婚約破棄された悪役令嬢ですが、英雄にも聖女にもなりません

鷹 綾

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第21話 沈黙を破る、甘い餌

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第21話 沈黙を破る、甘い餌

 沈黙は、思っていたよりも重かった。

 何も起きない。
 誰も動かない。
 それなのに、空気だけが、確実に張り詰めていく。

 私は三日間、市場にも裏通りにも近づかなかった。
 ギルドでは最低限の依頼だけを受け、
 回復薬にも一切触れない。

 ――完全な沈黙。

(……相手は、痺れを切らす)

 その読みは、四日目の朝に当たった。

 ギルドに入った瞬間、ざわめきの質が違うことに気づく。

「聞いたか?」 「高級回復薬が、格安で出回ってるって」 「しかも……効きがいいらしいぞ」

 胸の奥で、警鐘が鳴った。

(……来た)

 私は何も言わず、掲示板の前に立つ。
 耳だけを、会話に向ける。

「王都経由だってさ」 「正規品の半額だぞ?」 「鑑定も通ってるらしい」

 ――甘い。
 あまりにも。

 昼過ぎ、私は人目を避けるように裏庭へ向かった。
 そこには、すでにルーカスが待っている。

「動いたな」

「ええ。
 “効きがいい”“安い”“正規品”――三点セットです」

 ルーカスは、短く息を吐いた。

「こちらの沈黙に耐えきれなかった」

「……罠ですね」

「餌だ」

 彼は、そう言い切った。

「君が反応するかどうかを見るための」

 私は、少しだけ考える。

「……なら」

 自然と、答えは出ていた。

「私は、反応しません」

 ルーカスの口元が、わずかに緩む。

「正解だ」

 だが、その瞬間。

「……でも」

 私は、続けた。

「反応“させる”ことはできます」

 彼の視線が、鋭くなる。

「どういう意味だ?」

「私は、買いません。
 調べません。
 噂にも触れません」

 一拍、置いて。

「でも――“買いそうな人”は、たくさんいます」

 ルーカスは、すぐに理解した。

「……一般冒険者を、観測点にするか」

「ええ」

 誰かを囮にするわけではない。
 ただ、自然な流れを利用するだけ。

「効きが良ければ、
 必ず誰かが“おかしい”と気づきます」

「逆に、問題があれば?」

「……必ず、体に出ます」

 ルーカスは、しばらく黙り込んだ。

「危険だぞ」

「分かっています」

「それでも?」

「それでも、私が直接触れるより、
 ずっと安全です」

 沈黙のあと、彼は頷いた。

「……分かった。
 騎士団は、裏から見張る」

 夕方、私は宿へ戻った。

 通りの角で、例の“格安高級回復薬”を売る露店を見かける。
 人だかり。
 笑顔の売り子。

(……本当に、よくできてる)

 私は、足を止めなかった。
 一度も、振り返らなかった。

 それが――
 私の役割。

 夜、部屋の灯りを落とし、ベッドに腰を下ろす。

(……沈黙を破るのは、私じゃない)

 欲。
 焦り。
 そして、過信。

 それらが、必ず誰かを動かす。

「……甘い餌ほど、よく効く」

 小さく呟き、目を閉じる。

 この罠の結末は、
 もう見えている。

 問題は――
 どこまで深く、相手が食いつくか。

 そして次の瞬間、
 沈黙は、確実に破られる。

 私ではない誰かの手によって。
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