23 / 40
第23話「形式が、逃げ道を塞ぐ」
しおりを挟む
第23話「形式が、逃げ道を塞ぐ」
王城には、古くから守られてきた慣習がある。
それは、祝祭でも、儀式でもない。
華やかさとは無縁の、
単なる確認作業。
だが、
それを拒むことは、
王族に連なる者として、
許されない。
――婚約者健康確認。
結婚を前提とした者に対し、
最低限の健康状態を
第三者が確認する。
それは、
血統のためでも、
子を成すためでもない。
国家に関わる立場に立つ者が、
公務を全うできるか
を確認するだけの、
事務的な手続きだ。
そして今。
その手続きが、
フローラ・エヴァンスに、
適用されようとしていた。
「……健康確認?」
フローラは、
伝達役の女官を見つめる。
表情は、
いつも通り穏やか。
だが、
胸の奥が、
嫌な音を立てている。
「はい」
女官は、
丁寧に答える。
「婚約者様として、
形式上必要なものです」
「これまで、
省略されていたのは……」
「殿下のご配慮です」
その一言が、
重かった。
(……逃げ道を、
塞がれた)
拒否すれば、
疑念を自白するようなもの。
延期を求めれば、
理由を問われる。
そして。
(実施されれば、
終わる)
フローラは、
一瞬だけ、
視線を伏せた。
「……承知しました」
それ以上、
言うことはできなかった。
一方。
オスカー・フォン・ルーヴェンは、
別室で、
淡々と準備を進めていた。
医師は、
王城専属ではない。
地方から招かれた、
利害関係のない人物。
立会人も、
複数。
すべて、
形式通り。
(逃げ場は、
用意しない)
それが、
彼の選択だった。
健康確認当日。
白を基調とした
医務用の小部屋。
華美な装飾はなく、
ただ清潔だ。
フローラは、
静かに椅子に座っていた。
背筋は、
伸びている。
だが、
肩に、
わずかな力が入っている。
「それでは、
始めます」
年配の女性医師が、
落ち着いた声で告げる。
「まずは、
脈拍と体温から」
問題は、
そこではない。
フローラは、
それを知っている。
診察は、
進んでいく。
聴診。
視診。
表面上は、
問題ない。
そして――
最後。
「では、
筋肉反応を確認します」
その言葉に、
フローラの指先が、
微かに震えた。
「……必要ですか?」
控えめな問い。
医師は、
首を傾げる。
「はい。
簡単な触診です」
立会人の女官たちも、
当然のように頷く。
フローラは、
一瞬だけ、
目を閉じた。
(……詰み)
医師の手が、
彼女の腕に触れる。
ゆっくりと、
力を加える。
その瞬間。
医師の眉が、
はっきりと動いた。
「……?」
力を、
少し変える。
反応が、
遅れる。
いや――
遅れるというより、
返ってこない。
「……失礼」
医師は、
もう一度、
確認する。
今度は、
反対側。
同じ。
沈黙。
部屋の空気が、
目に見えて、
変わる。
「……筋反射が、
通常と異なります」
医師は、
慎重に言葉を選ぶ。
「個人差、
という範囲を……
超えています」
立会人の一人が、
息を呑む。
フローラは、
何も言わない。
言えない。
次に、
医師が、
そっと言った。
「体表の温度分布も……
均一すぎます」
それは、
人間の体では、
起こりにくい。
「……もう一つ、
確認させてください」
医師の声が、
硬くなる。
フローラは、
ゆっくりと顔を上げた。
その目に、
初めて、
感情が浮かぶ。
――焦り。
「……どこまで、
確認されるおつもりですか」
その問いは、
明らかに、
形式を越えていた。
医師は、
即答しなかった。
代わりに、
立会人の一人が、
静かに言った。
「……殿下に、
ご報告します」
それだけで、
十分だった。
一方。
報告は、
すぐに、
オスカーの元へ届いた。
内容は、
簡潔。
だが、
致命的。
――人として、
説明がつかない反応。
オスカーは、
紙を置いた。
手が、
震えている。
怒りではない。
恐怖でもない。
(……やはり)
それは、
確認だった。
そして、
確定への入口。
彼は、
静かに立ち上がる。
「……次は、
もう、
逃げられない」
それは、
宣言ではなく、
事実だった。
フローラ・エヴァンスは、
まだ、
“婚約者”だ。
だが。
形式が、
彼女の嘘を、
確実に追い詰め始めていた。
この先にあるのは、
偶然でも、
違和感でもない。
真実だけだ。
王城には、古くから守られてきた慣習がある。
それは、祝祭でも、儀式でもない。
華やかさとは無縁の、
単なる確認作業。
だが、
それを拒むことは、
王族に連なる者として、
許されない。
――婚約者健康確認。
結婚を前提とした者に対し、
最低限の健康状態を
第三者が確認する。
それは、
血統のためでも、
子を成すためでもない。
国家に関わる立場に立つ者が、
公務を全うできるか
を確認するだけの、
事務的な手続きだ。
そして今。
その手続きが、
フローラ・エヴァンスに、
適用されようとしていた。
「……健康確認?」
フローラは、
伝達役の女官を見つめる。
表情は、
いつも通り穏やか。
だが、
胸の奥が、
嫌な音を立てている。
「はい」
女官は、
丁寧に答える。
「婚約者様として、
形式上必要なものです」
「これまで、
省略されていたのは……」
「殿下のご配慮です」
その一言が、
重かった。
(……逃げ道を、
塞がれた)
拒否すれば、
疑念を自白するようなもの。
延期を求めれば、
理由を問われる。
そして。
(実施されれば、
終わる)
フローラは、
一瞬だけ、
視線を伏せた。
「……承知しました」
それ以上、
言うことはできなかった。
一方。
オスカー・フォン・ルーヴェンは、
別室で、
淡々と準備を進めていた。
医師は、
王城専属ではない。
地方から招かれた、
利害関係のない人物。
立会人も、
複数。
すべて、
形式通り。
(逃げ場は、
用意しない)
それが、
彼の選択だった。
健康確認当日。
白を基調とした
医務用の小部屋。
華美な装飾はなく、
ただ清潔だ。
フローラは、
静かに椅子に座っていた。
背筋は、
伸びている。
だが、
肩に、
わずかな力が入っている。
「それでは、
始めます」
年配の女性医師が、
落ち着いた声で告げる。
「まずは、
脈拍と体温から」
問題は、
そこではない。
フローラは、
それを知っている。
診察は、
進んでいく。
聴診。
視診。
表面上は、
問題ない。
そして――
最後。
「では、
筋肉反応を確認します」
その言葉に、
フローラの指先が、
微かに震えた。
「……必要ですか?」
控えめな問い。
医師は、
首を傾げる。
「はい。
簡単な触診です」
立会人の女官たちも、
当然のように頷く。
フローラは、
一瞬だけ、
目を閉じた。
(……詰み)
医師の手が、
彼女の腕に触れる。
ゆっくりと、
力を加える。
その瞬間。
医師の眉が、
はっきりと動いた。
「……?」
力を、
少し変える。
反応が、
