その結婚は、白紙にしましょう

香月まと

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10 カイン視点

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 王城の中庭に隣接する騎士団の詰所は、昼下がりでもまだ熱気が残っていた。
 訓練場からは掛け声と金属の打ち合う音が響き、外の空気は汗と革の匂いに満ちている。
 その一角――地図と武具の並ぶ作戦室に、団長カインは立っていた。

 机の上には、報告書と魔力通信の封筒。
 黒髪に汗が一筋伝う。
 いつものように冷静で、隙のない立ち姿。

 そこへノックもそこそこに現れたのが、副団長ユリウス・ド・ベルフォールだった。

 「カイン、ちょっと」

 「……何だ」

 「君、今から訓練場の方へ行くの?」

 「新人の様子を見に行ってくる」

 「そっかそっか。その後は?」

 「自己訓練に充てる予定だ」

 「うんうん、なるほど」

 カインは眉を寄せた。ユリウスの相槌はあまりにも軽い。高位貴族だというのに驚くほど気安いが、それはこの王国の貴族全体に言えることでもあった。

 平民を出自としているカインは、対応に窮することが未だにある。
 案の定、今日も彼は突拍子もないことを言い出した。

 「時に僕はちょっと今から姫様とお茶会を開いてくるんだけど」

 「……おちゃ、………………好きにすればいいだろう」

 「ありがとう! でね、簡易結界装置を使いたいんだ。君、登録責任者になってくれない?」

 「なぜ俺が」

 「姫様の夫、我らが団長。こんなに適任が他にいる?」

 ユリウスは手元の小さな箱――透明な水晶球を取り出し、何ということはないと言うように揺らして見せた。
 訓練場の光が反射して、白銀の筋がきらりと走る。

 「……勝手に持ち出していないだろうな」

 「もちろん許可済み。ね、ちょっとだけ登録だけ」

 「だけなどと……」

 「そう。指を置いて、名前を言うだけ。痛くもかゆくもないよ」

 騎士団長が装置の操作法が分からないなどと、ユリウスが思っているはずがない。
 当然のことを解説されてカインは面倒くさそうに腕を組んだが、公爵令息は容赦なく詰め寄る。

 「お偉い人とお茶するんだよ。二人っきりだよ? 僕が万が一、変な気を起こしたらどうするの?」

 「何をトチ狂ったことを言っている」

 お前も大概偉いんだ、というカインの半眼もユリウスはさらりとかわしてしまう。

 「ほら~~心配でしょ? 未然に防いでいこう、騎士団長」
 
 「……」

 彼の軽口は半分以上冗談に聞こえるが、残りの半分はおそらく本気だ。つまり、登録するまで離れないということ。

 カインはため息をついて、装置に手を伸ばした。
 水晶に指で触れると、ほんの一瞬淡い光が灯る。

 「登録者、カイン・ヴァルナー」

 淡い低音が鳴り、水晶がふっと温かく光を放った。
 ユリウスはぱちんと指を鳴らす。

 「はい登録完了、お疲れさま」

 「……おい」


 勝手に完了ボタンを押された形のカインは、わずかに眉を上げた。

 ユリウスは手をひらひら振りながら、扉へ向かう。

 「庭園の東屋にいるからね。気になるなら君もおいで」

 「誰が!」

 カインに応えるのは笑い声だけだった。
 軽い足音を残して、ユリウスは去っていく。
 カインは数秒、無言でその背を見送っていた。

 机の上の書類に視線を戻そうとするが――どうにも集中できない。
 「庭園の東屋」という単語が、やけに頭の中で響く。

 彼は深く息を吐き、結局そのまま訓練場へと歩き出した。
 その足が、気づけば東の庭園へ向かっていたことに、本人はまだ気づいていない。

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