その結婚は、白紙にしましょう

香月まと

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 結婚からひと月が過ぎた。
 王宮の奥に新たに設けられた「王女殿下の居館」は、まるで春の陽射しをそのまま閉じ込めたように明るく、香り高い花々が咲き誇っていた。

 けれど、その屋敷の中にはというものがほとんどなかった。

 カイン・ヴァルナー団長とミレナシア・ド・カリューネ姫。
 名実ともに夫婦でありながら、彼らの生活はまるで平行線のようだった。

 居館には二つの居室があり、間には厚い扉と長い廊下。
 夜になれば、互いの明かりさえ見えない。
 食事の席も別、起床の時刻も別。

 たまに顔を合わせれば、必要最低限の会話だけ。
 「お体の具合は」「ご公務のご予定は」といった、まるで事務のような言葉が淡々と交わされる。


(……いけませんわ、これでは……!)

 白い結婚――

 それは、ミレナシアが想像していたよりもずっと「真っ白」だった。

 ベッドも別、部屋も別、果ては玄関も別。
 玄関まで別にすることがあるのか、とミレナシアは言った。
 護衛の動線が違うらしい、そんなことってあっていいの? 夫婦ぞ、わたくしたちは。形だけとはいえ国に認められしれっきとした夫婦である。

 これではまるで新婚ではなく、隣に引っ越してきた上司と部下だ。


 (負けてはだめ、ミレナシア。出来るところから探すべきよ!)

 朝。
 ミレナシアは、そっと玄関先で「いってらっしゃいませ」と声をかけた。
 →結果。
 「姫様、寒いのでお戻りください」

 昼。
 訓練中のカインに差し入れを持っていった。
 →結果。
 「勤務中ですので」

 夜。
 書類仕事で遅くなると聞きつけ、軽食を手に執務室を訪ねた。
 →結果。
 「護衛を通してくだされば」

 ……三連敗。

 (なんて無残な結果なの……!)

 ことごとくやんわりと拒まれ、沈みそうになる心を気合で持ち上げる。

 彼のために焼いたクッキーが、なぜか全員分の「差し入れ」として配られていたときも――
 (まあ、皆様に喜んでいただけて何よりですわ!)と、即変換して笑顔を作った。

 これはミレナシアの間が悪かったとしか言いようがない。お詫びの気持ちで量産したクッキーを、後日改めて各所への差し入れとした。
 
 みな素直に喜んでくれたし、そんな顔を見ていると姫も嬉しかった。

 けれど、夜ひとりになると胸が痛む。

 (わたくし、やはり……嫌われているのでしょうか)

 あの時彼は、「姫様を傷つけぬために距離を取る」と言った。
 けれどこれは……考えたくはなかったが、結婚を決める前よりもずっと、避けられているような気がしている。
 あの人の中に一欠けらでも、ミレナシアは存在しているのだろうか。
 
 

 意気込みは惨憺たる結果だった。
 明くる日、鏡の前で髪をきながらミレナシアは呟く。

 「……せめて……」

 せめてまなざしが合えばいいのに。
 そうすれば、もう少しだけ彼のことが分かるような気がした。

 凶刃に遭遇し、彼が即座にそれを撃退した時。そしてミレナシアを気遣ってくれたこと。
 ──すべては、もちろん。騎士団長としての任務だと……分かっているはずだったけれど。
 思い出せば思い出すほど、胸が締めつけられる。

 けれど、沈んでいるだけではいけない。
 契約でもいいから彼の隣に立つと決めたのは自分なのだ。

 ミレナシアは頬を軽く叩き、顔を上げた。

 「……さあ、今日も笑顔でいきましょう」

 少しだけ紅をさし、明るい声で侍女たちに挨拶する。
 たとえ胸の中で泣いていたとしても、あふれなければ誰にもバレない。


 
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