遅れる。
いや――
遅れるというより、
返ってこない。
「……失礼」
医師は、
もう一度、
確認する。
今度は、
反対側。
同じ。
沈黙。
部屋の空気が、
目に見えて、
変わる。
「……筋反射が、
通常と異なります」
医師は、
慎重に言葉を選ぶ。
「個人差、
という範囲を……
超えています」
立会人の一人が、
息を呑む。
フローラは、
何も言わない。
言えない。
次に、
医師が、
そっと言った。
「体表の温度分布も……
均一すぎます」
それは、
人間の体では、
起こりにくい。
「……もう一つ、
確認させてください」
医師の声が、
硬くなる。
フローラは、
ゆっくりと顔を上げた。
その目に、
初めて、
感情が浮かぶ。
――焦り。
「……どこまで、
確認されるおつもりですか」
その問いは、
明らかに、
形式を越えていた。
医師は、
即答しなかった。
代わりに、
立会人の一人が、
静かに言った。
「……殿下に、
ご報告します」
それだけで、
十分だった。
一方。
報告は、
すぐに、
オスカーの元へ届いた。
内容は、
簡潔。
だが、
致命的。
――人として、
説明がつかない反応。
オスカーは、
紙を置いた。
手が、
震えている。
怒りではない。
恐怖でもない。
(……やはり)
それは、
確認だった。
そして、
確定への入口。
彼は、
静かに立ち上がる。
「……次は、
もう、
逃げられない」
それは、
宣言ではなく、
事実だった。
フローラ・エヴァンスは、
まだ、
“婚約者”だ。
だが。
形式が、
彼女の嘘を、
確実に追い詰め始めていた。
この先にあるのは、
偶然でも、
違和感でもない。
真実だけだ。
0
あなたにおすすめの小説
恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ
棗
恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。
王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。
長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。
婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。
ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。
濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。
※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています
【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。
紺
ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」
実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて……
「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」
信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。
微ざまぁあり。
婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?
ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」
華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。
目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。
──あら、デジャヴ?
「……なるほど」
旦那様は離縁をお望みでしょうか
村上かおり
恋愛
ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。
けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。
バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。
【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?
ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。
卒業3か月前の事です。
卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。
もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。
カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。
でも大丈夫ですか?
婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。
※ゆるゆる設定です
※軽い感じで読み流して下さい
勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。
いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。
ただし、後のことはどうなっても知りませんよ?
* 他サイトでも投稿
* ショートショートです。あっさり終わります
「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして
東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。
破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。
始まりはよくある婚約破棄のように
喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」
学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。
ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。
第一章「婚約者編」
第二章「お見合い編(過去)」
第三章「結婚編」
第四章「出産・育児編」
第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる