その結婚は、白紙にしましょう

香月まと

文字の大きさ
9 / 19

しおりを挟む
 庭園の一角。金糸をまぶしたような木漏れ日が降りそそぐ白い石畳の上、ミレナシア姫はうつむいた。
 簡易結界の内側は鳥のさえずりさえ遠く、世界から隔絶されているよう。
 
 口元のティーカップから薄く立ち上る湯気が頬を撫で、花の香りと甘い乳の匂いが混ざり合う。

 「……おいしい」

 ぽつりと漏れたその声に、ユリウスは静かに微笑む。
 ほんの少し視線を伏せた姫の唇が、なにかをほどいていくように動いた。

 「──カイン様のこと」

 声は震えていなかった。

 「……たとえ、白い結婚だとしても、わたくしは構わなかったのです」

 ミレナシアはソーサーへとカップを戻し、ぽつぽつと語り出した。

 「政治のための婚姻なんて、珍しくもありませんもの。あの方が隣にいてくださるなら――それだけで、きっと十分だと」

 ユリウスは黙って相槌を打つように、軽く頷いた。
 姫は視線を手元にだけ注いで、まるで自分に言い聞かせるように続ける。

 「……あの方に、初めてお会いしたのは隣国への外交の折でした。あの時、賊に襲撃を受け……あの方が庇ってくださったのです」

 それはミレナシアが王の外交へ着いていった時の話で、ユリウスも当然耳にしている話である。
 ふ、と顔を上げた姫の顔には、あこがれで紅潮させた頬があった。

 「弓矢が――こう、びゅん!と飛んできて!」

 「びゅんと」

 「そう、それを! カイン様がすっ、と剣で払いまして! それはもう見事でしたの!」

 次いで現れた賊は刃物を持ち、我らが団長は姫を庇いながら見事にこれも退けてみせた……と、団の記録にもある。

 「……もちろんそれが……護衛が彼に課せられたことだと、分かっていないわけではなかったのに」

 目を細め、ふっと微笑む。
 その横顔に、憧れと恋慕が柔らかく重なる。

 「それからです。お会いするたびに、どうしても目で追ってしまって。あの方を眺めているだけで胸が高鳴ってしまうんです」

 姫が静かに語ることを、ユリウスも共に思い返す。訓練場への視察が日に日に増えていって、誰から見ても姫の慕情は明らかだった。

 「城下町でお祭りがあるって聞いて城を抜け出した時も」
 
 「姫様そんなことしてたんですかヤバいな」

 「ちゃんと護衛はつけましてよ!」

 そういう問題でもないんだけど、と半ば呆れつつユリウスは頷く。

 「城下の小さな広場で、彼が子供たちに剣の構えを教えていたんです。とても穏やかな笑顔で、子供たちの頭を撫でて……あの笑顔を見た瞬間、胸が――あたたかくなって、どうしようもなくなって」

 ユリウスはそれ以上何も言わず、ただ静かに聞いていた。
 姫の頬がゆるやかに紅潮していく。

 「その笑顔が、忘れられなかったのです。それで……どうしてもあの方のそばにいたくて。父王にお願いしました。婚姻を、と」

 「……なるほど。それで王は叶えられたと」

 「ええ、本当にうれしかった」

 ユリウスが笑って、姫も小さく笑った。
 けれど、その笑みはすぐに震えに変わる。

 「でも……」

 ぽつりと、ミレナシアは続けた。

「結婚してから、一度も……笑顔を見せてもらえなくて。それどころか、こちらを見てももらえないのです」
 
 姫の指がカップの縁をなぞる。唇は笑みの形を作ってはいたけれど、その瞳には今にもあふれそうな涙があった。

「望まれた結婚ではなかったのです。あの方は、きっと――義務として、受け入れてくださっただけ」

 言葉が静かに落ちる。頬へも、こらえきれない雫が伝った。
 結婚をしてからというもの、何をしてもから回っている気配だけがあった。
 義務だというならそれでもいい。覚悟はしたつもりだった。けれど。
 日に日に育った恐ろしい疑念が、ミレナシアの心を塞がせてきていた。

 (義務で付き合ってくれるというなら、それだけでも。そう思っていたのに)

 こんなに避けられる日々が続くだなんて。

 「もう……わたくしのことなど嫌いではないのかと……」

 ぽろり、と涙がこぼれた。
 つづいてもうひとつ、そしてもうひとつ。
 雫が頬を伝い、手の甲に落ちる。

 姫はもう、笑顔を保ってはいられなかった。
 とうとう両手で顔を覆い、肩を悲しみに震わせる。

 「わたくしは…わたくしはずっと……」

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから

えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。 ※他サイトに自立も掲載しております 21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

婚約者に値踏みされ続けた文官、堪忍袋の緒が切れたのでお別れしました。私は、私を尊重してくれる人を大切にします!

