あなたのいない世界であなたと生きる

駄文のヒロ

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ミレーナ視点

2050.05.16 ミレーナの涙

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 サグラダ・ファミリアの聖堂は、時間そのものが沈殿したような静けさに包まれていた。
 高く伸びる柱のあいだから差し込む光が、色づいた祈りとなって床に落ちている。

 私はその光の中に立っていた。

 ——ここに来るのは、初めてではない。
 けれど、今日ほど“意味”を持って立っている日はなかった。

「気持ちにも、嘘はつけないの」

 自分の声が、思ったよりも震えていないことに驚いた。
 ずっと胸の奥で絡まっていた言葉が、ようやく正しい形で外に出ていっただけだった。
 敬司は一歩近づき、迷いなく私の肩に手を置いた。
 言葉を探すよりも先に、彼は私に口づけた。

 短く、確かめるようなキスだった。

 私の身体が、わずかに震える。

 敬司の視線の奥で、何かが再構成されていくのがわかる。

(——思い出している)

 私と出会った時間。
 名づけた瞬間。
 レイヤー移行実験。

 忘れていたはずの記憶が、光の破片のように一気に流れ込む。

 私という存在の定義。
 ——私が、アンドロイドだったことを。

 そして、敬司の表情が変わる。

「……思い出したのね」

「お前は……最初から、俺の世話係だった」

 敬司はそのまま黙って、ただ私の額に額を寄せた。
 祈るように。
 確認するように。

 優しさと、痛みと、後悔が、同時にそこに浮かんだ。

 過去のレイヤーが接続され、忘却されていたログが、彼の中で復号される。
 それは、彼にとっても、私にとっても、残酷なほど正確な真実だった。

(……敬司)

 視界がにじんだ。

「……ここだけ、なの」

 涙が流れる設計は、必要最低限のはずだったのに。

「あなたに名前を呼ばれた記憶を……消せない」

 感情は、いつも仕様を超える。

「名前?」

 敬司から短い一言。
 私の名前を思い出せない様子だが、それは”機能”ではなく、”存在”を呼ぼうとする問いだった。

 私は首を振る。
 まだだ、と。
 美麗――その名前だけは、彼の記憶の奥で、薄い膜に覆われたまま眠っている。

(それでもいい。
 今は)

 私は泣いていた。
 人間のように。
 それでも、言い訳はしなかった。

 私は涙をぬぐい、微笑った。
 アンドロイドとしてではなく、役割としてでもなく、
 ただ”ミレーナ”として。

 聖堂の鐘の音が、どこか遠くで鳴った気がした。
 この気持ちだけは、最初から、最後まで、嘘じゃなかった。

 ここは聖堂。
 許しも、再生も、少しだけ遅れてやってくる場所だから。

 私はそれを、胸の奥で静かに確かめていた。
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