その結婚は、白紙にしましょう

香月まと

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 昼下がり。
 王都の外れ、騎士団の本部を視察に訪れた帰り道。
 ミレナシアは通り抜けた中庭で、ふと足を止めた。

 視線の先には、訓練場。
 黒髪を陽に光らせながら剣を振るう背中――カインだった。

  姫は欄干の陰からそっと覗き込み、胸に手をあてた。

 (……少しの間だけ)

 訓練中の騎士に声をかけるなど無作法もいいところ。礼節の文字が頭に大きく浮かび、けれど。
 どうしても、その姿を見たかった。ほんの数分、ほんの一瞬だけでも――。

 (……やっぱり素敵……)

 鍛え上げられた腕がしなやかに剣を振るい、飛んだ汗が陽光の粒になって散る。
 その周囲では若い騎士たちが息をのんで見守っていた。
 時折、カインの短い指導の声が響き、周囲がそれに応えるように剣を構える。
 彼の周囲には、団員たちが集まっていた。

 その中に、ひときわ髪の長い人物の姿が目にとまった。
 風にさらりとなびく艶やかな髪、細い体つき。
 カインの隣にいるのは、髪の長い女性騎士――に見えた。
 すらりとした体つきで、軽口を叩きながら団長の胸元を軽く叩いている。

 外交先で男性が禁じられている場などへ赴く時のため、リュミエール国でも女性騎士を幾人か採用している。
 母である女王の近衛兵などに、その姿は多く見られた。

 (新しい方かしら)

 遠目であることもあって、その姿から個人までは確認できない。

 ミレナシアの目にはっきりと分かるのは、鍛えられた団員たちの中にあってもひと際背の高い黒髪の彼だけだ。

 彼らが笑い、声を掛け合う。
 その中心で、カインが珍しく笑っていた。

 その笑顔。
 ミレナシアの胸が、きゅうっと痛んだ。

 「……あの方、笑って……」

 思わず小さく呟いた。

 「ふふ……楽しそう……」

 けれど次の瞬間、心の奥が沈んでいく。

 (わたくしの前では、あのようなお顔を見せてくださらないのに)

 指先が冷たくなる。
 胸の奥がしんと静まり返る。

 ──カイン様もあのように、立場の近い方からの求婚であったなら……

 髪の長い騎士の方へ、カインが一歩近づいた。
 そして、その肩を掴み、軽く回すようにして――
 
 「……っ!?」

 姫の目が見開かれる。

 (ちょ、ちょっと!? カイン様!? 気安く肩に手をお置きになって! その距離は! 近すぎますわよ!)

 しかも、そのままぐるりと押し返して――

 (……持ち上げた!? 持ち上げましたわね今!?)

 髪の長い騎士の顔は、ここからは見えない。けれどカインは本当に楽しそうで……

 (そう、あんな風に……近しい方だったなら、………あら? ちょっと……)

  その時、カインが再び見習いの肩を掴み、ぐっと押した。
 今度は見習いも負けじと踏み込む。

 (まだ触れ……いや! おやめになって! それ以上は!!)

 と思った瞬間――

 ドッ、と鈍い音が響いた。
 カインが組んでいた騎士を放り投げ、その身が地面とぶつかった音だった。

 次の瞬間、訓練場のあちこちから歓声があがる。
 
 「団長容赦ねぇ!」

 「総員武器を置いて、地稽古始め!!」

 「うぉおおお!」

 それを合図としたように、乱取り……実践練習が始まってしまった。
 怒号と土煙立ち籠もる訓練場は、姫の位置からでは何も見えなくなってしまう。

 ……激しい。そして、何よりも。
 ──眺めることも叶いませんのね。

 ほんの少し、彼女の笑顔が翳ったその瞬間。
 離れた詰所の二階から、ユリウス・ド・ベルフォール副団長が書類を手に出てきて、その様子を見つけた。

 窓辺に立ち、軽く眉を上げる。
 そして、彼は静かに呟いた。

 「……あー、これは……」

 次の瞬間、風が吹き抜け、ミレナシアの金の髪がふわりと舞った。
 その姿を見つめながら、ユリウスは苦笑を浮かべた。

 「どうにも、拗らせあってる気配だ」

 その呟きは、春の風……もとい荒々しい砂埃と咆哮に紛れて消えていった。

 なおくだんは小柄な見習い兵士、カインとは同郷であって気安い仲だというのも――ミレナシアには知る由もない。
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