その結婚は、白紙にしましょう

香月まと

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 「……し、白い結婚、とは……?」

 ミレナシアは思わず聞き返した。
 声がかすれて、自分でも驚くほど頼りない響きになっていた。

 カインは静かにうつむく。
 陽の光が差し込む窓辺で、黒髪が重たく揺れた。

 「名ばかりの夫婦である、という意味です。互いに干渉せず、必要以上の接触を避け、王家と騎士団の関係を保つための形だけの婚姻に―─」

 急に彼の声が遠退いたような気がした。
 契約結婚、期間は三年。
 遠くで聞こえる言葉の一つ一つが、胸の奥に沈んでいく。
 沈んで、沈んで、やがてそれは痛みになった。

 (形だけの……夫婦……)

 ミレナシアは唇を引き結んだ。

 ――それでは、わたくしが望んだ結婚とは……きっと、異なるものになるのね。

 憧れて、憧れて。
 父王に頼み込んで叶えてもらった、この結婚。

 それをすべて、仮りそめのものにするのだと………
 
 (普通に考えて全然イヤですけれど………!?!!)

 ポーカーフェイスを心掛けながら、ミレナシアは心の中で絶叫する。
 この日をどれだけ望んだことか、そう考える彼女には到底受け入れられるものではない。

 ……けれど、問い詰めることもできなかった。

 彼の真剣な眼差し。
 まるで自らを責めるような、痛々しい表情。
 その姿が、何よりも悲しくて。

 「……そう、ですのね。あなたは、それを望まれるのですね」

 「姫様を傷つけたくはありません。ただ、私は――」

 言いかけて、カインは首を振った。

 「戦場に生きてきた身です。血と泥にまみれ、王に仕えること以外の価値を知らぬ男です。そんな私が、姫様の伴侶になるなど……身に余る」

 彼はまっすぐに頭を下げた。
 その動作が、ひどく礼儀正しく、そして痛々しかった。

 ミレナシアは沈黙のまま、指先でドレスの裾をつまんだ。
 白い絹の生地が、少しだけ震えている。

 「……カイン様」
 
 「はい」
 
 「わたくし、そのお申し出を――」

 胸がきゅうっと痛む。
 けれど、泣くわけにはいかない。
 彼が、ここまで誠実に向き合ってくれたのだから。

 ミレナシアは、そっと微笑んだ。

 「――お受けいたしますわ」

 カインの瞳がかすかに揺れた。

 「……よろしいのですか?」

 「ええ。わたくしは、あなたの選択を尊重いたします。三年の契約結婚だということでしたわね。でしたら、その間だけでも……あなたと共に過ごせるなら」

 それは目に見えるような強がりだった。
 本当は「三年だけ」など考えたくなかった。
 けれど、拒めば彼がさらに苦しむと分かってしまう。

 (せめて、彼のそばにいられるのなら)

 そう思うだけで、胸が少しだけ温かくなった。

 「……ありがとうございます、姫様」

 カインは深く頭を垂れた。
 彼女のその笑顔が、どんな涙をこらえてのものか知らぬまま。

 ミレナシアは静かに頭を下げ、踵を返す。
 足音が、広い謁見の間に淡く響いた。

 扉が閉まる直前、そっと呟く。

 「……白い仮初の結婚でも、構いませんわ」

 だって――
 息を吐く唇がかすかに震えた。

 (あなたを好きになったことだけは、わたしの中の真実ですもの)

 誰にも届かない、ひとりきりの誓い。
 春の光が、沈むように薄れていった。

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