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第九話 ケラト
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違う、と今度は僕が思う。
よりを戻したりしていない。
僕とトゥレラは話をしていただけだ。
「毎日毎日あの女のところへ通って、な。貴様とあの女が愛人関係だったことは、子爵領のだれもが知っていたじゃないか。よりを戻したとしか思われないだろう。それに、貴様は重臣を罰した後で子爵邸にあの女を呼び戻した」
それは……トゥレラを守るために。
「貴様の叔父の屋敷に帰らせれば良かっただろう? 貴様はあの女を守ったのかもしれないが、それによってディミトゥラ様の心を傷つけたんだ」
違う、違う、違う!
結婚前のトゥレラは子爵邸に住み込みで、僕の秘書のような仕事をしてくれていた。
だから子爵邸へ連れ帰ったんだ。ディミトゥラは身籠っていたし、出産してもすぐには仕事に復帰出来なかっただろうから。
僕とディミトゥラの子どもは男の子で、生まれて一ヶ月もしないうちに死んだ。
赤ん坊が死ぬのはよくあることだ。
だれにもどうしようもない。
なのにディミトゥラはそれをトゥレラのせいにした。
トゥレラが殺したのだと言って、彼女を罵ったのだ。
もちろんだれもそんな話を本気にはしなかった。
「当たり前だ。他領から嫁いできて一年程度の奥方様と、何年も前から一緒に過ごしてきた『ご領主様の愛人』、子爵領に生まれ育った家臣や使用人がどちらの味方をするかなんて明らかだ。……ケラトを殺したのはあの女、貴様の愛人だったんだよ!」
ケラト? だれだ、それは。僕とディミトゥラの子どもは名付ける前に死んでしまった。
「ヤノプロス侯爵家の血筋に生まれた家を継ぐ予定の嫡子は、みんなケラトと名付けられるんだ。ディミトゥラ様の父君も兄君もケラトだ。……まさか貴様、正妻として娶ったディミトゥラ様の子どもを跡取りにしないつもりだったのか?」
そうじゃない。でもそれはヤノプロス侯爵家の決まりじゃないか。
「貴様があの女に溺れてディミトゥラ様のもとを訪れなかったから、どんな名前にするか話し合うことが出来なかったんだろう? だからディミトゥラ様はあの子をケラトと呼んでいたんだ! ディミトゥラ様の兄君に剣で斬られた貴様が牢に投げ込まれ、放置された傷がもとで死ぬまでの間に、俺や兄君があの女を尋問した。……悔しかったんだとよ、ディミトゥラ様がカラマンリス子爵家の跡取りになる子どもを産んだのが」
嘘だ、嘘だ、嘘だ!
トゥレラを犯人扱いしたディミトゥラは、以前からさほど打ち解けていなかった子爵領の家臣や使用人との間に壁が出来、実家の侯爵領から連れてきた侍女と一緒に子爵邸の離れに閉じ籠るようになり、やがて死んだ。
侍女がこっそりと報告に戻ったのだろう。僕達がディミトゥラの死に気づくのとほとんど同時に、ヤノプロス侯爵家がアサナソプロス辺境伯家とともに子爵領へ攻め込んできた。
「カラマンリス子爵領がヤノプロス侯爵家に、どれほどの恩を受けたと思っている。その侯爵家の令嬢を娶っておきながら冷遇して殺すような家を許せるはずがないだろう? アサナソプロス辺境伯家は侯爵家が間に立ったから和睦に応じただけで、心から子爵家を許していたわけではなかったしな」
ディミトゥラを冷遇なんかしていない。殺してなんかいない。
「そんなにあの女を愛していたのなら、政略結婚なんかしなければ良かったんだ」
それは出来ない。侯爵家の後ろ盾がなければ子爵家は生き残れなかった。
流行の品を買い集めるためにした借金もいずれは返済しなくてはいけなかったし、三年を越えれば僕の記憶も通用しなくなる。
だから、だから涙を呑んでトゥレラと別れてディミトゥラと──
僕の思考を読み取ったかのように、声が憤怒を帯びた。
「ディミトゥラ様が貴様と結婚したがっていたとでも思っているのか? ただでさえいつ魔獣の襲撃があるかもしれない辺境の地で、貴族家同士のくだらない争いが続かないようにと、ご自分の気持ちを押し殺して嫁いだんだ。父君も兄君も、貴様がディミトゥラ様を大切にすると誓ったから嫁がせたんだ!」
よりを戻したりしていない。
僕とトゥレラは話をしていただけだ。
「毎日毎日あの女のところへ通って、な。貴様とあの女が愛人関係だったことは、子爵領のだれもが知っていたじゃないか。よりを戻したとしか思われないだろう。それに、貴様は重臣を罰した後で子爵邸にあの女を呼び戻した」
それは……トゥレラを守るために。
「貴様の叔父の屋敷に帰らせれば良かっただろう? 貴様はあの女を守ったのかもしれないが、それによってディミトゥラ様の心を傷つけたんだ」
違う、違う、違う!
