった。
そしてそのまま、まるでおとぎ話に出てくる王子様のようにその場に跪いたのだった。周囲はもちろん、僕自身もポカンとした顔で目の前の少女を見つめた。
小首を傾げ、少女はよく通る声で僕に言ったのだ。
「あなたは私が今まで出会った中で、一番美しく、魅力的な人です。どうか私と一曲踊ってくれませんか?」
なぜ敬語なのか。なぜ自分は女性を口説くように褒められているのか。なぜ初対面でダンスの誘いを受けているのか。頭の中が疑問符で埋め尽くされそうな中、僕は少女の目が悪戯っぽく光ったのに気づいた。
「……ええ。喜んでその誘い、お受け致します」
差し出された小さな手をそっと握り、僕は少女を引き上げていた。同じくらいの体格なので少しふらついてしまったが、無事受け止めることができた。間近で見る少女の瞳はきらきらと輝いており、その輝きに吸い込まれてしまいそうだった。
「心配なさらないで。どうか私に身を預けて」
少女の声は自信に満ちあふれたものだった。大丈夫。きっと上手くいく。怖がらないで、うんと楽しみましょう。不思議だった。初対面で、彼女のことなんて少しも知らなかったのに。
気づいたら僕は信頼の証にとびっきりの笑みで返し、少女のエスコートに身を預けていた。
今振り返っても、それは完璧な踊りではなかった。僕も彼女も何度も互いの足を踏んづけてしまったし、支えきれずふらついてしまいそうになった。何より男女の配役が逆だった。
それでも少女は、クラウディアのエスコートは間違いなく完璧だった。だって僕を不快な気持ちから脱却させ、うんと愉快な気持ちにさせたのだから。
「お上手ですね、お嬢さん」
「ええ、あなたこそ」
僕たち二人はにこにこ笑みを浮かべたまま、踊り続けた。僕のことを女みたいだと揶揄った少年らを置いてけぼりにして。彼らは僕とクラウディアの突然の踊りに目を丸くしていたが、我に返ったように声を荒げた。
「な、何突然踊り始めてんだよ!」
「そうだよ! しかも女が男を誘って! 変だぞ! お前ら!」
クラウディアはちらりと少年らへと目をやる。一瞬怯む彼ら。彼女は何て言うのだろうと僕はドキドキしていた。それは誕生日プレゼントにもらった包みを剥がして中にいったい何が入っているのだろうと思う気持ちによく似ていた。
「あら、そう。それがどうかして?」
何か問題でもある? と言っている彼女の表情に、僕は堪えきれず吹き出した。クラウディアはしれっとした顔のままなおも少年たちに言った。
「踊りを女から誘ってはいけないという法律でもあるのかしら? でしたらぜひとも私に教えて下さいな」
うっ、と言葉に詰まる彼らにクラウディアはにっこりと微笑んだ。
「この人はとても綺麗な方よ。そんな人に意地悪するなんて、まずはあなたたちの常識を見直した方がいいと思うわ」
どこまでもばっさりと相手の心に切り込んでいく物言いに少年たちはもうたじたじとなっていた。そんな彼らの様子に僕はふと面白いことを思いついて、彼女の耳元へ口を寄せる。
「お嬢さん。きっと彼らは寂しいんですよ。自分たちだけ踊りの輪に入ることができなくて」
僕の言葉に、クラウディアは大げさにはっとし、なる程と合点がいったように頷いた。
「ごめんなさい。まったく気づかなかったわ」
僕たちは自然と進行方向を変え、立ち竦む少年たちの方へと突き進んでいった。
「さあ、遠慮しないであなたたちも踊りましょう」
「そうだよ。とっても楽しいよ」
まるで口裏でも合わせていたかのような僕とクラウディアの息ぴったりの様子は、少年たちに恐怖を与えたようだ。顔を引き攣らせ、一歩、二歩、くるりと背を向けた少年たち。
「お、お前ら変だ! い、いきなり踊り出して、とんだ変人だ!」
「うわ~。お母様ああああ」
そして捨て台詞を残しつつ、彼らは全速力でどこかへ行ってしまった。残された僕たちはしばらくその後ろ姿を眺めていたけれど、やがて互いに顔を見合わせて笑い始めた。
「あははっ。今のやつらの顔、見たかい?」
「ふふっ。ええ。この目でばっちりと見たわ」
可笑しくてたまらない。人は笑い過ぎると涙が出てくるというけど、本当だった。
「本当っ、普通初対面であんな台詞言わないよ!」
「そういうあなたこそ。唖然としている彼らが踊りたがっているなんて思わないわ!」
僕たち二人は大真面目に顔を見合わせて、またもや堪えきれないように吹き出した。僕の声と彼女の声。どちらもよく晴れた青空に響き渡って、驚いた太陽が眩しく輝いていた。
その時のクラウディアの笑顔は今でもよく覚えている。日の光に負けないくらいきらきらと輝いて、とってもきれいで、とびっきり可愛かった。
「僕はフランツ。よろしくね」
そんな彼女のことをもっとよく知りたいと自分の名を名乗っていた。というか自己紹介よりも先に衝撃的な出会いのせいで、すっかり忘れていた。
「私はクラウディアよ。こちらこそよろしく」
さっぱりした挨拶。でも逆に彼女らしいと好ましく思った。
「きみ。面白いねえ」
「ありがとう」
目を細め、誇らしげに彼女は言った。
「でも男の子相手によくあれだけはっきり言えたね。怖くなかった?」
普通の女の子だったらおかしいと思っても物怖じして黙ってしまうか、言葉に窮してしまうと思うのだけど。
「私、男だからとか女だからこうあるべきって考えすごく遅れていると思うの。だからあの子たちの間違いを正しただけ」
「間違いって?」
「あなたが女の子に見間違われるほど綺麗な顔をしているのに、それを褒め称えるよりも揶揄うなんて言語道断ってこと」
けろりとした表情でクラウディアは答えた。そんな彼女に僕はますます興味が惹かれた。
「すごいや。かっこいいね」
「ふふ。ありがとう。あなたも可愛いわよ」
またさっきの続き? と肩を竦めれば彼女はくすくすと笑いを噛み殺した。可愛いと言われるのは慣れているつもりだったけれど、彼女にそう言われるのはあまり嬉しくはなかった。僕を揶揄う彼女の方がずっと可愛いと思ったし、それに――
「かっこいいって、できればきみには言って欲しいな」
「それはこれからのあなたしだいよ」
なるほど。これは手強そうだ。家庭教師の先生が意地悪して出す応用問題よりもずっと。
けれど僕はその難問になぜか挑戦したくてたまらなくなった。きっと答えを出すより、答えを見つける過程がうんと楽しいことに気づいていたからだ。
彼女といれば、僕の人生は一生退屈とは無縁の愉快で楽しいものになるだろう。そんな確信ともいえる予感があった。
「いいよ。僕がどれほどかっこいいのか、きみに見せてあげるよ」
胸に手をあてて、誓うように宣言する。クラウディアは期待しているわ、って女王様のように言ったのだった。
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