救世の結界師マールちゃん~無能だと廃棄されましたが、敵国で傭兵のおっさん達に餌付けされてるので、今さら必要と言われても戻りません~

ぽんぽこ@3/28新作発売!!

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第12話 小さな手でできることを

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 拠点の裏手。
 朝のうちはまだ薄曇りだった空の下で、マールはハンナ婆さんと並んで洗濯をしていた。

 桶の中でぱしゃぱしゃと水をはねさせながら、小さな手で一生懸命に布を揉む。冷たい水に指先が少し赤くなっていたが、マールは眉一つひそめず、黙々と作業を続けていた。


「ほんと、あの男どもはねぇ」

 隣で洗濯板を叩きながら、ハンナ婆さんがふん、と鼻を鳴らす。

「ちょっと油断すると、すーぐ洗濯をサボるんだから。剣や鎧の手入れは一丁前なのにさ」
「えへへ、そうですね」

 マールは小さく笑った。

「だから今はマールがいてくれるから助かってるよ。ありがとね」

 そう言われて、胸の奥がぽっと温かくなる。

「……うん。マール、てつだうの、すき」

 ハンナ婆さんは一瞬目を細め、優しげに頷いた。そのとき、ふと空を見上げて言う。

「……あちゃあ。こりゃあ、雨が来るね」

 言葉どおりだった。しばらくもしないうちに、ぽつ、ぽつ、と大粒の雨が落ちてきて、あっという間に地面を濡らしていく。


「あらら……今日は室内干しだね」

 軒下に洗濯物を移しながら、ハンナ婆さんがため息をつく。

「雨の日は乾かなくて大変なんだよ。特に冬はねぇ……水も冷たいし、手はかじかむし」

 その言葉を聞いた瞬間。マールの胸の奥に、ひやりとした感覚が広がった。

 冷たい水。
 真冬の井戸。
 凍える指で洗わされた、乾かない洗濯物。

(……)

 辺境伯家での日々。
 誰も労わってくれなかった時間が、ふっと蘇る。

 気づけば、マールの手は止まっていた。

「……おや」

 異変に気づいたハンナ婆さんが、マールの顔を覗き込む。曇った表情を見て、すぐに察したのだろう。

「……大丈夫だよ」

 ごつごつした、でもとても温かい手が、マールの頭にそっと置かれる。

「今はもう、ひとりじゃないんだからね」
「……うん」

 小さく頷くと、胸の苦しさが少しだけ和らいだ。洗濯を再開しながら、マールは考える。


(……つめたいの、つらい……)

 ハンナ婆さんの手も、少し赤くなっていた。

(どうにか……できないかな……)

 ふと、マールは手を止め、そっと手のひらを見つめる。意識を集中すると、淡い光が滲むように浮かび上がった。小さな、小さな結界。

 戦うためのものじゃない。
 誰かを守るためでもなく――誰かの暮らしを、少しだけ楽にするための結界。


「……うーん……」

 首を傾げた、そのとき。
 ばしゃっ。
 足元で水音がした。

 ハンナ婆さんの飼い猫が、桶の水に前脚を突っ込み、そのまま勢いよく水浴びを始めていたのだ。

「ちょっと、あんた――」

 叱る声が飛ぶより早く、猫は満足したのか、ぶるっと大きく身震いをした。
 ぱぱぱっ、と。
 毛皮から水滴が弾かれ、周囲に飛び散る。

 その瞬間。
 マールの目が、きらりと光った。

(……はじいてる……)

 猫は素知らぬ顔で、二人の元からトコトコと去っていく。

(……なにか……つかえるかも……?)

 胸の奥で、かすかに何かが噛み合う感覚があった。まだ言葉にはならない、でも確かな予感。

 そのときだった。


「――何を考えてる」

 低く落ち着いた声が、雨音の向こうから届いた。

 顔を上げると、拠点の軒下にレグルスが立っていた。濡れない位置から洗濯場の様子を眺め、マールの手のひらに浮かぶ淡い光へ、ほんの一瞬だけ視線を落とす。

「……結界か。随分と慣れてきたな」

 問いではない。確認するような一言だった。

「明日、晴れたら採取の依頼に出る予定だ」

 唐突だが、いつもの調子だ。
 レグルスは一拍置き、今度ははっきりとマールを見る。

「魔獣討伐はしない。浅い森での採取だけだが……来るか?」

 一瞬。
 マールは、何を聞いたのか分からないという顔をした。

「……え?」

 すぐに意味が追いつき、次の瞬間には――

「……いく!」

 ぱっと、花が咲いたように顔が輝いた。

「……マール、いく……!」

 その様子を見て、レグルスは小さく頷く。

「条件はひとつだ。採取のみ。危険があれば即撤退」
「……うん! わかった!」


 ◆

 翌日。
 昨日の雨が嘘のように空は晴れ渡り、澄んだ朝の空気が森の入り口まで広がっていた。

 マールはレグルス隊とともに、初めて“正式な採取同行”として魔の森へ足を踏み入れる。


(……どうしよう、わくわくする……!)

 湿った土と、葉の匂い。
 どこかぴりっとした魔力の感触。

 だが、恐怖はなかった。
 結界が、呼吸のように自然に身体を包んでいる。

「よし。まずはこれだ」

 レグルスが指さした先にあるのは、紫色の実をつけた低木――コブラ苺だ。

「採取の方法は覚えているな?」
「……うん」

 マールは小さく頷き、そっと手を伸ばす。

 結界を、薄く、実の周囲だけに。毒の気配を遮断しながら、茎を切る。

 ぽとり。
 紫の実が、無事に籠の中へ落ちた。

「成功だ」

 短い言葉だったが、それで十分だった。
 そして――

「次が本命だ」

 森を流れる川辺へ向かう。
 水面が揺れ、ぶくりと。丸く、愛嬌のある姿が顔を出した。

 豚のような鼻。薄ピンク色をした魚の体。通称――《河豚(カワブタ)》だ。


「……かわいい……」

 だが、その血には強い毒がある。通常は捌いた瞬間、身に毒が回り、食用にはならない。骨だけが錬金術の素材として価値を持つ――それが常識だった。

「今回は骨の回収が依頼だ」

 レグルスがそう言った、そのとき。
 マールが、そっと手を挙げた。

「……マール、できるかも」
「どういうことだ?」

 全員の視線が集まる。

「……血と……おにく……わけられたら……」

 言葉は拙いが、意味ははっきりしていた。
 結界で“血と身を分ける”。
 その発想に、レグルスは一瞬、言葉を失う。


 川辺で跳ねる河豚(カワブタ)。
 その前で、マールはそっと手を伸ばした。

(……生活のための結界。食べるための結界)

 小さな挑戦が、また一つ始まろうとしていた。


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