ささい
恋愛
王城で文官として働くリディア・フィアモントは、冷たい婚約者に評価されず疲弊していた。三度目の「婚約解消してもいい」の言葉に、ついに決断する。自由を得た彼女は、日々の書類仕事に誇りを取り戻し、誰かに頼られることの喜びを実感する。王城の仕事を支えつつ、自分らしい生活と自立を歩み始める物語。 ざまあは後悔する系( ^^) _旦~~ 小説家になろうにも投稿しております。

愛してしまって、ごめんなさい

oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」 初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。 けれど私は赦されない人間です。 最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。 ※全9話。 毎朝7時に更新致します。

顔も知らない旦那様に間違えて手紙を送ったら、溺愛が返ってきました

ラム猫
恋愛
 セシリアは、政略結婚でアシュレイ・ハンベルク侯爵に嫁いで三年になる。しかし夫であるアシュレイは稀代の軍略家として戦争で前線に立ち続けており、二人は一度も顔を合わせたことがなかった。セシリアは孤独な日々を送り、周囲からは「忘れられた花嫁」として扱われていた。  ある日、セシリアは親友宛てに夫への不満と愚痴を書き連ねた手紙を、誤ってアシュレイ侯爵本人宛てで送ってしまう。とんでもない過ちを犯したと震えるセシリアの元へ、数週間後、夫から返信が届いた。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。 ※全部で四話になります。

最近彼氏の様子がおかしい!私を溺愛し大切にしてくれる幼馴染の彼氏が急に冷たくなった衝撃の理由。

佐藤 美奈
恋愛
ソフィア・フランチェスカ男爵令嬢はロナウド・オスバッカス子爵令息に結婚を申し込まれた。 幼馴染で恋人の二人は学園を卒業したら夫婦になる永遠の愛を誓う。超名門校のフォージャー学園に入学し恋愛と楽しい学園生活を送っていたが、学年が上がると愛する彼女の様子がおかしい事に気がつきました。 一緒に下校している時ロナウドにはソフィアが不安そうな顔をしているように見えて、心配そうな視線を向けて話しかけた。 ソフィアは彼を心配させないように無理に笑顔を作って、何でもないと答えますが本当は学園の経営者である理事長の娘アイリーン・クロフォード公爵令嬢に精神的に追い詰められていた。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

双子の姉に聴覚を奪われました。

浅見
恋愛
『あなたが馬鹿なお人よしで本当によかった!』 双子の王女エリシアは、姉ディアナに騙されて聴覚を失い、塔に幽閉されてしまう。 さらに皇太子との婚約も破棄され、あらたな婚約者には姉が選ばれた――はずなのに。 三年後、エリシアを迎えに現れたのは、他ならぬ皇太子その人だった。

【完結】もう一度あなたと結婚するくらいなら、初恋の騎士様を選びます。

恋愛
「価値のない君を愛してあげられるのは僕だけだよ?」 気弱な伯爵令嬢カトレアは両親や親友に勧められるまま幼なじみと結婚する。しかし彼は束縛や暴言で彼女をコントロールするモラハラ男だった。 ある日カトレアは夫の愛人である親友に毒殺されてしまう。裏切られた彼女が目を覚ますと、そこは婚約を結ぶきっかけとなった8年前に逆行していた。 このままではまた地獄の生活が始まってしまう……! 焦ったカトレアの前に現れたのは、当時少しだけ恋心を抱いていたコワモテの騎士だった。 もし人生やり直しが出来るなら、諦めた初恋の騎士様を選んでもいいの……よね? 逆行したヒロインが初恋の騎士と人生リスタートするお話。 ざまぁ必須、基本ヒロイン愛されています。 ※誤字脱字にご注意ください。 ※作者は更新頻度にムラがあります。どうぞ寛大なお心でお楽しみ下さい。 ※ご都合主義のファンタジー要素あり。

処理中です...