幼馴染を溺愛する彼へ ~婚約破棄はご自由に~

佐藤 美奈

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第63話

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その夜、事件は起きた。
カイ様は、隣国から来た使節団との謁見と、それに続く軍務の報告会で、王城の本宮に詰めていた。戻りは、深夜になるだろうと聞かされていた。

私は、ゲストハウスの自室で、侍女たちと和やかにお茶を飲みながら、カイ様の帰りを待っていた。

「アイラ様は、本当に幸せそうでございますね」
「ええ。カイ殿下は、本当に素晴らしいお方ですもの」

侍女たちの言葉に、私は「もう、からかわないで」なんて言いながらも、頬が緩むのを止められない。幸せは、隠そうとしても隠しきれないものらしい。

そんな、穏やかな空気があっという間に変わり果てた。その瞬間、全てが静止したような気がしたが、それは一瞬のことに過ぎなかった。

バンッ!!!!

突然、部屋の扉が、凄まじい音を立てて蹴破られた。
悲鳴を上げる間もなく、なだれ込んできたのは、頭からつま先まで全身を黒装束で覆った男たちだった。その数、五人。手には、鈍く光る短剣が握られている。

「きゃあああっ!」

侍女たちの甲高い悲鳴が響く。

「何者です!」「無礼者!」

侍女たちが私を庇うように前に立つが、屈強な男たちの敵うはずもない。彼女たちは、あっという間に首筋に手刀を食らい、ぐったりと床に崩れ落ちた。

「……っ!」

心臓が激しく鼓動し、体が凍りついたように動かなくなる中、ふと目に留まったのは、暖炉のそばに静かに横たわる鉄の火かき棒だった。それはまるで私を守るためにそこに置かれているかのように見え、恐怖と戦いながら、私はその冷たい金属を握りしめた。

「来ないで……! 来たら、容赦しませんわよ!」

声が震える。足もガクガクと震えて、立っているのがやっとだった。男たちは、そんな私の虚勢をあざ笑うかのように、ゆっくりと距離を詰めてくる。

そして、一人が目にも止まらぬ速さで私の懐に飛び込んできたかと思うと、私はあっけなく火かき棒を叩き落とされ、腕を掴まれた。

「離しなさいッ!」

必死に腕を振り回し足を動かしても、男の力はそれを微塵も感じさせることなく私を押さえつけている。その隙に、もう一人の男が、私の口を布で封じ込めた。冷たい布が私の唇に触れた瞬間、言葉を発することすらできない恐怖が走り抜け、息が詰まりそうになった。

「んー! んんーっ!!」

声にならない叫びが喉の奥でくぐもる。視界の端で、一人の男がテーブルの上に、ひらりと一枚の紙片を置くのが見えた。意識が薄れ、身体が重く感じられる中、私を担ぐ手はあまりにも粗雑で、その無慈悲な力に耐えることができなかった。

(カイ様……! 助けて……!)

視界は揺れ、何も見えないかのようだったが、心の中で彼の名前だけは途切れることなく響いていた。絶望に飲み込まれそうになりながらも、私はその名前を呼び続けた。まるでそれが最後の希望であるかのように。

意識が遠のき、目の前の世界がぼやけていく中で、私の心はその瞬間、完全に閉ざされたかのようだった。
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