結婚前のトゥレラは子爵邸に住み込みで、僕の秘書のような仕事をしてくれていた。
だから子爵邸へ連れ帰ったんだ。ディミトゥラは身籠っていたし、出産してもすぐには仕事に復帰出来なかっただろうから。
僕とディミトゥラの子どもは男の子で、生まれて一ヶ月もしないうちに死んだ。
赤ん坊が死ぬのはよくあることだ。
だれにもどうしようもない。
なのにディミトゥラはそれをトゥレラのせいにした。
トゥレラが殺したのだと言って、彼女を罵ったのだ。
もちろんだれもそんな話を本気にはしなかった。
「当たり前だ。他領から嫁いできて一年程度の奥方様と、何年も前から一緒に過ごしてきた『ご領主様の愛人』、子爵領に生まれ育った家臣や使用人がどちらの味方をするかなんて明らかだ。……ケラトを殺したのはあの女、貴様の愛人だったんだよ!」
ケラト? だれだ、それは。僕とディミトゥラの子どもは名付ける前に死んでしまった。
「ヤノプロス侯爵家の血筋に生まれた家を継ぐ予定の嫡子は、みんなケラトと名付けられるんだ。ディミトゥラ様の父君も兄君もケラトだ。……まさか貴様、正妻として娶ったディミトゥラ様の子どもを跡取りにしないつもりだったのか?」
そうじゃない。でもそれはヤノプロス侯爵家の決まりじゃないか。
「貴様があの女に溺れてディミトゥラ様のもとを訪れなかったから、どんな名前にするか話し合うことが出来なかったんだろう? だからディミトゥラ様はあの子をケラトと呼んでいたんだ! ディミトゥラ様の兄君に剣で斬られた貴様が牢に投げ込まれ、放置された傷がもとで死ぬまでの間に、俺や兄君があの女を尋問した。……悔しかったんだとよ、ディミトゥラ様がカラマンリス子爵家の跡取りになる子どもを産んだのが」
嘘だ、嘘だ、嘘だ!
トゥレラを犯人扱いしたディミトゥラは、以前からさほど打ち解けていなかった子爵領の家臣や使用人との間に壁が出来、実家の侯爵領から連れてきた侍女と一緒に子爵邸の離れに閉じ籠るようになり、やがて死んだ。
侍女がこっそりと報告に戻ったのだろう。僕達がディミトゥラの死に気づくのとほとんど同時に、ヤノプロス侯爵家がアサナソプロス辺境伯家とともに子爵領へ攻め込んできた。
「カラマンリス子爵領がヤノプロス侯爵家に、どれほどの恩を受けたと思っている。その侯爵家の令嬢を娶っておきながら冷遇して殺すような家を許せるはずがないだろう? アサナソプロス辺境伯家は侯爵家が間に立ったから和睦に応じただけで、心から子爵家を許していたわけではなかったしな」
ディミトゥラを冷遇なんかしていない。殺してなんかいない。
「そんなにあの女を愛していたのなら、政略結婚なんかしなければ良かったんだ」
それは出来ない。侯爵家の後ろ盾がなければ子爵家は生き残れなかった。
流行の品を買い集めるためにした借金もいずれは返済しなくてはいけなかったし、三年を越えれば僕の記憶も通用しなくなる。
だから、だから涙を呑んでトゥレラと別れてディミトゥラと──
僕の思考を読み取ったかのように、声が憤怒を帯びた。
「ディミトゥラ様が貴様と結婚したがっていたとでも思っているのか? ただでさえいつ魔獣の襲撃があるかもしれない辺境の地で、貴族家同士のくだらない争いが続かないようにと、ご自分の気持ちを押し殺して嫁いだんだ。父君も兄君も、貴様がディミトゥラ様を大切にすると誓ったから嫁がせたんだ!」
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